青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
1月21日に続き、山中町です。

↓村の鎮守 樹下神社。「樹下」を「きのした」と読む場合もあって、パソコンでもすぐ変換されますが、ここは坂本の日吉大社の上七社のひとつ、樹下宮を勧請(かんじょう=神霊を分けること)した神社なので、「じゅげ」と読むようです。

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↓紅葉真っ盛りの境内。

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↓北のバイパスの方向に向かう路地の入口にある標識。

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すごい年季が入っています。何なら1970(昭和45)年の山中バイパス開通の時に立てられてそのままなのではないかと思うくらいです。「路線バスを除く」とありますが、バイパスから集落に入る入口にふさわしい内容であり、この路地に対する指示ということではないのでしょうけれど、それならいったい何なのだろうか、と思わせる不思議な標識です。

↓「蓮如上人御旧跡」とあります。

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↓横には大きな石仏。山中町は石仏が大変多いです。

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他のサイトさんにも写真がよくUPされていますが、数年前までは左脇にカエデの古木があったようで、今は見られないのが残念です。

私は伊集院静は読まないのでよく知らなかったのですが、『志賀越みち』という小説で、山中町のこの辺りが詳しく描写されていて、この石仏も登場するようです。

志賀越みち志賀越みち
(2010/03/19)
伊集院 静

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↓集落を歩くと、「復興記念碑」というのがありました。

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何のことだろう、と思って後ろを見ると…

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「昭和十年六月廿九日山中町大水害仝十一年六月廿九日復興事業完成」
とあります。「廿」は「二十」で、「仝」は「同」と同じです。

因みに、ネット検索していて気付いたのですが、最近楽天の名誉監督を退任した野村克也氏は、この日に網野町(現在の京丹後市)で生まれました。

この時の水害は大変なもので、特に京都での被害が大きく、死者12人、三条大橋、五条大橋など鴨川だけで15もの橋が流出し、京都市内で浸水したのは、当時の市域の3割近くだったということです。
山中町の被害についてはインターネットでは詳しく分かりませんでしたが、京都側に傾斜しているため、雨の降り方は京都とほぼ同じだったのでしょう。平和で穏やかな集落のようでいて、実はいろいろな苦難の皺と襞をその歴史に刻みこんでいるのです。

↓バス停近くにある由来を示した碑

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何回か書いておりますが、最近廃止された「56A 山中町発銀閣寺道行き」は、京都比叡平線の派生系統ではなく、この「大津銀閣寺線」の末裔でほぼ間違いないと思われます↓

山中町 B-1235

左手にちらっと写っている地蔵堂に安置されているお地蔵様が何とも美しいようですが、私は気が付かず、あとで他のサイトさんの写真を見て驚きました。拝めずとても残念です。同じ大津市内でも遠くておいそれとは行けないところですが、今度は花の季節に来て、ぜひ拝みたいです。

山中町バス停から、京都方面に向かう途中にある橋↓

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↓こんな小さな橋なのに、「都橋」という立派な名前があることに驚嘆します。

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都に向かうところにある橋、或いは都からやってきて山中町の村に入ったところにある橋、ということでしょうか?

長く山中町の記事にお付き合い頂いて、ありがとうございました。
次は、山中です。
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