青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
曽束 そつか
所在地:大津市大石曽束四丁目
開設年月日:1976(昭和51)年から1981(昭和56)年11月30日までの間
付近:曽束緑地
キロ程:曽束中から0.3キロ (大石小学校から5.2キロ 石山駅から14.0キロ)




終点、曽束は集落の西の外れで、ここが一番便利だという住民の方は比較的少なそうです。

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大津営業所管内の数ある終点の中でも、指折りの寂しい、しかし終点らしい終点だと私は思っています。

『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』(1979)によると、帥大納言源経信(みなもとのつねのぶ)が別業(別荘)をここに構え、三男・俊頼、その子俊重と3代継承したため、「帥家(そちけ)」といい、それが転じて「曽束」になったと言うことです(P428)。

経信というと、

夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く(『金葉集』秋・183)

また俊頼といえば、

うかりける人を初瀬の山おろしよ激しかれとは祈らぬものを(『千載和歌集』恋二・707)

が有名です。いずれも「小倉百人一首」に所収されています。思いがけないひとと歌が出てきて、私も驚きました。

小田原とともに、しばしば禅定寺との境界線争いが起きたようで、1811(文化8)年頃に和解するまで続いたようです。

1964(昭和39)年の天ケ瀬ダムの建設により、集落の一部が水没し、曽束大橋が架橋され、代わりに「曽束の渡し」と呼ばれた渡し船がなくなりました。

バス停付近から西の方を眺めると、公園の向こうに曽束大橋が見えます。

IMG_1405.jpg

曽束の渡しの歴史は古く、江戸前期には既に記録があり、大石の多くの村が大津宿の助郷とされる中、曽束はこの渡しの負担があるために免除されていたということです。ひともさることながら、薪炭の運搬がかなりあったようで、わざわざ関津からひとを雇ったり、外畑に船を操るのがうまいひとがいるというと、そのひとを移住させたりまでしたということです(『滋賀県の地名 日本歴史地名体系26』P284)。

現在は概して大型車の運用が少ない曽束系統ですが、どうしても物理的にポンチョだけでは回せないことがダイヤを見ても明らかで、便によっては大型車が来ます。

↓田辺に行ってしまったW-1202の写真は、貴重なものかもしれません。

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↓シンプルな側面表示

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↓A-3766

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↓バス停ポール。

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↓こちらはS-1070。

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2014(平成26)年3月末時点では、男山の所属となっていて、私は八幡市内で「コミュニティバス」というステッカーを張り付けて走行しているのを見ました。普段使っているポンチョの調子が悪かったのか、車検の代走だったのでしょうか。

私にとっては大石のフィーダー路線というとこの車のイメージが強いのですが、いつの間にかポンチョの時代に移り変わりました。

   §   §   §   §
 
曽束系統の50周年記念特集はこれで終わります。

南大津大橋が開通して、自家用車の利用がますます便利になり、大石小学校を介して出かけるような必然性もなく、何より、肝心の人口が減る一方なので、既に商業的な路線バスの経営が成り立つのは難しい状態と思われます。小さい集落が、一筆書きできないような配置で並んでいるのも、路線バスの運行に不利です。

「取材」に当たって、何回か乗降しましたが、一般の利用者を、まずほとんど見かけません。

そもそもこの路線は、小学生の通学が主な目的でした。

1964(昭和39)年4月3日付産経新聞滋賀版によると、曽束と富川にあった分校を大石小学校本校統合する予定だったそうですが、曽束は、市道の改修工事の遅れなどのため、京阪バスの路線免許がなかなか下りず、統合が間に合わないということでした。統合の予定さえ、バス路線の開通の遅れのために狂ってしまったとは。

保護者が遠距離通学を懸念して、統合を反対するケースもあるかと思いますが、ここでは逆にPTAの強い要望があったということです。当時の児童数は僅かに7人、運転本数は4本の予定でした。

なお、富川は国鉄バスが予定通り増発されたため、当時の17人の児童はこの4月から本校に通うことになったようです。


今は、肝心の子どもがほとんどいないのではないかと思われます。
どこだったか忘れてしまいましたが、本数が減っても、駅への直通便がある方が利用者数が増えるという検証結果もあります。直通路線があった時も、大石小学校発着便のサイクルに合わせることができず、不規則な間隔で運転されていましたが、何かうまくサイクルに組み込む方法があるような気がします。或いは、それが無理だとしても、本来1本の路線だったのを、会社の都合で分割したのだから、せめて運賃は石山駅方面から通し計算できないものだろうかと思ったりします。

短い特集でしたが、お読み頂きありがとうございました。10年後、今より良い60周年目を迎えているかどうか、心配ですが今後も見守りたいと思います。

次回から旧大津市内線に戻ります。
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コメント
この記事へのコメント
石山駅直通
ご無沙汰しています。

確かに小田原・維中から直通している時代には、小田原、竜門から乗る人はちらほら見ました。

せめて大石小学校乗継券は車内で販売して欲しい気がします。
2014/08/31(日) 10:47:01 | じゅうしまつ | #-[ 編集]
Re: 石山駅直通
久しぶりのコメントありがとうございます。

> 確かに小田原・維中から直通している時代には、小田原、竜門から乗る人はちらほら見ました。
>
> せめて大石小学校乗継券は車内で販売して欲しい気がします。

恐らく、1dayチケットを車内販売しているから、それで対応、というつもりなんだと思います。
仮に大津営業所移転のダイヤ改正前当時の特殊区間に戻して通し計算したとしても、石山駅-曽束間は4区となり、現在の運賃で言えば310円で、往復すると結局1dayチケットの方が安い、ということになってしまいます。


2014/08/31(日) 12:28:06 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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