青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
国道山科の最終回は、京津国道線の一部の便が起点・終点としていた時期がある「国道山科南詰」です。1996(平成8)年9月現在の路線図↓では、浜大津、西大津駅から来た46・47号の各系統、つまり京津国道線と西大津バイパス線が、現在の外環三条交差点で四条大宮方面の本線から分岐して、外環状線に僅かに入って、「国道山科南詰」で終点だったことが分かります。

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現在の、「外環三条」の、外環状線上の乗場に相当します。



↓現在の南行きの乗場。W-3948が来ました。こういう感じで京津国道線も停まっていたのでしょうか。

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しかしそれにしても、こんなところでどうやって折り返していたのでしょう。折り返すのでなく、ここから回送していたのだとしても、どこに車両を持って行ったのでしょう。始発も然りです。いや、片道だったのでしょうか?ついこないだなのに、ネットやデジタルカメラが普及する直前のことで、資料も写真も何もヒットしません。

そもそも、どうして確実に折り返すことができる山科駅発着にしなかったのかというのも不思議です。

尚、バス停が現在の位置になるのは1995(平成7)年頃のことで、その前年の版までの住宅地図では、もう少し北の、京都銀行山科支店の建物の南端付近にポールがあったことになっています↓

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W-6233がちょうど通りかかりました。

↓北側から、旧バス停推定位置と現在のバス停と、両方が望めるように撮影。

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因みに、W-3948が写っている写真とは撮影時期が3年ほどずれていて、この間に上屋が京阪バス全営業所で標準的にみられるタイプから、新しいものに替えられたようです。

北行きは、比較的最近移動しました。
交差点に近すぎて、左折する車をかいくぐるようにして直進のレーンに入るのが大変なために、南にずれたのです。

↓現在のポール

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↓1967(昭和42)年ないしそれ以前から2010(平成22)年までは、ほぼこの位置だったようです。

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つまり、京津国道線の一部がもし国道山科南詰から発車していたのだとしても、それは現在の位置ではなく、旧位置だったということになります。

先ほど取り上げた、南行きの旧バス停推定位置とは、ほぼ向かい合うような形になります。

↓南を望む。ここに浜大津行きや西大津駅行きが来たのでしょうか?

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↓北を望む。

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そりゃ、移動させないとバスの運転手さんも大変だし、左折車も迷惑ですね。旧位置だったころに山科駅行きのバスに乗っていたら、運転手さんが、こんなバス停の位置はおかしいみたいなことを一人でブツブツ言っているのを聞いてしまいました。そういうことをいいとは言いませんが、言いたくなる気持ちは分かりました。

↓京津国道線の最後の名残 19号経路のW-6225が西に向かいます。

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後を追い掛けてすぐに西に向かいたいところですが、その前にちょうど60年前の興味深い新聞記事から。

↓1956(昭和31)年4月7日付京都新聞市民版

S31.4.7KC 山科幹線道路計画b

山科の道路計画です。

当時の山科はまだ東山区の一部(「山科区」として独立するのは1976(昭和51)年10月1日のこと)で、山科の人口は34,567人とされています。偶然ですがきれいな並びです。20年後の昭和51年の分区時は現在とほとんど変わらない13万人弱にまで増えます。恐ろしい増加率です。

10万どころか5万人にもまだ遠いこの時点で、既に京津国道しか軸がない道路網には問題があるとされていました。

京津国道、現在の府道四ノ宮四ツ塚線は存在していますが、恐らくこの当時は外環状線も全通はしていません。
大塚からまっすぐ西に向かって、東山を越えるように描かれているのは、現在の国道1号線に相当する道路と思われますが、五条バイパスが開通するのは何と1967(昭和42)年のことです。それまでは現在旧道となっている渋谷街道しかなく、そこを京阪バス浜大津向日町線などが行き来していました。今も五条バイパス経由の四条河原町方面行きの京阪バスの大半が五条バイパスを走り続けないで、清閑寺山内町から馬町の方に折れるのは、五条バイパス開通以前のルートの名残です。

大宅から栗栖野に真っ直ぐ向かっているのは、現在の新十条に相当する通りと思われますが、椥辻から東にこんな直線道路は今もありませんし、山科区役所の南側の通りも完成したのは比較的最近です。栗栖野から北に向かっているのは大石道だと思われますが、こんな直線的な道路ではありませんし、幅も狭いです。

こうして見ると、せっかく計画はあったのに、人口の増加に追いつくことができなかったことがよく分かります。このことは後々、山科区や醍醐・小栗栖団地などの交通に大きく影響することになります。

次は、山科駅【山科北部線他】/五条別【京津国道線他】/竹鼻【山六線他】です。
※本シリーズとしては一旦「番外」として山科駅を取り上げます。
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