青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。

「あれをごらんなさいよ。あれ」
と眼下を指差した。
 見ると夥(おびただ)しい鈴懸の落葉が、煎じたような色で積み重なる散歩路の南の外れに、色めくものを溢れさせた粗末な小屋があったので、岡野は何かを売る店かと思った。目を凝らすと、そうではなかった。その小屋から溢れ出てそよいでいるのは幾房の千羽鶴であった。
 (中略)
「ここからは字が読めないけど、全快地蔵尊と書いてあるんですよ。ここの病院の名物で、全快した人は、退院するときに、千羽鶴をお礼に下げて行くの。私、駒沢が治ったら、千羽鶴を五房作ってさし上げます、って、毎朝あそこへお祈りに行ってるんだけど」
そのとき菊乃の目尻にかかる後れ毛は、すでににじんで来る涙に濡れていた。
(三島由紀夫「第十章 駒沢善次郎の偉大」『絹と明察』P277 新潮社 1964)



熊野神社前 くまのじんじゃまえ
所在地:京都市左京区聖護院山王町
    (比叡山線が東大路経由だった時の比叡山方面のポールは京都市左京区聖護院川原町)
開設年月日:?
付近:熊野神社 京都大学附属病院 京大熊野寮 京都聖護院郵便局 三菱東京UFJ銀行聖護院支店




「熊野神社前」は、交差点名でいうと「東山丸太町」ですが、市電の時代から停留所は「熊野神社前」と呼ばれています。

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1976(昭和51)年3月31日までは、この交差点を市電が十字に渡り、西方面と北方面の間はポイントで渡れるようになっていました。

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観光地としてはややマイナーなこの小さな神社が停留所名に採用されているのは不思議な感じもしますが、社寺の多い京都市内でも、ここまで交差点の角にきっちり収まった神社は少なく、また観光客よりは盛大な節分祭で市民によく親しまれているということなのかもしれません。

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↓縁起を読むと、角に収まったというよりは、市電の開通や東大路の拡幅で収めざるを得なくなったようです。

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↓聖護院といえば八つ橋です。

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私は朝食が大福でもチョコレートパフェでもいいくらい甘いものが好きでどうしようもなくて、普通に3食食べた上に直径20センチほどのケーキをワンホール食べたり、レディボーデンの味の違うパイントカップを2つ食べたりして、家人にも見放されているのですが、八つ橋はニッキの匂いが苦手で…。ごめんなさい。

観光客が買うもので、京滋の人間は意外と食べないんですよね。
1954(昭和29)年1月4日付の朝日新聞京都版では「京都人の見た京都」という特集記事で、「すすめたい京みやげ」は本社世論調査の結果、八つ橋が41%で圧倒的1位だったと書かれています。60年ほども前の時点で既にダントツ人気だったんですね。


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八橋検校(やつはしけんぎょう)の像かと思ったら、中興の祖である西尾為治の像でした。でもやはり八つ橋発祥の地と書かれていますね。

この辺りの地名は聖護院ですが、これはこの地に天台宗門跡寺院の聖護院宮が存在したことによるということです。今となっては信じられませんが、今まで走ってきた北白川や京大周辺、そしてこの聖護院も、全て京都の近郊農村で、京都市内で消費される野菜などを生産することが主たる産業でした。
「聖護院大根」に代表される京野菜の産地で、明治5年には、現在の京大を含む隣の吉田村と合わせて、鴨川べりに牛、羊、豚を飼育する牧畜場ができたくらい、まだまだ田舎でした。

明治21年に京都市に合併しますが、明治32年に先述の牧畜場を含む広大な用地が買収されて、京都帝国大学医科大学附属病院(現在の京大医学部附属病院)が設置されたことをきっかけに、外来患者、見舞客、或いは職員を相手にするような商店が軒を連ねるようになり、大正2年には市電丸太町線が熊野神社前まで、昭和3年には東山線がそこから百万遍まで開通し(『角川日本地名大辞典 26 京都府上巻』P771)、すっかり京都市内の一部となりました。

そう、熊野神社前バス停の持つもう1つの重要な顔は、京大附属病院↓の最寄りバス停としての顔です。

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利用者の少なからぬ部分が、外来患者や見舞客なのではなかろうかと思います。

冒頭で引用した三島由紀夫の『絹と明察』の「全快地蔵尊」は今も病院構内の東大路通り沿いにあります。

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肝心のバス停をまだ取り上げられていませんが、長くなってしまったので、ここで一旦区切って、次回にしたいと思います。
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