青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
北白川琵琶町 きたしらかわびわちょう
所在地:京都市左京区北白川琵琶町
開設年月日:1958(昭和33)年4月19日?
付近:日天寺 北白川芸術村


比叡平側から来ると、ここまでが「山間部」という感じがする区間で、逆に京都側からだと、急に山に入ってきたという印象を覚えるバス停です。

「北白川琵琶町」は、1918(大正7)年4月1日の京都市合併時から続く町名で、その点が「岩坂」や「地蔵谷」とは違っています。その前は何と「京都府愛宕(おたぎ)郡白川村字琵琶街道」という地名でした。字名が「琵琶街道」とはすごいです。地名辞典でもよく分かりませんでしたが、琵琶湖に続く街道という意味でしょうか。

江戸時代、元禄期に白川の水力を利用した水車工場ができ、最盛期の明治末の頃には、ここから下流の仕伏町にかけて、30ほどの水車場が稼働し、食品用、或いは染料用の糊の粉や、金箔などを作っていたということです。今となっては信じられませんが、1968(昭和43)年に最後の水車が廃止されるまでは「水車の村」として知られるほどだったそうです(『角川日本地名大辞典 26 京都府上巻』1982 P495)。



町域は白川沿いに何と8か所に分散しています。どれが本体でどれが飛地か分からないほどですが、バス停があるのはその中心です。もっと下流の大きなカーブの南側にも比較的大きなパーツがある他、かなり上流にも小さな「北白川琵琶町」があります。このため意外に人口が多く、辞典編集時点で60世帯162人が生活しています(『角川日本地名大辞典 26 京都府下巻』1982 P249)。何でこんなことになっているのか、そもそもこの町の範囲というのがどうやって決まったのか不思議です。

↓別にバスポケットというわけでもないのだと思いますが、道が広くなっているところに、ポールが2本並んでいます。比叡平から来た時は進行方向の側です。

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↓右側が比叡山・比叡平方面、左側が京都方面となっています。
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その気になれば両方ともまとめて1本にできる気がするのですが、ここは同じ側に2本のポールを立てています。
比叡平方面に乗るひとはほとんどいないと思いますが、乗りたい時はこの道を挟んで向かい側に立っていると乗客と判断されるのでしょう。

↓このバス停の裏側を見たひとはあまりいないでしょうね。

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この辺りは「白川砂」と呼ばれる京都の庭園には欠かせない、美しい白い砂を産出する地域ですが、近年違法採取をしている業者があったことで問題になりました。

↓確かに、白川の砂はきれいそうです。

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『京都の地名由来事典』(源城正好他 東京堂出版 2005)によると、この付近一帯の花崗岩が削られた白砂が川底で白く輝いていることから「白川」、「北白川」はその白川の北に位置するということに由来するそうです。

↓これに関係してか、石材業者も多いようで、バス停の周囲に灯篭などがたくさんあります。

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↓「純白川砂を守る会」もあります。「政権交代」…あの熱気はどこへやら…。

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↓雨に濡れた紅葉が美しいバス停すぐそばの日天寺

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ところで、1960-70年代頃、北白川には「北白川芸術村」または「北白川美術村」と呼ばれる、芸術家たちがアトリエを構える一角がありました。
私は、なぜ自分がそれを知った経緯が分からないのですが、多分、80年代頃の版の古い都市地図に載っていたからなのだと思います。しかし、ネットで検索してもわずかしかヒットせず、正確な場所を知ることもできませんでしたが、漸く1980年版のゼンリンの住宅地図で、この北白川琵琶町のバス停北側だということが分かりましたので、行ってみました。

↓バス停から数十メートル京都寄りのこの路地に入るのですが…

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↓"cat dog x-ing"という正式なものではないこの標識が、雰囲気を出しています。

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↓しかしその奥は、工事現場でした。

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残念…。時が流れて、芸術村はもうなくなってしまったのでしょうか?
ただ、付近にはデザインの工房のようなものもあったりします、地図を検索しても陶芸の工房などがヒットするので、まだ何か名残があるのかもしれません。

↓「市街化調整区域」なんですね。

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特別な許可があるか、特に認められている用途の建築物以外、一切建築や開発ができません。家を建てることも、指定を受ける前から住んでいるなど、特に事情がない限りほとんど無理なので、土地を売買する時の広告にも、宅地の造成および建物の建築はできません、と大きく書かないといけないことになっています。

『京都市の地名』(1979 平凡社)に引用されている、近世の「都名所図会」では、北白川について、

この里は洛(みやこ)より近江の滋賀坂本への往還なり。志賀山越といふ。(中略)川の半に橋ありて、初は右手(めて)に見し流も、いつとなく左手(ゆんで)になりて



と書かれているそうです(P137)が、確かに、この辺りでは京都から見たときには右手に白川が流れているのが、地蔵谷の辺りでは京都から見て左手になっていて、何百年もひとが通り続けた道を今も踏襲していることが分かります。

次は、北白川仕伏町
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