青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
商工会議所前 しょうこうかいぎしょまえ
所在地:大津市京町二丁目?
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:榮泉寺 (1962(昭和37)年当時)大津商工会議所 (現在)大同生命保険株式会社滋賀支社




市役所前に続いて、こちらも現在は移転してなくなってしまっている施設が停留所名になっています。
大津商工会議所の公式サイトそのものには、移転に関する記述がありませんでしたが、同居している「大津納税協会」のページで、1963(昭和38)年11月に打出浜に移転したことが分かりました。

現在の「商工会議所前」のバス停は、「大津中央郵便局前」とでも呼んだ方がいいような位置で、一般の市民にとっても郵便局の方がなじみがあるのに、なぜ「商工会議所前」なのだろう、と思っていましたが、このバス停の名前を引き継いだのだろうと推測されます。

しかし、引き継がれたのは名前だけで、位置的な意味で直接このバス停に相当するバス停はありません。強いて言うなら「京町通」でしょうか。

↓拡幅された百石町通沿い、京町通のバス停近くにある案内地図に、「商工会議所前」、次の「布施屋町」、現行の「京町通」の位置関係が分かるように画像に書き込みました。

IMG_1744.jpg

現在の「中央二丁目南」交差点付近にバス停があったものと思われます。

↓同交差点の南東角、大同生命保険株式会社の滋賀支社の位置、大津市京町二丁目2-8が商工会議所でした。
IMG_1754.jpg

大津市歴史博物館の公式サイト内に、大津商工会議所(京町時代・昭和20年代)と題する写真があって、驚いたことに大津駅、石山駅方面のバス停ポールが写っているのが分かります。
上の写真に赤く書き込んだ辺りだと思われます。
隣の榮泉寺の屋根が特徴的で、60年以上は経っているはずなのに今も変わっていません。
大同生命のビルも商工会議所とよく似た形です。この大同生命のビルそのものの竣工年は分かりませんが、ただ、1971(昭和46)年の住宅地図でも既にここは大同生命となっています。

更に面白いのは、同じく大津市歴史博物館のサイト内の、大津商工会議所(京町時代・昭和30年代)と題する写真にもバス停が写りこんでいることです。
サイトの画面では「京阪バス」と書かれているのかどうか、分かりにくいですが、歴史博物館に行くともっと大きな画像を見ることができ、やはり「京阪バス」と書かれています。

↓東向きの、この辺りの位置です。

IMG_2214.jpg

東向きでの撮影、ということに違和感を覚えられる方がいらっしゃると思います。私も最初は信じられませんでした。
今、バス路線が通っているのは南北の寺町通で、東西の旧東海道ではありません。膳所では旧東海道を通る旧大津市内線も、この辺りでは通っていません。

もし寺町通なら、商工会議所が右に入るように写真を撮ろうとすると玄関は写らないはずで、また榮泉寺があるから建物の南側(大津駅側)の壁面はほとんど写らないはずなのに、壁面も玄関も大きく写っているので、これはやはり交差点から東向きに撮ったとしか思えない、と思ってよく見ると、奥に写っている洋品店が何と今も健在なので、間違いない、と分かりました。

一体どこからどこに走る路線が走っていたのでしょう?

そして、この交差点から一筋入った、先述の洋品店の角の所で、絶対忘れてはならないのが、この「露國皇太子遭難之地」の石碑でありましょう↓

IMG_1750.jpg

いわゆる「大津事件」の舞台です。
大津市で発生した歴史的な事件としては1571(元亀2年)の織田信長による比叡山焼き討ちと並んで、恐らく最も全国的な知名度が高いできごとだと思われます。

事件は今から110年余り前の1891年(明治24年)5月11日にこの付近で発生しました。日本を訪問中のロシア帝国皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)が、警備にあたっていた警察官・津田三蔵に突然斬りつけられ負傷したのです。

津田の動機については諸説あるようですが、ロシアが日本を侵略するための軍事視察に来たのだと思い込んだというのが一般に知られている説ではないかと思います。
当時の政府は、当時の刑法116条に規定する天皇や皇族に対する「大逆罪」を類推適用すべきという見解でしたが、大審院院長(現在の最高裁判所長官に当たる)の児島惟謙は、外国の皇族に関する規定はないとして、結局現在でいう無期懲役に当たる、「無期徒刑」の判決を下しました。
この事件は結果的には日本の三権分立を明確にし、国際的には却って日本が確かな法治国家であることの評価を高める出来事となりました。

寺町通に戻ります。

↓ちょうど浜大津行きが来ました。

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↓浜大津方面を望む。

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↓少しアングルを変えて、右手の本屋さんをよく見ると、味わい深いです。

IMG_1759.jpg

島林書店といって、何と安政年間に創業しているそうです。1930(昭和5)年、それまで人力車が一台やっと通れるくらいの細い道を拡幅することになって、家を建て替えなければならなくなった時に、現在の店主の父(7代目)が何度も神戸の洋館を見て大工と相談しながら建てたのだといいます。とても珍しがられて、多くのひとが見に来たそうです(大津の町家を考える会「第4章 町家で商う」『大津百町物語』1999 P126)。

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そういえば、小学館のこのマークも久しく見ていない気がします。1927(昭和2)年に制定された「勉強マーク」というそうです。

次は、布施屋町です。
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コメント
この記事へのコメント
島林書店
バス路線だけに留まらず、近代建築もしっかりと調べておられ、さすがですね。
島林書店は教科書を扱う書店で、ちょっと格の違う書店でした。
榮泉寺は高校の時の担任のお寺です。

商工会議所があったのは全く知らず、「商工会議所前」というバス停がここにあったのもはじめて知りました。

このあたり、なだらかな坂道ですね。
2014/06/05(木) 21:01:49 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
Re: 島林書店
> バス路線だけに留まらず、近代建築もしっかりと調べておられ、さすがですね。

いや、散らかっている関心を、乱雑にそのまま書き表しただけです。興味がなかったり、気づかなかったりしたらそのままになってしまいます。

> 島林書店は教科書を扱う書店で、ちょっと格の違う書店でした。

> 商工会議所があったのは全く知らず、「商工会議所前」というバス停がここにあったのもはじめて知りました。

商工会議所というのは、一般にそれほどなじみはないですね。私も今一つ何をするところなのか分かりません。商店を経営しているとか、そういうひとはよく行くところなのでしょうか。
yume様が物心ついたころには、もう今の大津中央郵便局の駐車場の位置に移転してしまっていたのではないでしょうか?


>
> このあたり、なだらかな坂道ですね。
2014/06/07(土) 21:35:50 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
大津商工会議所
現在の大津商工会議所の場所を調べてみましたが、私の記憶では湖岸道路に面していました。 記憶違いでしょうか。
これまた余談ですが、その並びに「近畿電気工事」の建物もありました。比較的近年まであったような気がするのですが、道路に面してコンクリートの大きなオブジェのような丸い輪がありました。

叔母が若い頃勤務していたのでよく覚えています。
2014/06/07(土) 22:15:13 | yume | #9n6i7BAU[ 編集]
Re: 大津商工会議所
> 現在の大津商工会議所の場所を調べてみましたが、私の記憶では湖岸道路に面していました。 記憶違いでしょうか。

あ、そうですよ。大津中央郵便局の駐車場、と書きましたが、来局者用でなく、局用車が使っている立体駐車場のようなところです。中央局に向かって右手です。
ただ、私もどんな建物だったのかは思い出せません。
今は更に湖寄りのコラボ21の中に入っています。

近畿電気工事はよく分からないですね。また古い住宅地図を見てみます。
2014/06/07(土) 22:22:41 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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