青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
14日の宇治を中心とする水害において、被災された方にお見舞い申し上げます。
宇治にはつい先日車で宇治川ラインを走って行ったところで、大変ショックを受けました。

ちょうど、京阪電車のエリアに沿うように、宇治、寝屋川など被害のひどい地域が広がっており、気になって、そちらの方の親戚や友人、知人に連絡を取っていたのですが、仕事でネットやテレビも見られず、把握できていなかった大津市南部の被害を逆に教えてもらい、「ひとのところの心配している場合やないで」なんて言われて、夕刊や晩のニュースを見て改めて驚いた次第です。

外畑や内畑が一時孤立状態で、外畑では土砂崩れに起因する火災まで起きていたこと、南郷でも浸水被害が出ていたこと、土砂崩れでバスが南郷洗堰折り返しだったこと(15日夕方頃から新浜まで延長)などなど…私の家は直接被害はありませんでしたが、同じ学区でも、もう少し違う場所に住んでいたら、どんなことになっていたかしれません。本当に、日常と非常が隣り合わせの、境界線に自分はいたのだな、と考えさせられ、無事でいられることを感謝しました。

この件については、機会がありましたら、別途書かせて頂きたいと思います。
改めまして、ここに1日も早い復旧を祈念します。

                 §             §

路線バスの歴史を調べる上では、道路、駅、病院、役所など、あらゆる施設の歴史が関わってくるのですが、その中で特に石山駅以南の鉄道がない地域で、「学校」というのは非常に重要なキーワードです。ちょっとそこまで歩けば学校、というような市街地と違い、大阪なら1つの市、いや、それをはるかにしのぐ広大な学区、歩くのには危険な道路といった地理的条件から、通学はバスに大きく依存しているのです。

今からちょうど60年前、1952(昭和27)年は、GHQが廃止され日本が独立した年ですが、その年のちょうど盆明けから8月末にかけての今頃の時期、大津市では、南郷中学校の通学バスが問題となっていました。

この前年の1951(昭和26)年4月1日、大津市と、坂本、下阪本、大石、下田上(しもたなかみ)の5つの村が合併しました。今回関係するのは、後者の2つの村です。私は、独立した1つの自治体だから、もともと1つの村立中学校があったのだろうと思っていました。そして、それが合併後に大津市には継承されず、通学距離が延びる、といった問題かな、と思っていました。ところが、数回にわたって掲載された新聞記事を読むと、単にそれだけの問題ではない様子なので、『大津市史』などでもう少し詳しく調べると、現在の6・3・3・4制がスタートした1947(昭和22)年時点から現在の大津市立粟津(あわづ)中学校や瀬田中学校、田上(たなかみ)中学校も関係する、実に複雑な離合集散を繰り返していたのです。

急いだので、決して見やすくはないと思いますが、大津市立粟津・瀬田・田上各中学校のHPや『大津市史』を参考に年表と図を作りました↓


ssScan0496.jpg

ssScan0495.jpg

複数の自治体で運営している「組合立」の中学校が多いことが分かります。2012年現在滋賀県に、「組合立」の学校は1つもありませんが、人口や地形、交通の便の関係などにより、1つの自治体で学校を運営するのが難しい時、複数の自治体で運営する方が効率が良い時に、複数の自治体による事務組合を作って、学校を運営するというやり方です。消防関係などの方が、より「組合」方式が一般的だと思います。

折から「昭和の大合併」の時代。自治体は枠組みを複雑に変え、結局、大石など、人口が少ない周辺部が、通う中学校を急に変えさせられるなどの割を食うという現実も見えます。

一通り落ち着くには、1967(昭和42)年の大津市・瀬田町の合併により、組合立の学校が解消するところまで待たなければなりませんでした。

↓1952(昭和27)年8月16日、60年前の今日の滋賀日日新聞

S27.8.16S 南中バス通学割引交渉b

大津市立南郷中学校は、簡単にしか書かれていない年表だと、昭和27年4月に開校したことになっていますが、実際には、校舎の工事の関係で石山、大石、田上の3学区(南郷はまだこの頃は石山学区の一部)の生徒が1つの校舎に揃うのは、9月1日であったため、「二学期から開校する」と書かれています。それまでは、各小学校区に作られた分校舎を使用していたようです。

因みに、地元ではよく知られていることですが、当時の南郷中学校は、現在の南郷小学校の位置に在りました。私が通っていた頃も、明らかに他の箇所とは年季の入り方が違う、中学校当時の校舎が一部残っていました。大掛かりに建て替えた様子はないので、今もその部分があると思います。



9月1日には新校舎で2学期が始まるというのに、割引乗車券の交渉は2週間前の今日、始まったばかりです。PTAや教育委員会、そしてバス会社は、これからどのようにして通学問題に対処していくのでしょう?8月中、何回か新聞記事でこの問題が取り上げられますので、本ブログでは、その同じ日付で新聞記事を取り上げながら、60年前を再現して皆さんと一緒に見ていきたいと思います。
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コメント
この記事へのコメント
こんばんは。
旧々南郷中学校(現在の南郷小学校の敷地)の記憶はありませんが、実家には当時のオンボロ校舎の写真が残っていたような気がします。隣接していた南郷幼稚園もオンボロでした。南郷幼稚園移転の後プールが新設されましたが、それまでの「南郷小学校新設~南郷幼稚園移転」までの数年間は南郷中学校時代のプールをそのまま使用していたことになります。
南郷小学校は新設校でしたっけ?通っていたのに記憶がありません。
2012/08/16(木) 20:59:15 | METEOR | #-[ 編集]
Re: タイトルなし
METEOR様、いつもお世話になります。

> 旧々南郷中学校(現在の南郷小学校の敷地)の記憶はありませんが、実家には当時のオンボロ校舎の写真が残っていたような気がします。

うわ~!それ、見たいです!

> 南郷小学校は新設校でしたっけ?通っていたのに記憶がありません。

新設校の定義がよく分かりませんが、通っていて記憶があるとかないとかそういう性格のものではないと思います。
私の勝手な解釈では、少なくとも大津市内では、「戦前からある学校を母体に戦後分離独立した学校」という感じでしょうか。それでいくと、北から、小野、真野北、仰木の里、仰木の里東、日吉台、唐崎、比叡平、富士見、瀬田北・東・南、青山、そして南郷の13校、大津市立の小学校の約3分の1に当たります。大津市民、出身者なら、まあ新しそうだなとだいたい見当がつくようなところばかりですね。南郷は1979(昭和54)年開校です。
ざっくり調べた限り、昭和20-30年代に開校した学校は1つもないので、40年代以降にできた学校というのは、圧倒的に新しいということになると思います。
2012/08/17(金) 00:58:27 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
古い建物でした
久々の南郷の話題、ありがとうございます。
大石学区の人が今の瀬田中学に通っていたというのは初めて知る話で、それにしても遠かったのだろうなと思います。田上あたりも下田上が先に大津市に編入されたのですね。同じ地区という印象があったので意外でした。

南郷小学校の校舎で、かつての南郷中学の校舎と思われる場所・・・確かに、別棟でもないのに一部古い造りの所があって不思議だった記憶があります。また、南郷幼稚園は実際に通っており、本当に古~い建物でした。教室内に水道(流し)があって、実は中学校の理科室の名残だったというのも聞いたことがありました。実家にはその頃の写真があるかもしれないので、帰省するときに見てみようかと思います。
2012/08/17(金) 01:19:16 | れお | #pamUQ3n2[ 編集]
Re: 古い建物でした
れお様、南郷の話、お待たせしました。

> 大石学区の人が今の瀬田中学に通っていたというのは初めて知る話で、それにしても遠かったのだろうなと思います。

ごめんなさい、私の書き方が悪かったのかと思いますが、瀬田中に通っていたのではなく、瀬田中の大石校舎(今の大石小学校に併設されていたようです)に通っていたようです。なので、名前と設立主体だけが変わって、場所は変わっていないのだろうと思います。

>田上あたりも下田上が先に大津市に編入されたのですね。同じ地区という印象があったので意外でした。

合併の過程では、時々そういうことが起きますね。

小学校の校舎の件、やはり私が思っていたのと同じようなことを思っていらっしゃったのですね。情報ありがとうございました。
2012/08/17(金) 01:54:34 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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