青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
運動会のシーズンです。
職場や地域の運動会もありますが、一般にイメージされやすいのは圧倒的に学校の運動会でしょう。最近、秋に行事が集中し過ぎる、熱中症を防止するといった事情で、春に運動会が行われるケースがしばしばあるようです。また、北海道など、秋が早くから寒くなってしまう地域や、稲刈りなどの農作業で親が忙しい地域は、もともと春に運動会が行われるのが普通なのだそうです。しかし、俳句においても「運動会」が秋の季語とされているように、今でも関東以西の多くの地域の日本人にとっては、やはり秋の行事という印象なのではないかと思います。

↓大阪環状線 福島駅から見えた運動会の準備が整ったグランド。あとで大阪市立上福島小学校だと分かりました。これも秋の光景です。

IMG_2465.jpg

「運動会」は日本や、日本が戦時中に占領していたことで影響を受けた韓国や台湾などに特有のもので、世界的にはあまりない行事のようです。地方に行けば行くほど、時代が古くなればなるほど、地域全体のイベントという色合いが濃くなり、気が付いたら大人の方が夢中、なんていうことも…。

しかし、臨時バスまで出すという話は聞いたことがありませんでした。

↓ちょうど65年前の今日、1952(昭和27)年10月14日付京都新聞山城版より

S27.10.12KY 淀中学校大運動会 京阪バス臨時便b

現在の京都京阪バス宇治淀線に相当する路線の臨時便扱いかと思われます。9往復とはすごいです。
京阪宇治交通でないのが不思議に見えますが、この前年1951(昭和26)年に京阪宇治交通の前身、宇治田原自動車が、宇治から小倉、現在の久御山町の北部を経て淀に至る路線免許申請を行ったばかりで、今の宇治淀線のルーツとなる路線は、京阪バスが先に路線免許を持っていました。

↓淀にて2011(平成23)年5月21日撮影

IMG_5604.jpg

この新聞には他にも男山中学校の運動会(秋季体育大会)の話題が載っていました。

S27.10.12KY 淀中学校大運動会 京阪バス臨時便b2

7日に雨で延期となり、11日に小雨の中で三年生女子の60m走を皮切りにスタートしたものの、5つか6つ競技を行ったところで本降りになったので中止、13日に再開するとのことです。
60m走?何でそんな中途半端な距離…?運動会を途中でやめにしたなんていうケースは聞いたことがありませんが、その後は、帰らせるわけにもいかないでしょうから、普通通りの授業でしょうか?いやだろうな、そんなの…。続きを別の日にするのも中途半端ですね。

大人も負けてはいません。綴喜農協連合会では第二回役職員秋季大運動会を12日に田辺中学校グラウンドで開催、とあります。「タバコ火つけ競争」「暗算競争」なんて書いてありますが、どういう競技なんでしょう?
どっちもやりたくないなあ…。
自慢じゃありませんが、ライターの使い方を知らないんです。怖くてどうやって火をつけたらいいのか分かりません。指が燃える、と思っているのです。チャッカマンとマッチは何とかなるのですが。タバコを吸う人も減っているし、どこもかしこも禁煙で、そもそも競技が成り立たないことでしょう。

そしてもちろん、暗算なんて九九も満足に言えなくて親や先生に怒られっぱなしの小学校2年生だったのにとんでもないです(念の為ですが、今はちゃんと言えます)。

とにかく運動会の存在感は今以上のようです。そりゃそうですね。インターネットや携帯電話どころか、テレビも本放送が始まる前年ですし、娯楽や刺激がないのですから。

本題に戻ります。
「組合立淀中学校」――大都市やその近郊では、「組合立」というのがピンと来にくい方も多いかと思いますが、生徒数や地形・交通網の都合で、1つの自治体で学校を設置するのが難しい、或いは複数の自治体で設置する方が効率がいいような場合に、事務組合を作って、そこで学校を運営するということがあります。消防の組合と仕組みは近いと思います。
大津市で言うと、田上(たなかみ)中学校も、もともとは大津市と旧栗太郡瀬田町との組合立でした。

「淀中学校」なんていかにもありそうだなと思って調べましたが、ありませんでした。
調べてみると、久世郡御牧(みまき)、佐山両村が1954(昭和29)年10月に合併して久御山町に、1957(昭和32)年4月に久世郡淀町が京都市に、それぞれ合併してからも、合併後の市町で組合を作って「淀中学校」を運営していたようです。
場所は今の久御山町島田堤外33番地で、現在もある地名・番地なので、検索ですぐに位置が確定できました。



現在の「NTT淀総合運動場」の位置で、廃止になった京阪宇治バス 系統の「久御山公園」の隣です。

IMG_0633_20150108124435bc7.jpg

IMG_0637.jpg

↓久御山公園には、未だに「京阪宇治交通」の表記が残されています。

IMG_0620.jpg

↓付近を散策していたら…左の石垣が何か気になる…

IMG_0626.jpg

↓うわ、これは!?

IMG_0627_201501081244378bf.jpg

↓ハチです。スズメバチではなくミツバチだと思いますが、怖いですね。

IMG_0629_201501081244383ef.jpg

びっくりしましたが、気を取り直して歩くと、記念碑がありました。↓

IMG_0645_20150108124559798.jpg

IMG_0644.jpg

中学校ができる前は、逓信省航空局京都航空機乗員養成所、電気逓信職員訓練所淀学園があり、前者は戦時中のため軍学校に近い存在で、亡くなったひとも多かったようで、そうした方を弔い、跡地を示す記念碑があります

やはり広大な土地を要する施設に使われ続けているというところ、またやはり逓信省からの流れなのか、未だにNTTが使っているというところが興味深いです。
なるほど、現在の久御山町域と、旧淀町域全体が1つの学区なら、広範囲にわたって居住する生徒や保護者の送迎に、バスが不可欠だったこともうなずけますし、今の田井や島田などのバス停が最寄りとされていたのだろう、と推測されます。

その後、淀中学校は、1975(昭和50)年、久御山町の人口が増加して、単独の中学校を作る必要ができ、「京都市立大淀中学校」と「久御山町立久御山中学校」に分離したということです。

「大淀」なんて聞くと1989(平成元)年になくなった大阪市大淀区みたいで、実際、大阪にも「大阪市立大淀中学校」があるのですが、なぜわざわざ「大」をつけたのかはよく分かりません。

1953(昭和28)年4月、より広い校地を求めて、中学校は「淀町大字際目小字古川1番地」、今の「伏見区淀際目町」に移転します。小字が検索できないので、詳しい場所は分かりませんが、今も「古川」の名前を冠するマンションがあるので、その辺りなのだろうと思われます。

この運動会は、移転前最後の思い出の運動会だったのです。

ところが、移転したその年の9月25日、中千町 【南中系統開通25周年記念特集3】でも取り上げた台風13号(テス)で中学校は大きな被害を受けます。

はっきりしたことは分かりませんが、運動会シーズン直前の災害で、無事に運動会が開催できたのでしょうか?
こんなことがあると、移転前の最後の運動会は、卒業生の心により一層輝かしい思い出となっているのかもしれません。
関連記事
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://contrapunctus.blog103.fc2.com/tb.php/561-344aa580
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック