青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
大津駅 おおつえき
所在地:大津市春日町?
開設年月日:1928(昭和3)年3月1日?
付近:(当時)国鉄大津駅 大津市観光案内所 滋賀大学教育学部附属小学校・中学校




『京阪自動車50年史』の年表で、「湖南汽船株式会社大津駅構内営業開始」の日付が1928(昭和3)年3月1日となっていることから、この日がバス停の開設日とみてよいのではなかろうかと思います。

旧大津市内線があった時代に、バスがどの辺りにどう停まっていたのかなどの情報は残念ながらよく分かりません。このため、特に「旧大津市内線の大津駅バス停」としての記事は書きにくいのですが、T.F.様が、旧大津市内線が走っていた当時現役だった、旧大津駅舎の貴重な写真を提供して下さいましたので、まずはそちらをご紹介したいと思います。

↓2枚とも1975(昭和50)年1月1日の撮影だそうです。

50-1-1大津駅

決して大きいわけではありませんが、特徴的な駅舎です。

50-1-1大津駅-2

滋賀県を主な舞台とする数少ない小説のひとつである芝木好子の『群青の湖』で、早くに両親を亡くした主人公・瑞子が、後見人である叔母・たまきと京都まで出迎えに来た婚約者である大室潮(うしお)とともに、1960(昭和35)年6月のある日、降り立ったのはこの駅舎だったのでしょう。ちょうどタクシーが写っていますが、小説でも、3人はここからタクシーに乗って、ひとまず琵琶湖ホテルに行ったということになっています。

当時から大津駅は優等列車に縁が薄く、東海道線の特急『こだま』は大津どころか静岡や浜松も止まらず、何と横浜、名古屋、京都にしか止まりませんでしたから、当時既に一旦京都まで行って普通列車で大津に戻るという乗り方が一般的だったらしいこともこの小説で分かります。

当時の駅の通路は、現在南北自由通路となっているこの地下道のようです↓

IMG_0532_20130926004232f5d.jpg

IMG_0604.jpg

この使われ方は、山科駅の改札の向かって右にある、駅北側の安朱地区とを結ぶ地下道と全く同じですが、山科駅の方が改築の歴史が古いのか、ネットで調べても昔の様子はよく分かりません。

↓現在でいうと、現行駅舎の東の端の近江鉄道バスの案内所などが入っている辺りから、下の写真の空き地までの辺りが旧駅舎跡だろうと思われます。

IMG_0610_201310260942003c3.jpg

ここにはコンビニエンスストア「ハートイン」があったはずですが、気が付いた時にはなくなっていました。

↓地下道の内部から大津駅方面を望みます。

IMG_0607.jpg

ホームの真下の位置は天井が高まっていますが、これは駅内部の通路だった時代の名残で、ここに階段があってホームに上がることができたのだと思われます。山科駅の通路も同様の構造ですが、未だに「京都 大阪 神戸方面」などと書かれた案内表示が残されていることが有名です。大津駅には残念ながらそういった遺構は残されていません。

駅のホームにも、当時の名残があります。

IMG_0611_20131026094157f09.jpg

「停車場中心」とあります。ここが距離の基準、ひいては運賃計算の根拠となるところですが、どう見ても駅の中心からは外れています。
ちょうど現在の地下通路の上なので、駅舎が改築される前は、ここが駅の中心線とされたのでしょう。
「停車場中心」はよほどのことがないと動かさないので――駅舎の改築も十分よほどのことだと思いますが――そのままになってしまっているのでしょう。

下手に動かすと、大津-京都間が今は計ったようにぴったりと10キロなのが、少し長くなってしまって、運賃がギリギリ190円のラインなのが、230円になってしまうかもしれません。もちろん、東側については、値下げになる駅もあるでしょう。

なお、ここまではリンクさせて頂いている「たけひろ」さんのページの、2009(平成21)年12月23日付記事JR大津駅 旧駅舎の名残などを参考にさせて頂きました。末尾になりましたが、たけひろ様、ありがとうございました。

ここからは、大津市内線があった当時の大津駅の様子が分かるような新聞記事をいくつか紹介させて頂きます。

1957(昭和32)年4月13日付京都新聞滋賀版に掲載された読者の投書↓

S32.4.13KS 大津駅前に欲しいバス待合所(投書)b

傘を差せばわざわざ案内所や駅で待たなくてもいい、といえばそれまでですが、傘を差していても雨の中でバスを待つのは確かにあまりいい心持ではありませんし、そもそもこの方が書いているように、県庁所在地の玄関口のバス停で屋根もないというのはやはりおかしいですね。

観光案内所は、今のように駅の中に入っているのではなく、1962(昭和37)年当時の地図で見ると、寺町通の入口付近、今、消費者金融や飲食店などが集まっている辺りだったようです。

なお、「県庁前のバス待合所が設けられた時の美しい話」については、この当時ちょっとした話題になっていますので、次の「県庁前」で取り上げます。

この状況を何とかしなければと思われたのか分かりませんが、翌1958(昭和33)年5月20日付京都新聞滋賀版には、大津駅を総合駅化し、高架で私鉄と連絡させるという夢のような、夢に終わった話が掲載されています。

S33.5.20KS 大津駅総合駅に、高架線で私鉄と直結b

何と京阪電車を高架で国鉄(JR)線を乗り越えさせて、膳所の市街地部分を廃止し、山手を走らせるという計画です。これでは国鉄とほとんど並行していて、採算性に問題があるような気がします。

大津駅前にはバスターミナルを作る、とあります。この時点でターミナルがないということが問題だと思うのですが、後々ターミナルというか、屋根のあるそれなりの乗り場は作られました。

その後、京阪電車と国鉄(JR)の連絡については幾度か話題に上がっています。上栄町付近で支線を分岐させて大津駅に伸ばすという案もどこかで見たことがあります。やるならば今の都市計画道路の工事と合わせてやるしかもうチャンスはほとんどないのではないかと思いますが、結局予算が足らなかったり、立ち退きが難しかったりでやりようがないのか、京阪とJRは中途半端な距離をおいて離れたまま、その隙間をうまく埋めるのがバスの役割のはずなのに、市街地の空洞化も相まって本数は減る一方という魔のスパイラルに陥っています。

でも、最近旧市街や湖岸の公園を生かして、ジャズフェスティバルその他の各種イベントを行っていて、そうしたことを契機に何かができるのではないか、と私は思っているのですが。

次は、県庁前です。
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コメント
この記事へのコメント
大津市の中心は?
大津市の中心はいったいどこなのでしょうね?
私鉄とJRの駅が離れていることはよくあり、その場合 大抵は私鉄の駅の方が中心、繁華街となっているのですが、JR大津駅も 京阪浜大津駅も。。ここ数年どんどん寂しくなるばかり。。
私鉄とJRが接続している石山駅も膳所駅も どうというこなく。。
西武やパルコのあたりが商業の中心地かと言えば首をかしげたくなり。。


ただ、先日 大津京駅に行ったら、以前より乗降客が増え、賑やかになっていたのには驚きました。

さりとて、、中心でもなく。。 ですね。
2014/06/05(木) 21:27:02 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
Re: 大津市の中心は?
> 大津市の中心はいったいどこなのでしょうね?

大津市の中心は京都だ、というのが私の冗談半分の持論です。
大津市の中に「内接円」があって、その中心点が当然のように大津市内にある、という構造でなく、大津市全体を外側から包む、「外接円」というか、別の大きな円があって、その中心点に京都がある、としばしばイメージします。

とはいいつつ、やはり浜大津が中心なんでしょうね。寂しくなったのは確かですが、もともと繁華街、交通の要衝としての機能があったのは、浜大津であり、そこから京都に伸びる東海道がいわば表通り、本通りなのではないでしょうか。

ただ、結果の良し悪しは別にして、膳所、石山との合併を皮切りに、市役所の移転、瀬田、堅田との合併、湖西線の開通など、核が見えにくくなる、拡散するような方向に動いてきたのは事実でしょう。
2014/06/05(木) 23:30:45 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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