青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
錦織町 にしこおりちょう
所在地:(北行き)大津市皇子が丘一丁目 (南行き)大津市錦織二丁目
開設年月日:?
付近:京阪近江神宮前駅 京阪電鉄大津列車区・錦織(にしごおり)車庫 大津錦織郵便局 錦織遺跡
 

ずっと、京阪電車の近江神宮前駅の最寄りのバス停は、「近江神宮前」だと思っていましたが、実際は地図を確認すると錦織町の方が近いことがわかりました。近江神宮前駅のウィキペディアでも、最寄りのバス停として紹介されているのは、この錦織町のバス停です。



車庫名について、敢えてしっかり読み方を書きましたが、現在、地名としては公式には「にしこおり」と読むようです。平安時代には既にあった由緒ある地名のようで、錦織氏など渡来系氏族が居住していた、ということです(『角川地名大辞典 26 滋賀県』P533)

近江神宮前からスタートします。

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↓駅を出て県道伊香立浜大津線に出る角に、大津京の錦織遺跡があるのですが、思わず「レーベかよ!」と内心笑ってしまった、丸い石。こんなこと言うと歳が分かるな…(汗。でも石を動かして、何のイベントがあるのかまでは忘れてしまいました。

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何なのか調べてもよく分かりませんでした。だからといって勝手に動かしてはいけません。

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南行きのバス停は、上の写真でも分かるとおり、遺跡のすぐそばです。2006(平成18)年6月30日撮影 南行きを北から望んでいるはずです。↓

00000554_20121022212823.jpg

この日は、皇子が丘以北の大津市内総合線が運行最終日でした。

00000555_20121022212823.jpg

当時は浜大津行きもありました。石山駅行きと並んで表記されています。

↓北行きはかなり南寄りにあります。写真にはうまく写りませんでしたが、その気になれば皇子ヶ丘のバス停が見えそうです。

IMG_0594.jpg

↓かなり傾いていることが分かります。

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↓ここまで来ると路線図が違います。子どもの頃も、坂本や三井寺などの路線図が、石山・南郷方面で見慣れたものと違っているため、ああ遠く離れたところに来たんだな、と思ったことを思い出しました。

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↓このバス停のすぐ北にある直角のカーブを左に、更にもう一度また直角のカーブを左に曲がると、次の近江神宮前です。

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コメント
この記事へのコメント
>思わず「レーベかよ!」

これはドラクエのことでしょうか?
丸い石で連想するものと言えばそれだったので。


記事の写真の錦織町辺りの県道伊香立浜大津線なのですが、
2年前に僕が大津京の遺跡を訪れた時に、
遺跡を説明する看板にあの狭い県道に中央線が引かれ2車線になっている写真があるのを見た記憶があります。

その時はあまり気にしなかったものの、後から考えたらけっこう貴重な昔の道路の様子を伝える資料だと思い、
今年の1月頃に西大津近くに行く機会があったので
、ついでにその看板の写真を再度見ようと探したところ見当たりませんでした。

その看板は無くなってしまったのか、僕の記憶違いだったのか...。


錦織町辺りの県道が2車線だったかの真偽は別として、狭い道を大きな車体のバスが通る光景は、
迫力というか、その運転技術というか、とても魅力を感じます。

失礼しました。

2012/11/19(月) 22:57:16 | おがまる | #dv9bwlk6[ 編集]
Re: タイトルなし
おがまる様、お世話になります。

> >思わず「レーベかよ!」

はい、仰るとおりドラクエⅢですね。あのくぐもったようなほわーっとしたBGMは昨日聴いたもののように思い出せます。弾こうとすると難しいので、やったことありませんが。たまにゲームすると、
「世の中にはこんなに面白いものがあったのか!」
と思って熱中してしまい、ブログもピアノも、はては仕事まで止めてしまいかねないので、今はほとんどしません。

> 記事の写真の錦織町辺りの県道伊香立浜大津線なのですが、
> 2年前に僕が大津京の遺跡を訪れた時に、
> 遺跡を説明する看板にあの狭い県道に中央線が引かれ2車線になっている写真があるのを見た記憶があります。

私は…もう6年前に行ったきりですが、気が付かなかったですね。

> 錦織町辺りの県道が2車線だったかの真偽は別として、狭い道を大きな車体のバスが通る光景は、
> 迫力というか、その運転技術というか、とても魅力を感じます。

そうですね、そこがいいところなんですよ。
山科の大石道・川田道なんかもそうですが、昔はボンネットバスはじめ、車体が比較的小さいものが多く、また、少々大型でもほかの交通量が少ないから、すぐに免許が出たんだと思います。今新たにこういう道路で免許を申請しても、なかなか通らないのではないかな、と思います。
2012/11/19(月) 23:27:46 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
ちょこっとコメントだけ。

錦織町付近の県道伊香立大津線ですが、元々中央線ありの2車線構成だったのですが、近年中央線が抹消されているのを確認しています。

少し専門的な話になりますが、道路の構造は「道路構造令」(気になる人は検索してください)で定められており、この付近では車線幅員を3m確保しなければならないはずです。ところが、車線幅員3m×2車線=6mを確保すると、歩行者の通行スペースである路側帯が確保できないため、中央線を抹消した者と思われます。

見た感じでは、路側帯1.0m+車道4.5m+路側帯1.0m=6.5mぐらいの幅でしょうか。

昔は歩行者の為の空間よりも車道優先だったのですが、最近は歩行者空間を優先させる傾向がありますね。地方によっては、歩行者空間をペイントして目立たせてるところもありますね。
2012/12/15(土) 10:17:57 | 膳テツ | #5sueVKG.[ 編集]
Re: タイトルなし
膳テツ様、いつもお世話になります。

> 少し専門的な話になりますが、道路の構造は「道路構造令」(気になる人は検索してください)で定められており、この付近では車線幅員を3m確保しなければならないはずです。ところが、車線幅員3m×2車線=6mを確保すると、歩行者の通行スペースである路側帯が確保できないため、中央線を抹消した者と思われます。

付近の土地や家屋を買収するのは大変だから、中央線がない道路にしてしまえば…とは何ともずるく見えますが、それが現実的なのでしょうか。

> 昔は歩行者の為の空間よりも車道優先だったのですが、最近は歩行者空間を優先させる傾向がありますね。地方によっては、歩行者空間をペイントして目立たせてるところもありますね。

そうですね。道路交通法は、建前は「歩行者優先」でも、特に高度経済成長期は、増え続ける物流をどのようにさばくかが重要で、歩行者など二の次三の次だったのでしょうね。また、道路の整備自体も全然追いついておらず、無防備な歩行者が事故に遭うケースが後を絶たず、1960(昭和35)年の流行語は「交通戦争」でした。「サザエさん」でも、交通戦争をテーマにした漫画がありました。
今年は特に通学路関係で重大な事故が相次ぎ、ますます歩行者優先の考え方が進むことが予想されますね。
2012/12/15(土) 11:18:48 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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