青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
義仲寺 ぎちゅうじ
所在地:大津市馬場一丁目
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:朝日山義仲寺 国際経営情報専門学校 西武百貨店大津店 大津市立平野幼稚園




「次は、義仲寺、義仲寺、西武百貨店前です」
と、西武百貨店大津店と義仲寺はセットのようにアナウンスされますが、義仲寺がどこにあるのか知ったのは、かなり後になってから、恐らく高校か大学時分ではないかと思います。
今は、西武百貨店の方がメインで、義仲寺の方が奥まっていて分かりにくいくらいですが、旧大津市内線が走っていた頃はもちろん、湖岸道路も西武百貨店もありませんから、義仲寺のすぐそばにバスが止まっていて、その名の通りのバス停でした。

湖岸道路にバス路線が載せ替えられた時に、バス停名を継承しようとして、多少無理が生じたのかもしれません。

↓バス停は、義仲寺よりやや西寄りにありました。こちらは石山方面を向いて撮影しています。

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↓浜大津方面
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↓義仲寺

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木曾義仲の愛妾・巴御前が義仲の墓所近くに草庵を結び、「われは名も無き女性(にょしょう)」と言って、供養に勤しんだことがこの寺の始まりと伝えられています。

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バス停名に採用されるような寺院ですが、実は終戦後から1965(昭和40)年頃の、ちょうど旧大津市内線が走っていた時代は荒廃していました。実際、そのせいかどうか分かりませんが、開通当初の新聞記事では「義仲寺」というバス停名は存在せず、「大津署前」と「馬場東町」の間は「馬場北町」となっており、何かのタイミングで変更されたのだと思います。

この時の荒廃は歴史上2回目で、戦国時代にも同様の存亡の危機があったそうです。

しかし、木曽義仲と巴御前、松尾芭蕉の墓があるような国指定の史跡であるような重要な寺院であるため、1965(昭和40)年頃に篤志家の手で天台宗系の単立寺院として再興されたということです。

↓木曽義仲の墓

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↓その傍らには巴御前の墓

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↓そして、松尾芭蕉の墓

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↓一番奥の「翁堂」には芭蕉の像が安置されているほか、見事な天井画でも有名です。

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↓寺の境内の出入口に近いところにはバショウが植えられています。

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松尾芭蕉の俳号は、このバショウという植物に因んでいます。

↓バナナそっくりの実

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一見バナナそのものです。これが大きくなったらバナナではないのか?と思ったのですが、種類は別のようです。ただ、同じバショウ科バショウ属だそうです。

なぜ芭蕉が、一見すると何の縁もゆかりもない義仲の隣に自分を葬ってほしいと言ったのかは諸説ありますが、恐らく源平合戦に大きな関心を持っていて、義仲の生き方に共感していたからだというのが、一般的な見方です。

確かに、人物を詠み込んだ句が少ない中で、
「木曽殿と背中合わせの寒さかな」
など、義仲を詠んだ句がいくつかあることは特筆に値します。

1694(元禄7)年旧暦10月12日、新暦11月28日、芭蕉は大阪で亡くなり、淀川の船と陸路でここに運ばれました。会葬者は門人など400名近かったと言われていますから、今の葬儀としてもかなりの規模です。

辞世の句は、
「旅に病んで夢は枯野をかけ廻(めぐ)る」
ですが、最後まで一つ一つの単語にこだわって推敲していたようです。

↓鹿威し(ししおどし)の音と、泳ぎ回る亀に、時間を引き戻されるような感覚を覚えます。

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↓外に出ると、百貨店と駅の間の喧騒がまた私を現実に押し返します。

旧義仲寺?石山向

右が膳所駅、左が西武百貨店ですが、私はこのまま直進します。

次は、馬場東町です。
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コメント
この記事へのコメント
義仲寺が琵琶湖岸にある写真をみた事があります。
湖岸道路が完成するまでは、この道が一番湖岸寄りでしたから、当然此処を走っていたのでしょうね。

昭和38年頃、父の運転で祖母宅へ行っていましたが、国道を通ってない時は此処を通っていたのかもしれません。
2014/06/09(月) 21:45:08 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
Re: タイトルなし
> 義仲寺が琵琶湖岸にある写真をみた事があります。

今となっては考えられませんが、確かにそうだとしてもおかしくないですね。

> 湖岸道路が完成するまでは、この道が一番湖岸寄りでしたから、当然此処を走っていたのでしょうね。
>
> 昭和38年頃、父の運転で祖母宅へ行っていましたが、国道を通ってない時は此処を通っていたのかもしれません。

そうですね、その時代だと湖岸道路はまだ部分的にしかできていないはずなので、国道1号線回りでなければ旧東海道でしょうね。
2014/06/09(月) 22:43:54 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
「木曽殿と背中合わせの寒さかな」について、芭蕉本人の句ではないのではないかというご指摘を頂き、確認したところ、島崎又玄(ゆうげん)という弟子の句だと分かりました。このような基本的なことで私としたことがとんだ失礼を致しました。
2014/07/07(月) 20:06:30 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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