青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。

大津の北端に尾花川といふ所がある。ここは野菜の産地で、畑から這ひ下りた大きな南瓜が、蔓をつけたまま湖の波の上に浮いてゐた。この剽軽(ひょうきん)な南瓜は、どういふものか夏になると、必ず私の頭に浮んで来る。(横光利一『琵琶湖』)



尾花川 おばながわ
所在地:大津市尾花川
開設年月日:不明
廃止年月日:2011(平成23)年3月19日
付近:大津市立皇子山中学校 皇子山総合運動公園・皇子山野球場 尾花川警察官舎 尾花川公園テニスコート 北別所自治会館
キロ程:


※時代によって、国道161号線沿いの「競艇場前」停留所を「尾花川」と記載している資料もありますが、ここでは市道幹2011号線(ヴュルツブルグ通り)沿いのバス停を取り上げます。



江戸期から続く地名で、大津百町の北端に当たります。といってももともと半農半漁の村だったと言います。さすがに百町の一部なので、明治31年の旧大津市制施行当初から、大津市の一部として扱われてきました。1966(昭和41)年に一部分が茶が崎となって以降、現在の範囲になっています(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P205)。

「大津百町の北端」と聞くと、現在の大津京駅の湖西線開通前の仮称が「北大津駅」だったこともうなずけます。

私は、どこで聞いたのか忘れましたが、尾花川、というとニンジンのイメージがあります。ニンジンの産地だと聞いたのです。実際はニンジンに限らず、野菜の産地として知られたようです。

現在はまとまった畑はほとんど見られなくなってしまいましたが、それでも、野菜の集荷場が今もあり、往時を物語っています↓

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また、『樅ノ木は残った』『青べか物語』『路傍の石』などで有名な山本周五郎の『日本婦道記』所収の「尾花川」という作品は、ここで暮らしていたという幕末の勤皇志士 川瀬太宰とその年上の妻 幸の夫婦を題材とした短編です。ここが倒幕運動の拠点の一つだったといいます。
「婦道」などというと家父長制社会で、「老いては子に従え」風の教え、或いは戦中の「銃後を守る夫人」の心構えかと思いますが、作者自身がそれを否定していて、日本女性の人間としての美しさに視点を当てているということです(大津市歴史博物館『大津の文学』P128 1993)
なお、川瀬の屋敷跡は今の皇子山中学校付近で、中学校の東側に石碑があるようです。

さて、バス停は、先ほども触れた市道幹2011号線「ヴュルツブルグ通り」沿いにありました。

↓浜大津方面

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↓近江鉄道バスのバス停の方が暫く後まで残っていました。

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↓2015(平成27)年4月現在

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跡形もありません。

↓対向車線から見た浜大津方面のポール

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↓なるべくアングルを同じにしたつもりだったんですが、ちょっとずれましたね。

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花がある季節のはずなのに、それもなくなってしまって、寂しいですね。

↓こちらは大津京駅、比叡平方面

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近江鉄道のバス停は、丸型ヘッドの浜大津方面と違って四角いです。
暫くは近江が孤軍奮闘していましたが…

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↓………

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↓………

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少し長くなりましたので、次回周辺の様子も含めて、改めて取り上げたいと思います。
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