青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
浜大津 はまおおつ
所在地:大津市浜大津一丁目
開設年月日:不明
付近:京阪浜大津駅 京阪大津ビル 浜大津港 明日都浜大津 スカイプラザ浜大津 NTT西日本滋賀支店(旧日本電信電話公社大津電話局) 旧大津公会堂 浜大津郵便局
 



浜大津は言わずと知れた大津市の中心街です。港の周辺はもともと大津城の本丸跡だということですが、今その痕跡はほとんど見当たりません。大津城はその後膳所城となり、大津城の跡は大津代官所となっていたそうです(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P766)
行政上の正式な地名となったのは意外に新しく1965(昭和40)年のことで、それまでは大津百町のうちの橋本町、御蔵町などの細かい町でした(同書P569)。ただ、京阪、江若、国鉄貨物の浜大津駅はそれ以前から浜大津駅でしたので、この辺りを「浜大津」と総称する習慣は古くからあったのでしょう。

『京阪バス五十年史』の年表を見ていると、時々「御蔵町」という地名が出てきて、何のことだろう、と戸惑うのですが、何のことはなく、これが浜大津の旧町名なのです(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P193)。1965(昭和40)年まで続きます。従って、「大津市御蔵町」と書かれているところは、浜大津のことだと思って読めば間違いありません。

IMG_5409.jpg

現在は、旧大津市内線があった当時の浜大津を彷彿とさせるようなものはほとんどなく、道路や鉄道の通り方も大きく変わってしまったため、どこにバスが止まっていたのかを正確に割り出すことはほぼ不可能と思われます。
1960-70年代の、旧大津市内線の末裔ともいえる「長等公園-名神大津/朝日ヶ丘住宅」系統などの写真がありますので、せめてその時代の雰囲気だけでも感じて頂けるよう、少しですがUPしたいと思います。全てT.F.様の撮影です。いつも貴重な写真、ありがとうございます。

滋2い886⑤

滋2い884+滋2か886

ボンネットバスと、その手前の小さいかわいらしいバスが共通運用で晩年まで三井寺方面などの狭隘路線に使われていたようです。
ボンネットバスでない方の小さいバスは三菱ふそう製のMR620といって、後の中型バスに通じるデザインですが、一旦こうしたタイプの車両は姿を消し、国分団地方面など、今は中型車が常識の路線でも、昭和50年代後半は大型車を使わざるを得ませんでした。実際、1983(昭和58)年2月21日付読売新聞には、富士重工ボディのいわゆる「カマボコ」が「国分団地」の表示で石山商店街を走行している写真が掲載されています。

↓こちらはカラー写真です。1975(昭和50)年3月2日の撮影です。

滋2か886 50-3-2浜大津

1975(昭和50)年3月2日の撮影、背景の工事中のビルは、当時の電電公社、今のNTT西日本滋賀支店のビルだと思われます。
このビルは今もあり、築年数の割には美しく、またデザイン的にも新しく見えます。下の写真の撮影日はよく分かりませんが、同じころだと思います。

PICT0008_20131026010332bf7.jpg

↓こちらも1975(昭和50)年3月2日の撮影です。

滋か888 50-3-2浜大津

旧大津市内線はこの7、8年前にはなくなっていますが、どうも1976(昭和51)年9月の内畑系統開通前後が大津営業所の歴史上の大きな転機のようで、全路線のワンマン化とこれに伴うボンネットバスなどツーマン専用車の廃車、そして長等公園系統などツーマンでなければ走行できない狭隘路線の廃止、香里団地を皮切りに始まった経路番号の導入などが行われたようで、この写真は正にその直前です。

↓1978(昭和53)年になると、もう長等公園の系統はなくなっていたはずで、朝日が丘系統も、滋賀女子高校の通学向けに西大津駅発着となっています。こんな大きな車体が走れたのか不思議です。

S531103朝日が丘

↓旧大津市内線が走り出して間もなくの1956(昭和31)年6月19日付読売新聞滋賀版に掲載された記事。

S31.6.19Y 浜大津総合駅案決まるb

この時に駅が整備できていたらどんなによかったかと思いますが、実際に京阪電車の石山坂本線ホームと、京津線ホームが統合されたのは、更に25年ほど後のことです。

バス乗り場は、駅前の整備計画に翻弄されながら、狭い場所を無理に使ったり、移動をしたりして何とか収めていたようですが、詳しいことは更に調べてみます。

次は、市役所前です。
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コメント
この記事へのコメント
浜大津
最寄のバス停は「三保ヶ崎」だったのですが、「浜大津」まで行くと本数や系統が多いので バスに乗るためよく利用したと思うのですが、何故か江若廃止後の記憶が薄いです。
江若の浜大津駅があった頃は、江若の待合所への石段に座ってバスを待ったものです。

電電公社は昭和50年でまだ建築中でしたか 増築中かな?
公民館(現大津公会堂)に図書室があった頃はよく行った場所ですが、いつの頃 電電公社が出来たか、以前は何があったかの記憶がありません。
2014/06/05(木) 20:29:00 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
Re: 浜大津
> 電電公社は昭和50年でまだ建築中でしたか 増築中かな?
> 公民館(現大津公会堂)に図書室があった頃はよく行った場所ですが、いつの頃 電電公社が出来たか、以前は何があったかの記憶がありません。

今、手元にある1966(昭和41)年版の住宅地図のコピーを確認したのですが、この時点で既に「大津電報電話局」と書かれていますね。
ただ、その時の建物がそのままだとすると、ちょっと新しすぎる気がするので、昭和50年頃、工事が行われているように見えるのは、同じ場所で建て替えているという可能性が一番高い気がします。そうでなければ足場を組んで外壁塗装しているのか、yume様がおっしゃるように増築中なのか、ですね。
登記を上げたらわかるんでしょうけど、そこまでするか、っていう話ですね。また「大津百町」展などがあったら、古い写真を気を付けて見てみます。

2014/06/07(土) 21:21:22 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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