青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
東レ前 とうれまえ
所在地:大津市粟津町? (大津市膳所別保町字林崎206-2番地)
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:東レ滋賀事業所


石山駅を越えて、最初の停留所は「東レ前」ですが、これは現在の「東レ北門前」ではありません。



1964(昭和39)年1月6日付の路線図、及び国立公文書館所蔵の、1954(昭和29)年10月3日付の「滋賀県大津市関清水町27番地-滋賀県大津市膳所別保町字林崎206-2番地」の5.1キロ区間の路線延長申請書類によると、「東レ前」というバス停は東レ北門前とは別に存在したことになっています。

これは申請書類に添付されていた図面です↓

東レ前

「煉瓦会社」というのが何なのかは、古い住宅地図を見てももはや何なのか分かりませんでしたが、東レ北門前より石山駅寄り、以前引き込み線の踏切があった辺りです。

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正にこの辺りの路上に「東レ前」という、今の「東レ北門前」とは別のバス停があったようです。ここで「東レ前」と言われても、門も何もなく、民家もないので利用するひとなどいたのだろうか、本当にこの位置なのだろうかと不思議です。

 
因みに、図の中で国道を渡っている橋のようなものは、東レ北門前のバス停のところにある歩道橋です↓

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そう、何とこの歩道橋、実はさりげなく60年以上こうしてここに存在しているようなのです。感慨深いというより怖いです。

私も図面を見て、嘘だろう!?と思いましたが、これしかこの図面の橋のような絵がふさわしいものはこの辺りにありません。

東レの職員用駐車場に通じていて、東レが自前で設置したものなのだろうと思われます。調査に同行して下さった膳テツさんによると、国や自治体が作ったものなら銘板があるはずなのですが、それが全くなく、構造もよく見ると他の歩道橋とは雰囲気が違います。ただ、それなりに補修はされているようです。

2011(平成23)年2月8日付拙稿1995(平成7)年2月8日 東レ専用線の踏切を列車が通る!、同年3月7日付拙稿道路標識だけに残る、バス路線の「亡霊」で取り上げた、東レ引き込み線の踏切の手前です。

↓「路線バス除く」の謎の標識のある道にいよいよ進入します。

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「路線バス除く」が生きていたその時代にワープするような気持ちです。

この道に入ったことは一度もないので、どこにどう通じているのか全く知りませんでした。

↓粟津の方向を眺めます。

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今となってはバスが走っていたことなどとても信じられません。

↓石山の方向を振り返ります。

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東レに別れを告げ、踏切を渡ります↓

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踏切を渡ってすぐにこの二又があります。これは昭和37年の地図にもちゃんと記載があり、右手が京阪粟津駅の方向です。バスは左の広い方向に走っていました。当時からこんなに広かったのかはわかりません。

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↓古くからありそうな理髪店の前を過ぎます。

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この辺りは目印になるようなものが少ない上、私がこの辺りの地理が全く分からないため、とにかくきめ細かく写真を撮って、撮ったその日に大急ぎで整理しています。この四つ角も、何の変哲もありませんが、昭和37年の地図には既に記載がありました。

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左に折れると、細い道の先にJRの踏切がありました。右はおそらく京阪の粟津駅の方向だと思われます。

四つ角を過ぎて振り返ると、JRの電車の窓からいつも見える、鉄道模型屋さんの「模型」という豪快な文字が近くに見えました。

IMG_0753.jpg

この道の方から入るんですね。

ここまで来ると、「粟津」はもうすぐです。

次は、粟津です。
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