青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
長浜港でちょっとしたハプニングはありましたが、よし笛合奏団の皆さんの演奏も心地よく、船は文字通りすべるように一路南進、多景島(たけしま)に向かいます。

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沖の白石以外の琵琶湖の天然の島3つの中で、最後に巡るのがここですが、最も行くのが難しい島だろうと思います。私自身が勉強不足なこともありますが、一番情報が少なく、分かりにくい島でもあります。



上陸なんてできず、船から見学するのだと思っていたのに、立ち寄ることが分かってうれしい驚きでした。

ネットで調べると、住所は「彦根市八坂町(はっさかちょう)」ですが、「Yahooロコ」では、多景島を中心にすると、「彦根市大薮町」と表示されます。尤も住所が必要なのは、島にある見塔寺(けんとうじ)だけです。お寺がある、ということもまた驚きでした。

私がフローティングスクールに行った時は、この島には立ち寄らなかったはずです。名前を知っているのは、この時に何がしかの説明があったからかとは思いますが、私のフローティングスクールは真冬だったので、島に立ち寄ること自体ができなかったのかもしれません。

現在も、定期船は3月から11月までの間、1日1往復、琵琶湖汽船のライバル「オーミマリン」が彦根からやってくるだけです。それも天候が悪いと運休です。

もっと本数の多い時刻表の写真が掲載されたサイトさんもありましたが、それは昔の話なのでしょう。
もしその船を利用したとすると、入島料200円を含んでいるのであろう運賃は往復1,720円で、「お手軽な彦根の観光のひとつとして」とありますが、あまりお手軽でない運賃です。平日や運休するほどでない天気の悪い日なんてほとんど乗客がいない時もあるでしょうから、そういうことを見込むと、損益分岐点がかなり高いから、運賃もお高めなのかな、と思ったりします。
そこへいくと、我らが島めぐりコースは、トータルは8,700円もしますが、距離や、昼食がついていることを思えば割安なのだろうと思います。

船が島に近づくと、有名な(と後で知った)題目岩が見えてきます。

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これは、この島に見塔寺を建てた長浜の妙福寺の日請上人が、3年がかりで岩の上からぶら下がりながら彫った、と言われています。一文字が米俵一俵分の大きさだということです。

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高さは10m、「南無妙法蓮華経」と書かれています。見塔寺は彦根城の裏鬼門に当たることから、井伊家とつながりが深く、今も井伊家代々の位牌が収められていますが、桜田門外の変で井伊直弼が殺害された時は、この文字から血が滲んだ、と伝えられているそうです。

↓いよいよ上陸です。船を撮影したいい写真がなくて、あとで確認してがっかり。

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ただ、撮影場所をどうしようかと困った気がするので、かなり草木が生い茂っていたのだと思います。

もともとは竹しかなかったという説があり、江戸時代には「竹島」と書かれていたようです。
しかし、彦根藩が岩だらけのこの島で寺が建立できるように、荒神山から土を運んで植物を持ち込んだため、今はいろいろな植物が生えています。

↓私たちのように、定期船でここに来るのでない限り、入島料が必要です。

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島は見塔寺の持ち物ということになっているようです。

↓見塔寺のお堂。

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無人島ではありますが、住職さんがいて電気も通じており、その気になれば生活できそうなスペースもありました。
しかし、いろいろなサイトさんの情報によると、住職は彦根から通ってくるようです。

↓島内で題目岩に向かおうとすると、このような狭い道を歩かなければなりません。左手は特に、もともとの植生と思われる竹が多いです。

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↓真下で見た題目岩。スケールが大きすぎて、写真に収まりかねています。

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↓そばにある日蓮の像

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↓付近から見た琵琶湖。向こうに見えるのは彦根の町でしょうか。

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↓島で一番高い位置にあってよく目立つ「誓いの御柱」。

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各面に、明治天皇の「五箇条の御誓文」が刻まれています。
「五箇条の御誓文」って何だったかな?という方、私も遠い記憶の片隅で眠っていましたので、調べなおしました。この五箇条です。

一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
一 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ


そういえばこういう内容だった、と思い出されるのではないかと思います。
1868(明治元)年3月14日、新暦では4月6日、当時15歳の明治天皇が、公卿や諸侯に示した明治政府の基本方針です。

大正時代、当時の滋賀県警察部長が寄付を呼び掛けて、日本のほぼ中心にあるこの島にこれを立て、平和を祈念した、ということです。

島の西側を回り込んで、南の方に抜けると、岬↓

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↓これからの人生の中で、もう一度ここに来ることがあるだろうか?

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思えば、人生で経験できること、行ける場所、見られるもの、聞けるものの何と限られたことか…。

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少し物思いに耽っていると、次は、いよいよ恐れていたあのイベント???が。
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