青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
片原町 かたはらまち
所在地:大津市逢坂一丁目
開設年月日:1928(昭和3)年3月14日設置、同26日営業開始
廃止年月日:2006(平成18)年7月1日
付近:関蝉丸神社上社 片原町自治会館
キロ程:上関寺から0.6キロ 梅林から1.5キロ




逢坂峠の大津側の上り口にあり「街道の片側だけに民家があった」ことによる地名です。現在も主に京津線の線路を挟んで、国道の東側に民家が多いものの、神社がある西側に建っている家もある他、国道の南側に、意外なほど住宅が密集しているところがあります。
1965(昭和40)年に住居表示制が施行されて、行政上の地名としては消滅しました(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P223)が、自治会の名前としては残っているようです↓

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この辺りから追分にかけては大津絵や大津そろばんが生産されていた場所としても知られています。

現在の町名は「逢坂の関」に因んで「逢坂」となっています。「逢坂」は読んで字のごとく、2つの坂が出会う峠、という意味だろうと言われています(『滋賀県の地名 日本歴史地名体系25』P133)。

逢坂関跡という碑がありますが、この場所だという確証はないそうです。峠が少しでも緩やかになるように、近世に繰り返し道が掘り下げられたことも特定しにくい大きな要因のようです。
枕草子には「関は逢坂、須磨の関、鈴鹿の関」と書かれ、更級日記にも「相坂の関のせき風吹く声はむかし聞きしにかはらざりけり」とあります(『滋賀県の地名 日本歴史地名体系25』P135)

江戸時代にはここを経由しないで山中越えなどを利用する荷物も多かったことから、大津の株仲間商人などが、大津を迂回する商品流通の禁止を幕府に訴えたこともあるそうです。今ならこんな要望をするという発想自体誰にもないでしょうし、悔しければ通ってもらえるようなサービスをしろという話でおしまいだと思いますが、また幕府もその方が安定した税収を齎(もたら)すとでも考えたのか、1837(天保8)年、あの水野忠邦が、逢坂越え以外の道の使用を禁止し、南郷、関津、逢坂越えの北側を通る小関越えの入口、唐崎など7か所に間道使用禁止の制札が立ったのだそうです。

近世以降だいぶ切り開かれ、掘り下げられたという逢坂峠ですが、それでも大津側からは登坂車線が設けられています。

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京都側からも必要なのではないかと思います。しかし、歩いていると、「追い越し車線」と勘違いしているような運転をするドライバーがちらほら…。

↓名神は耐震工事中でしょうか?

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機材をどうやって持ち込んでいるのか不思議です。

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取材は昨年5月のGWに行っていますが、どうもGWが明けてから、天気がいいのに唐橋前付近の渋滞が激しかったのは、名神の工事で通行止めや車線規制が行われた影響かと思われます。

ここのバス停跡は非常に分かりやすいです。

↓浜大津方面は、関蝉丸神社上社の前にポールがあり、廃線直前は「関蝉丸神社前」という副停留所名がありました。

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↓何が分かりやすいかというと、このようにポール跡を埋めた跡があるのです。

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また、他のサイトさんで、ポールがあった時の写真がUPされていたのですが、それと引き比べてもこの位置でまず間違いなさそうでした。

↓社殿

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↓社殿の下、鳥居の辺りから大津方面の眺め。

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↓京都方面は数十m京都寄りなのですが、こちらもポールの跡がはっきり残っているので分かりやすいです。

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↓ここで浜大津方面を望むと、両方のポールが望めたことでしょう。

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↓京都方面を望む

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京都方面のポールを書き込み忘れてしまいましたが、信号の真下に写っている手前の縁石の辺りがバス停跡です。


ここまでが大津市立逢坂小学校の学区です。これを過ぎて大谷に入ると、私もあまり意識したことがなく調べて驚いたのですが、もう藤尾小学校区になります。

取材に同行して下さった膳テツさんと、こんなところから逢坂小学校まで通うなんて面倒臭いなあと話し合いましたが、あとで調べると、片原町でも一番国道から奥の住宅密集地から小学校まで約1.4‐1.5キロ程度で、南郷小学校から上千町のバス停までの2キロ強、石山小学校から石山団地のバス停までの約1.8キロに比べれば短いことが分かりました。ただ、家と人通りが少なくて、車が多いことが決定的に違います。

なお、どういう系統かはっきり分かりませんが、浜大津を経ずに直接石山方面から来る系統もあったことが1964(昭和39)年の段階では存在しており、その系統が合流するのがこの片原町でした。

次は、大谷(三条京阪方面)/梅林(検察庁前・石山駅方面)です。
※本シリーズとしては次回は大谷に向かいます。
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