青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。

三條橋畔から出る電車に乗ると、四十分ほどで大津の終端驛まで伴れて行つて吳れた。この間は槪して昔の街道で、感じが何とも言はれずなつかしい氣がした。毘沙門から追分邊(あた)りには、まだ昔の面影が殘(のこ)つてゐはしないかと思はれた。
(田山花袋「大津まで」『京阪一日の行樂』P604)



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追分 おいわけ
所在地:大津市追分町
開設年月日:不明
廃止年月日:
付近:大津警察署藤尾交番(旧藤尾駐在所) 本門佛立宗佛立寺 光明山摂取院 京阪京津線追分駅 追分会館 (現在ないもの)京阪バス旧大津営業所 大津市立藤尾小学校 京都産業大学追分寮 京都産業大学すみれ幼稚園追分グラウンド
 



「新宿追分」「草津追分」など、全国各地に分布する「追分」地名ですが、いずれも道路が分岐する場所です。ここの追分は「髭茶屋追分」または「山科追分」といって、東海道と大津街道(伏見街道)の分岐点です↓

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バス停跡、及び京阪追分駅の南です。

東海道の本線はもちろん三条大橋に向かいます。大津街道は、勧修寺を通って、京阪バス山科営業所の2号経路(醍醐バスターミナル-竹田駅東口)が通って名神沿いに山を越える、「大岩街道」に重なって伏見から大阪に抜けます。参勤交代の大名は、必ずこちらを通らされていたそうです。京都の中心を通って勝手に朝廷と結びつかないようにする狙いがあったと言います。

どうしてステンレスのカバーなんてかかっているんだろう、と思ったら、何と当て逃げで折られてしまったところを保護しているんですね↓

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ここは、大津方面から洛和会音羽病院に向かう時に、誂(あつら)えたように実にちょうど良い抜け道なので、道幅の割に通行量が多いのです。もちろん、病院に向かう車が当たったと決めつけることはできませんが、施設の性格上深夜も出入りがあるので、人目に付きにくい夜遅くに当て逃げされたとか、そういう状況かなと思ったりします。

「文化財的価値はない」…そうかな…もちろん税金ですし、何でもかんでも文化財と言っていたらきりがないのは分かるのですが。

話がそれましたが、追分は、東海道線の旧線や、京津線によって町が削り取られ、それまで大賑わいだったのが衰退してしまったそうです。(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P152-153)
冒頭に引用した田山花袋の随筆は、旧東海道線の時代だろうと思われます。

「追分」は「負分け」だという説もあります。
京都の仏師・安阿弥が、東国の僧の依頼で作った仏像を手放すのが惜しくて、ここで別れを惜しんでいると、仏像がに対になり、安阿弥は一体を背負って持ち帰ることができたから「負分け」だというのですが…(『滋賀県の地名 日本歴史地名体系25』P134)。

↓さすが府県境ですね!

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でも、この標識、作成担当者が何を考えて何を表したかったのか、さっぱり分かりません。

写真に写っている右側のお宅は京都市側で、左側は大津市側、私が建って撮影している側、つまり北側の並びは大津市です。それが全く表せていないのです。

1982(昭和57)年1月13日付京都新聞滋賀版の「まち点描⑫ 県境今むかしその1」で、ここ追分町が取り上げられています。記事によると、当時で7軒ほど、家の表は大津、裏は京都という家があったそうで、税金は京都と大津に別々に納めているのだとか。別々に納めているのは恐らく固定資産税ですね。こういう場合の住民税は、玄関がある側又は台所があって、郵便物に表記する住所を基準にするのが普通だったと思います。

それぞれの行政サービスの外れで、住民が強く要望しないとなかなか役所が動いてくれない悩み、公共料金などの高い安いが住民同士で諸に分かることなど、他の地域では見られないいろいろな問題があることが分かります。

バス停の話に入りましょう。はっきりしたバス停位置が確認できる1983(昭和58)年以降の版の住宅地図では位置が変わっていません。

↓まず、浜大津方面のバス停

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国道を渡る歩道橋の東側の下り口のところ、現在名神高速道路の耐震工事をしている場所にバス停がありました。
今も路線があったら、バス停は移転せざるを得ない状況だっただろうと思います。

なお、現在は工事の関係で、大津方面の車線が塞がっているので、本来京都方面の車線を臨時に大津方面とし、側道を京都方面としています↓

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従って、京都方面のバス停跡から見ると、バスはこのような赤い線の軌跡を描いてやってきたのだろうと思います↓

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↓京都方面のバス停は、本門佛立宗佛立寺前にありました。大津方面を望む

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↓京都方面を望む。

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ここから西は、京都市の敬老・福祉乗車証が使用できました。
使用の可否をバス停の所在地だけで杓子定規に決めるなら、2つ先の四ノ宮からのはず(緑ヶ丘は大津市と京都市に跨っている)ですが、京津国道線は追分から、西大津バイパス線は藤尾奥町からが適用範囲となっています。
杓子定規な方が運用上は分かりやすいし、私はそういうのも嫌いではないのですが、この辺りは府県境が複雑に入り組んでいて、ところによっては京都市側に住んでいてもほんの数分歩いて毎日大津市側のバス停からバスを利用する、などということは当然の行為であるため、そういう利用があり得るところが範囲に含まれているのでしょう。

京都市域共通回数券も同じなのでしょうか?淀長岡京線は長岡京市内発着は不可なので、同じように考えるなら、京都市内から乗車すれば大津市内で下車しても共通回数券が利用できるのでしょうか?実際、運転手さんが気付いていなかっただけかもしれませんが、昔、比叡平で京都市共通回数券で下車しているひとを見ましたが…。

ネットで検索しても、適用範囲の情報は出てきませんが、そういうことは明らかにしておいてもらいたいものです。

ところで、古い写真を見ると、京阪追分駅の脇に浜大津方面のバス停があることになっています。
これについては、次回取り上げます。
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