青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
赤川 あかがわ
所在地:大津市千町一丁目
開設年月日:(京阪バス)不明
      (京阪宇治交通)1962(昭和37)年11月1日?
廃止年月日:(京阪宇治バス)2008(平成20)年11月1日
付近:関西アーバン銀行(旧びわこ銀行)南郷支店 フレンドマート南郷店
キロ程:平津から0.4キロ(石山駅から4.3キロ)


赤川は、この沿線、ひいては大津営業所管内のバス停ではトップクラスの乗降客数だろうと思われます。推測ですが、千町一丁目のうち中千町や北千町から遠い千丈川下流の住民、千町二丁目(第二グリーンハイツ)、赤尾町のうち比較的標高が低い東寄りの住民が集まっているようです。
平津と違って南中系統の沿線までの距離が長く、もともと住宅街、集落の層が厚いため、ひとの集まる範囲が広いのではないかと思いますが、それでも、南中系統ができてから、だいぶ分散するようになったと近所の古くからの住民や、この停留所を利用してきた同級生から聞いたことがあります。

石山寺山門前から続いた特区の末端で、ここから新たに新浜までが別の特殊区間制特区です。



1972(昭和47)年3月3日付読売新聞滋賀版「わが町再見」では、住居表示施行前の「石山千町」について、

田畑の間に松林が点在する純農村地帯の風景は、いまも変わらないが、古くは西国三十三か所巡礼のメーンルートがこの町を通っていた。(中略)
ほとんどが昔ながらの農家。カヤぶき屋根も多く、開発の波もまだここまではとどいてはいない。しかし、ところどころに建ちだした近代的住宅が、古い“巡礼道”のふん囲気をおかし始めている。



と書いています。南郷小学校開校7年前のこの段階で、まだこういう状態なのかと驚かされます。その頃の景色が見てみたいです。
千丈川沿いの茅葺屋根の家の写真も掲載されていますが、もはやどこなのか私でも見当がつきません。ただ確かに私が子どもの頃でも、まだ茅葺の家が何軒かは残っていました。

この記事が出た4年後の1976(昭和51)年に住居表示が施行されたということは、もうかなりまとまった住宅地となっていた、或いは都市計画上、市街化区域とされたということなのかもしれません。

↓乗降扱いするW-1202と石山駅方面のポール。
IMG_4271.jpg

↓大石小学校方面

IMG_4273.jpg

↓1984(昭和59)年版の住宅地図までは、今より数十メートル北、「おうみ進学プラザ」前にポールがあったことになっています。

IMG_5603.jpg

↓南を望んで撮影しています。左に見える植込みの前あたりだったのだろうと思われます。右手に石山駅方面のポールが写っていますから、真向かいに近い位置だったのでしょう。

IMG_6094_20130505232953.jpg

ただ、私もよく分からなかったので、いつもお世話になっているMETEORさんにも聞きましたが、このような位置にあった記憶はない、とのことでした。ただ、複数年度にわたってこの位置で書かれていたので、単なる間違いということではなく、古いデータが更新されていなかっただけで、実際、もっと以前にはここに本当にあったのかもしれません。

IMG_4272.jpg

なお、「赤川」は南郷、千町の小字で、古文書では「赤川村」とされているものもあるそうです(『滋賀県の地名 日本歴史地名体系25』)。小字は不動産の登記など、特別な時にしか目にしないことが多いですが、赤川は今も浸透している小字で、交差点名にも採用されています。

IMG_5602.jpg

最近、大津市内の交差点名は「〇〇西」「〇〇東」といった個性がなく味気ないものに変わっていますが、赤川は行政上の正式な地名としては使われていないのに、なぜかそのまま残されています。

「赤川」という地名は、「赤い川」ではなく、石山の閼伽井(神様に捧げる水を汲む井戸)が水源だったから、「閼伽川」と書かれていたのが、「赤川」に転じたのだろうということです。
「閼伽」の文字を見ると、私は中学校で初めて触れた古文である、徒然草第十一段の
「閼伽棚に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに、住む人のあればなるべし」
という一節を思い出すのですが、「閼伽棚」も神に供えるものを置く棚のことです。

「閼伽川」は、『角川日本地名地名大辞典』 25 滋賀県』では「陀羅尼川」のことだろう、と書かれていて(P57)、私たちが慣れ親しんでいる「千丈川」という名前は全く無視されていますが、今、誰も千丈川のことを陀羅尼川なんて呼びませんし、市販されている地図にもそんなことは書かれていません。書かれている内容から考えると、どう見ても千丈川のことだろうと思われます。

↓河口付近。川にはウグイかハヤらしい魚影がよく見えます。ホタルが多いことでも有名です。

IMG_6100.jpg

国土交通省近畿地方整備局琵琶湖河川事務所の公式サイト内「B-MAP」及び「B-BOX」の「昭和31年の瀬田川に流入する千丈川の様子(資料番号A07070B00002)」の写真が、何も意識して撮ったわけではないのに、ほぼ同じアングルで驚きましたが、もっと驚いたのは、この当時で既にコンクリート護岸されていて、基本的に今とほとんど様子が変わらないことです。今桜の木がある辺りには松の木があったようです。

※画像への直接のリンクはできないので、お手数ですが、赤字の写真タイトル、又は資料番号をB-BOXのキーワードに入れて下さい。
もしご興味がおありなら「瀬田川洗堰」「石山寺」など、お好きなキーワードを入れて下さい。昔の洗堰の写真、南郷の様子などが見られます。


↓こちらは逆にバス停のそばから上流を眺めています。右に見える道を、約20年前まで8号経路(上千町-赤川-石山駅/国道市民病院/市民病院前)が走っていて、赤川で合流(分岐)していました。

IMG_5896.jpg

↓まんたろう様が廃止前に撮影されていた貴重な写真を再掲します。

ssH2.5.18 千町口‐赤川

↓現在の同じ地点



他の写真は2011(平成23)年2月20日付拙稿「見よこの狭さ!? 8号経路「千町バス」の写真発見!」という今にして思えば仰々しい、恥ずかしいタイトルの記事にUPさせて頂いておりますので、宜しければご覧ください。

次は、南郷一丁目(南郷・大石方面)/千町口(上千町方面=1993年廃止)/南郷二丁目東(南郷中学校行きのみ)

※本シリーズでは「南郷一丁目」に進みます。
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コメント
この記事へのコメント
話がそれてますか?
石山方面バス停の横に、かつて「コンビニエンスストア ともや」がありましたね。バスに乗る前に、お菓子やパン、そしてバスの回数券など買った記憶があります。
いつしかビルになっていて「コンビニエンスストア ともや」もなくなってしまいましたね。
当時「ともや」の看板に書いてあった「コンビニエンスストア」という文字が幼い頃、どういう意味なのか分かりませんでした。
今では普通に使っている言葉なのですが当時この言葉を使うという事は画期的だったのかな?
 
2013/05/21(火) 23:14:37 | まんたろう | #-[ 編集]
Re: 話がそれてますか?
いやいや、話をいつも広げすぎているのは私ですからw 走っている車両も大事ですが、私が興味を持っているのは、車体ではなくて「走っている環境」なので、周囲の情報がありがたいんです。

> 石山方面バス停の横に、かつて「コンビニエンスストア ともや」がありましたね。バスに乗る前に、お菓子やパン、そしてバスの回数券など買った記憶があります。

今、肉屋さんと花屋さんが入っている小さなマンションの場所ですね。
「ともや」…。南郷プラザができるまでは、南郷学区内で一番大きな店だったかもしれませんね。
今、ネットでいろいろ検索してみたのですが、何もヒットしません。もうみんな忘れてしまったのでしょうか?

> いつしかビルになっていて「コンビニエンスストア ともや」もなくなってしまいましたね。

いつの間にかなくなっていましたね。住宅地図を年度順に遡ってみると、ある程度は分かると思います。

> 当時「ともや」の看板に書いてあった「コンビニエンスストア」という文字が幼い頃、どういう意味なのか分かりませんでした。
> 今では普通に使っている言葉なのですが当時この言葉を使うという事は画期的だったのかな?

今ウィキペディアを見たら、1962(昭和37)年の中央線多治見駅にできたコンビニが「コンビニエンスストア」ということばの使われた店の確認できる最初の事例のようです。ある程度世間一般に認知されるようになるのは、やはり1980年代以降のことでしょうね。

石山団地に「ローソン月の里店」ができた、という古い新聞記事を見て一応コピーを取っておいたはずなのですが、今見当たらないので、それがいつのことなのかの確認ができません。出てきたらまたお知らせします。
2013/05/22(水) 00:51:33 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
お久しぶりです。
お久しぶりです。
近所の事検索していてたどり着きました(笑)

コンビニエンスストア「ともや」
まだコンビニなどなかった時代に「コンビニ」ってどういう意味なんだろ?と思っていました。
お肉屋さんが入っておられたのですが、現在は おっしゃっているビルでお肉屋さんをしておられます。
魚屋さんも入っておられました。
お買い物のビニール袋には、2.3人の子供が笑顔で並んでいるかわいい絵が描いてありました。

現在は浜大津方面行 赤川バス停の奥でお寿司屋さんやっておられます。

また「コンビニエンスストア」になる以前から「ともや」という屋号でお店をやっておられました。
一応 食料品は揃うお店でした。

ちなみに 以前出ていた 千町バスの千町口のところには「みどりや」さんがあって 最盛期にはショーケースに入ったケーキ(ヤマザキ)ショーケースに入った乳製品(グリコ)その他食良品がありました。アイスクリームも店頭に並んでいました。
子供が小さいころ 便利に使わせてもらっていました。
現在は住宅になっています。
2017/02/15(水) 16:55:36 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
Re: お久しぶりです。
こちらこそご無沙汰しています。

> コンビニエンスストア「ともや」
> まだコンビニなどなかった時代に「コンビニ」ってどういう意味なんだろ?と思っていました。

かなり古い店でしたね。一応、1970年代にはコンビニエンスストア、ということば自体なくはなかったようです。今の形に落ち着くまでにはそこからまだだいぶかかりますね。

田中食肉店はもともとともやの中に入っていたんですね。ともやはほとんど入ったことがないので知りませんでした。

> また「コンビニエンスストア」になる以前から「ともや」という屋号でお店をやっておられました。
> 一応 食料品は揃うお店でした。

どのくらい昔からあるんでしょうね。一度古い住宅地図を見てみます。

> ちなみに 以前出ていた 千町バスの千町口のところには「みどりや」さんがあって 最盛期にはショーケースに入ったケーキ(ヤマザキ)ショーケースに入った乳製品(グリコ)その他食良品がありました。アイスクリームも店頭に並んでいました。

うっすらと名前が記憶にありますが、そこまでいろんな商品があったような記憶はありません。自動販売機が並んでいるのが、店舗だった名残ですね。
2017/02/16(木) 22:46:14 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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