青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
岩山 いわやま
所在地:京都府綴喜郡宇治田原町岩山辻出
開設年月日:1922(大正11)年10月1日
廃止年月日:不明
付近:京阪宇治交通発祥の地石碑
キロ程:下手から1.3キロ(石山駅から18.6キロ)




岩山と言って何をさておいても忘れてはならないのは「京阪宇治交通」発祥の地の石碑でしょう。

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すぐ後ろがフェンスのため撮影がしにくく、アングルが悪くて申し訳ないです。

 郷土の発展を願い、細谷長太郎 藤永萬太郎 山本重郎兵衛 島本徳次郎 4氏により、宇治田原自動車商会が設立され、大正11年(1922年)10月1日、この地から岩山~青谷~大久保~宇治間のバス運行が開始された。
 その60周年に当たり、創業の地に碑を建て、先覚の志を継ぐことを誓うものである。
          昭和57年10月 京阪宇治交通株式会社



旧京阪宇治交通株式会社、京阪宇治バス株式会社の登記上の本店は、この地点でこそありませんが、今も宇治田原町岩山ということになっています。なぜそこなのかよく分かりませんが、旧本社社屋か何かの跡なのでしょう。

京阪宇治交通株式会社の社史『地域とともに60年』(京阪宇治交通株式会社編 1983)を読んでいたら、思いがけないことが分かりました。
石碑にもその名が刻まれる藤永萬太郎は何と、京阪バスの前身の前身ともいうべき大石自動車商会の代表者・藤永弥治郎の兄に当たる禅定寺の有力者なのだそうです。もちろん、創業当時、会社はお互いに赤の他人でしかありませんが、この後40年近い時を経て同じ京阪傘下に入ろうとは夢にも思わなかったことでしょう。

↓今も中途半端なところで道が広くなっていますが、ここが石山線宇治方面のバス停だったようです。

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↓そこから進むと、宇治方面と旧湯屋谷・茶屋村方面の分かれ道です。

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↓旧道を走るバスがなくなっておよそ30年は経つはずですが、未だにところどころに「路線バスを除く」の補助標識があります。

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↓「左 石山道」の石碑、禅定寺、石山寺、大津までの距離が示されています。

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↓長山口方面のバス停ポールは、この商店の前辺りにあったようです。

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『地域とともに60年』P52に、思いも寄らないことが書かれていて慌てました。
1953(昭和28)年8月15日の山城水害によって、禅定寺川が氾濫し、当時の車庫などが大きな被害を受けたのです。そればかりでなく、川の付け替えまでせざるを得なくなり、当時街道の南側にあった車庫なども撤去しなければならなくなりました。

↓水害前は、どうも私が下の写真に青で書き込んだ辺りを大きく蛇行していたようです。

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道路は恐らく当時とほぼ同じ位置です。発祥の碑がある辺りは川だったのだろうと思います。
そのまま街道の下をくぐって、数十メートルほどで現在の流路の位置につながるようです。

地形図で見てみます。

↓国土地理院1:25000地形図 「宇治」大正11年測量27年発行

岩山S27

この図だけだとよく分かりませんが、禅定寺から下りる道にへばりついて流れているようには見えます。

↓しかし水害より後の図と比較するとよく分かります。

岩山S36
(大正11年測量昭和36年修正 「宇治」 1:25000)

↓大正11年測量昭和54年第2回改測昭和55年発行「宇治」 1:25000

S55岩山

「宇治方面と旧湯屋谷・茶屋村方面の分かれ道です。」と書いた5枚目の写真のお宅は、構えからしてこの当時に既にあったとしてもおかしくないお宅で、このお宅のすぐ東側を川が流れていたのではないかと思います。

↓現在は片隅に電話ボックスのある草生した空地です。

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この土地が、今も京阪宇治バスのものなのか外から見る限り全く分かりません。

↓新しい禅定寺川のすぐ東のお宅の辺りが、水害の頃までは宿舎だったようです。

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↓先ほどから写真に写りこんでいる空地の中のこの倉庫のような建物も、京阪宇治交通に何か関係のあるものなのかどうか、全く分かりません。

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↓旧街道から禅定寺川を遡って最初の橋から、旧街道方向を眺めています。だいたいこの橋の辺りから右の方に川が蛇行していたようです。

DSC_0071.jpg

↓逆に旧街道の橋から上流を眺めています。

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今は穏やかで、60年前の恐ろしい災害を思い起こさせるようなものは残されていません。

次は、維中前です。
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