青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
京阪宇治駅 けいはんうじえき
所在地:宇治市宇治乙方
開設年月日:1952(昭和27)年2月1日(京阪バスとして)
廃止年月日:?(京阪シティバス・京阪宇治バスにて存続)
付近:京阪宇治駅 宇治橋 朝日山平等院 橋寺放生院 宇治市源氏物語ミュージアム 興聖寺 関西電力宇治発電所 宇治神社 宇治上神社 宇治カトリック教会 三室戸保育園


宇治に着きました!月1回の「連載」をして参りました、宇治川ライン線生誕35周年の企画も今回が最後、毎年今日、勤労感謝の日が最終運転日でした。

1995(平成7)年に移設し、翌年に駅ビルが新築された京阪宇治駅は、決して大きくはないながらもさっぱりとしたきれいな作りで、駅前の広場も路線バスの方向転換がしやすく、機能的です。

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私は昔の京阪宇治駅を知らないのですが、1980(昭和55)年版の「吉田地図」の住宅地図を確認して、2012年現在の住宅地図と比較すると、以前の宇治駅は今のバスターミナルの辺りまであり、駅舎は今のバスターミナルの入口辺りだったようです。はっきり分かりませんが、宇治車庫、黄檗駅方面のバス停のポールがあったのは恐らく上の写真でいうと、駅前を横切るバスターミナル入口の横断歩道上だったのではなかろうかと思われます。
ここまで景観が変わってしまうと、もはや正確な測量記録か何かなければ、定点撮影はほとんど不可能になってしまいます。



「宇治駅 改築前」などをキーワードにして検索すると、数は決して多くないものの、以前の宇治駅舎と、その前に京阪バスのバス停ポールがある様子が写った写真が何枚かヒットします。

駅前が狭い、いわば「通過型のターミナル」だったので、京阪宇治バスについては入出庫のみならず、方向転換を意図して1つ先の宇治車庫発着が多く、意外と京阪宇治行きというのは少なかったと思います。

去年3月21日付拙稿1977(昭和52)年3月21日 宇治川ライン線開通でも書きましたように、京阪バスの宇治川ライン線の乗務員も、京阪宇治交通の宇治車庫で休憩して折り返していたようです。T.F.様からご提供頂いた写真を再掲させて頂きます。

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現在の宇治は、淀宇治線(京阪宇治バスにおいては宇治淀線)において京阪シティバス↓が出入りする以外、圧倒的に京阪宇治バスが多数派ですが、今年2月2日付拙稿京阪バス 宇治乗り入れ60年でも書きましたように、昭和20年代には京阪バスも普通に走っていて、その後幾多の路線調整を経て、現在の姿になっております。因みに、この時の京阪バスの宇治乗り入れに関わるものと思われる免許申請書類や、淀宇治線の免許申請書類は東京の国立公文書館で閲覧することができます。

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JRの宇治駅の方が古来のいわゆる「宇治郷」即ち宇治の旧市街や、市役所、宇治警察署などの官公庁には近いですが、宇治橋や平等院といった主な観光地には、京阪宇治駅の方が近いです。

宇治橋からの眺め…。

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大津市の特に南部や京都市内からだと、宇治くらいなら毎日でも普通に通勤通学できますが、さすがに百人一首第64番の、

朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木(権中納言定頼 『千載集』冬・419)

の情趣を本当に味わうのは結構大変なことで、私は宇治に来ると宇治橋からこの歌を思い出しては、目を閉じてその風景を想像するばかりです。清少納言「枕草子」「冬はつとめて(早朝)」といっていることはあまりにも有名ですが、やはり冬に関する美意識というのは古典文学では共通しているのでしょうか。

「宇治」の地名は、「憂し」に通じると言われ古来から、悪く言えば都落ちする悲しいところ、世を儚んでひっそり暮らすところ、というイメージがあり、百人一首第8番、喜撰法師の、

わが庵(いほ)は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり (『古今集』雑下・983)

においても「宇治」「憂し」が掛詞(かけことば)にされています。

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(「宇治神社」にて)

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(「宇治市源氏物語ミュージアム」にて)

しかし、よく言えば別荘を構えて穏やかに生活するところでもあり、源氏物語の宇治十帖などにそのイメージがよく表れています。

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(「宇治市源氏物語ミュージアム」にて)

実際には「宇治」の由来は、山と巨椋(おぐら)池に囲まれた「内側」で、「うち」が「うぢ」になったとか、「ウサギが通るようなけもの道」で「うさぎみち」から「うじ」(そういえば宇治市内の地名「莵道」をあえて「うじ」と読ませることもあります)など、いろいろな説があり、「憂し」説よりはそれらの説の方がどうも有力なようです。

そんな佗びも雅びも全て蹴散らしたのが1184(寿永3)年の宇治川の戦いで、源義仲と、源頼朝から派遣された源義経らが合戦し、多くの血が流されました。

ところで、まだ石山駅方面のバス停位置について何も触れておりませんでした。

1980(昭和55)年の「吉田地図」の住宅地図を調べてみると、現在の「宇治橋東詰」交差点、つまり駅前のバスターミナル出入り口の交差点の南東の角の、回転寿司店のある位置と、拡幅された歩道の一部が「京阪宇治交通待合所」だったようです。

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ここから宇治川ライン線や、京阪宇治交通の石山線の「石山駅」行きや、或いは「大石小学校」行きが発着していたことを物語るようなものは、もはや何もありません。全て遠い昔です。

今回の企画の取材に協力下さったまんたろう様や、いつも写真を提供して下さっているT.F.様に改めて感謝申し上げます。

春日山おどろの道も中たえぬ身をうぢばしの秋の夕暮 (藤原家隆 壬二集)

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