青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
宇治車庫 うじしゃこ
所在地:宇治市莵道荒槙
開設年月日:1963(昭和37)年7月11日?
改称年月日:1968(昭和43)年3月29日 (「三室戸車庫前」を改称)
付近:京阪宇治バス宇治営業所 京都翔英高校 源氏物語ミュージアム
キロ程:京阪宇治から0.3キロ


終点、宇治車庫に着きました。



もともと京阪宇治が通過型のターミナルで、ゆっくりバスを留置できるようなスペースがないというのが京阪宇治行きというバスが比較的少なかった大きな理由かと思ったりします。また、久御山方面と太陽が丘など、駅を挟んで両端が住宅街や郊外の公園という路線が多いのも京阪宇治交通の特徴だと思います。

IMG_3368.jpg

IMG_3369.jpg

宇治車庫の雰囲気は昔からあまり変わりません。建物も、ここに車庫が移った1962(昭和37)年7月11日から同じもののようです。

ここで終点となるバスは、バス停で降車扱いせず、営業所の建物の前で客扱いし、乗車は起点となるバスもそうでないバスも、全て下の写真に写っているバス停で扱います。
2013(平成25)年9月にもう一度行くと、下の写真では写っているポールがなくなっていました↓

IMG_3371.jpg

今日、2013年11月1日は、奇しくも京阪宇治交通石山線開通から51年目、且つ、廃止5年目です。
人間も、誕生日の近くで亡くなるひとが多い、なんて言いますが、誕生の日に廃止になるとは何とも皮肉です。46年の寿命だったことになります。46年は地球の歴史で言えばおよそ10億分の1に過ぎないほんの一瞬ですが、私たちの世の中はずいぶん変わりました。

↓T.F.様からご提供頂いた、石山駅で折り返そうとする岩山行き

PICT0023.jpg

ツーマン兼用仕様です。いつも貴重な写真、ありがとうございます。

後半は新聞記事でこの路線の始まりを振り返ってみましょう。

↓最初から宇治車庫発着ということではなかったのか、便によって違ったのか、とにかく開通式は京阪宇治で行われています。

S37.11.12K府下 京阪宇治交通石山線開通b

1962(昭和37)年11月12日付京都新聞府下版です。
不思議なのは「11日から定期バスの運行を始めた」という件(くだり)。
『地域とともに60年』(京阪宇治交通株式会社編)の年表では11月1日となっていますが、他の新聞記事でも11月11日から、とあるため、年表の方が間違っているのではなかろうかと思われます。

なお、これに先立つ1962(昭和37)年10月1日には禅定寺にバス路線が乗り入れることが、同年9月27日付京都新聞山城版で報じられています。

S37.9.27KY 禅定寺 来月からバス乗り入れb

この記事の通りだとすると、どうも最初は猿丸神社まで毎日定期路線があったということのようです。「上手」が、現行のバス停の「上手」そのものを表しているのか、地域的に上手で、バス停名としては「禅定寺」なのかはよく分かりません。

しかし開通したそばから、早くも大変なことが…。1962(昭和37)年11月19日付京都新聞↓

S37.11.19K 禅定寺峠 バス横倒しb

横倒しの写真がショックなのでどうしようか迷いましたが、山中町でも同じような写真を載せたのにここでUPしない理由はありませんし、これも歴史なので掲出します。当時2歳の子どもも怪我しています。逆にこれで、死者や骨折などの重傷者がいなかったらしいことが不思議で、不幸中の幸いです。

田んぼに落ちた、ということから峠の真っただ中ではないらしいことが分かります。

記事中にもあるように、この付近では他にも事故が起きていて、うち1回は何と京阪の貸切バスでした。1962(昭和37)年3月15日付京都新聞夕刊↓

S37.3.15K夕 宇治田原で京阪バスの貸切バス横転b

「数か所にガードレールも設けられていた」
という記事末尾の文章に驚かされますが、この当時はガードレールなんてあって当たり前のように思っていたら大間違いで、ある場所の方が少ないんですね。

それにしてもよく3人の軽いけがで済んだものです。しかもそのあと予定通り旅行を続けた、というのがすごいです。今だったら中止しているんじゃないかと思うのですが、良く言えばこの時代の日本人は逞しいのかもしれません。

↓そんなことが続いて、さすがに行政もまずいと思ったのか、改修工事が行われました。

S37.11.21KY 禅定寺街道 「魔のバス路線」改修へb

それでも私が記憶している道はつづら折りの、細くて危険な道です。私が調べた限り、この後目立った事故は起きていないようなので、歴代の運転手さんたちは本当に神経を使っていたのでしょう。
更に改良された今の道路は本当にありがたいです。前にもどこかで書いた気がしますが、せっかく走りやすくなったそばから、バスがなくなるとは皮肉です。

それがどうだというの、と問われたらうまく答えられませんが、最初は華々しく開通した路線なのだということだけ1人でも多くの人に知って頂けたらと思います。

京阪宇治交通・宇治バス石山線の長い旅は終わりました。今年の大半を費やした大型の特集をお読み頂きありがとうございました。

ただ、1つ忘れていることがあります。
鹿跳橋で石山外畑線の本来の「本線」ともいうべき外畑方面に別れを告げて、そのまま京阪宇治交通の石山線として特集を続けてきたことです。次回から、一旦外畑方面に戻りますので、もう少しだけおつきあい下さい。
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コメント
この記事へのコメント
はじめまして
こちらでははじめまして。
当方多忙によりなかなかこちらにアクセスすることができず、申し訳ありませんでした。
またここ数年は宇治交通系の趣味をある事情により離れておりますので最近の事はあまりわからなくなりましたが、今後ともよろしくお願いします。

京阪宇治での開通式ですが、実は開設当時は京阪宇治発着であったことから京阪宇治で実施したものです。尚、京阪宇治発着の路線が宇治車庫発着に変更されたのは1968年12月25日改正からです。
2013/11/07(木) 16:01:37 | 内山 誠 | #qcsrN/5E[ 編集]
Re: はじめまして
内山誠様、初めまして。

> 当方多忙によりなかなかこちらにアクセスすることができず、申し訳ありませんでした。

いいえ、そんなに無理して頂けなくてもよかったのに、ありがとうございます。

> 京阪宇治での開通式ですが、実は開設当時は京阪宇治発着であったことから京阪宇治で実施したものです。尚、京阪宇治発着の路線が宇治車庫発着に変更されたのは1968年12月25日改正からです。

それは貴重な情報ありがとうございます。ぜひ、根拠資料をお示し下さい。私も確かめたいので。宜しくお願いします。
2013/11/07(木) 21:42:55 | 喜撰猿丸 | #-[ 編集]
根拠は
宇治交通の社史「地域とともに六十年」の巻末の年表の1968年の項目に掲載されています。
2013/11/10(日) 16:36:05 | 内山 誠 | #qcsrN/5E[ 編集]
Re: 根拠は
> 宇治交通の社史「地域とともに六十年」の巻末の年表の1968年の項目に掲載されています。

12月6日にそれが認可されたとあることは私も見落としており、申し訳ありませんでした。ただ、おっしゃっているのは12月25日ですね。この日にダイヤ改正があったとは書かれておりません。
前年の12月25日は京阪バスとの路線調整に伴うダイヤ改正だったようですね。
2013/11/10(日) 16:51:16 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
失礼しました
訂正です。仰られる様に12月6日が正解でした。お詫びして訂正します。
25日とは宇治川線の信楽〜茶屋村間の廃止日でした。混同失礼しました。
2013/11/11(月) 18:38:30 | 内山 誠 | #qcsrN/5E[ 編集]
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