青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
神宮道 じんぐうみち
所在地:(四条大宮・京都駅方面)京都市東山区西町 (浜大津方面)京都市東山区夷町
開設年月日:不明
付近:並河靖之七宝記念館 阿含宗関西総本部 平安神宮 京都滋賀県人会館 東山消防分団粟田器具庫(旧京都市立白川小学校) 青蓮院門跡 (現在ないもの)京阪岡崎テニスコート
キロ程:三条広道から0.2キロ


神宮道は、「平安神宮に続く道」という意味で、「応天門通」とも呼ばれました。もともとは粟田口門前の細道に過ぎませんでしたが、1894(明治27)年に平安神宮ができた時に、東側を広げて、今のような広い通りになりました(『京都市の地名 日本歴史地名体系27』P311)。

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交差点から平安神宮方面を望むとこのような感じです↓

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行楽シーズンは平安神宮や京都市動物園、美術館方面と知恩院方面、或いは地下鉄東山駅とを行き来する人波が途絶えません。

尚、この道沿いに星まつりで有名な「阿含宗」の関西総本部があります↓

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この位置には、昭和30年代にはテニスコートがありました。1956(昭和31)、1964(昭和39)年版の住宅地図では「テニスコート」と書かれているだけですが、1959(昭和34)年版では「京阪岡崎テニスコート」とされています。絶対、とは言えませんが、この位置で「京阪」を名乗るのですから、京阪電鉄ないし関連会社の土地だったのではないかと思われます。

こちらは東行きのバス停↓

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東行きは、1980(昭和55)年以前の住宅地図では、僅かに西にずれているように見えますが、誤差の範囲で、ほとんど位置は変わっていないのではなかろうかと思われます。西行きは全く変化がありません。

東行きのバス停のほぼ向かいには、「京都市立白川小学校」と書かれたまだ新しそうな建物がありますが、こんなに新しいのに既に廃校になっています。

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2004(平成16)年に京都市立粟田小学校と有済小学校が統合して、この地で白川小学校になりましたが、僅か7年後の2011(平成23)年には更に別の複数の小学校と統合して、京都市立開晴小学校になりました。児童数の減少は見えていたでしょうに、本当にこういう対応しかできなかったのでしょうか。

↓閉校時で時が止まっています。

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尤も、取材は閉校の年に行っているので、今はどうなっているのか分かりません。

なお、市バスの「快速 神宮道」行きは児童の通学向けに走っています。

↓こちらは西行き

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東行きと違って、市バスと共用しているので、雰囲気がだいぶ違います。

↓W-3006の19号経路がちょうどやってきました。

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岡崎は京都市内屈指の文教地区です。公立美術館の走りである京都市美術館や、京都国立近代美術館、京都府立図書館などが神宮道の北側に集まっています。

↓岡崎公園、京都国立近代美術館の夕暮れ

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↓平安神宮の鳥居も赤く染まりました。

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今日の「取材」は一旦終了して、続きはまた今度…。

次は、東山三条です。
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