青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
ちょうど60年前の今日、1952(昭和27)年2月2日の京都新聞山城版に、宇治市内への京阪バス乗り入れを伝える記事が掲載されました↓

S27.2.2KY 京阪バス宇治乗り入れb

既に紅白カラーですw 写真の説明は、

「宇治市にお目見得したスマートな京阪バス」

といいことが書かれているのに、見出しは、

「滑り出しわるおす」

と京都弁で嘆いています。

どういうことなのか記事を読んでみると、宇治市内の利用者が「てんと」なく、PR不足だったのではないか、ということのようです。「てんと」とは別に京都弁ではありませんが、最近はあまり使わない副詞で、「てんで」「全く」の意味です。

特に京都市内をどう走っていたのかがよく分かりませんが、恐らくこのようなルートだったのかと思われます。記事にある「16.2キロ」の距離よりは1キロほど長くなります(「詳しい地図を見る」をクリックしないと正しく表示されません)



10数年前まで走っていた、京阪宇治バスの京都駅-ガーデンズ天ヶ瀬間の路線のルートとは異なるようですし、直接の関係はないのだと思われます。

「野並町駅」「御蔵山口駅」などという駅が曽てあったのか調べてみましたが、そのようなものはないようで、恐らく、「駅」ではなくバス停で、「野並町」は、「町並」ではなかろうかと思っております。
また、「三室堂」はもちろん、「三室戸」のことでしょう。

宇治にお住まいの方、ご出身の方、京阪電車に詳しい方で、いや、これは誤植ではないという方、是非お知らせ下さい。

2012年現在、京阪六地蔵-町並間の1バス停間を除き、宇治市内に京阪バスの路線はありません。一見京阪バスのように見えるのは、京阪バスから引き継がれている京阪シティバスです↓

IMG_3448.jpg

この淀宇治線は、京阪宇治交通と京阪バスとの共同運行の長い歴史がありますが、もともとは宇治田原自動車と京阪バスとの縄張り争いの舞台であり、訴訟騒ぎまで起きたそうです。京阪宇治バスの前身、京阪宇治交通が京阪傘下に入るのは、1959(昭和34)年6月25日のことです。

あと宇治市内の京阪バスというと、昨年3月21日付拙稿1977(昭和52)年3月21日 宇治川ライン線開通などで何度か取り上げている大津営業所の10号経路「宇治川ライン線」、そして一番近いところでは2007(平成19)年11月9日の運行を以て廃止となった、男山の17号経路ですね↓ 

ssIMG_1511.jpg

IMG_1529.jpg

IMG_1527 (2)

尤も、17号経路は2006(平成18)年の京阪宇治交通との合併によって京阪バスに移管されたという路線で、約1年半だけ京阪バスだったということであり、性格が異なります。

いずれにしろ、宇治市内での京阪バス路線の嚆矢(こうし)は、意外なところにあることが、この記事から見てとれます。
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コメント
この記事へのコメント
こんにちは。

京都市内の経路ですが、新聞記事には、「稲荷・桃山を経て宇治市に入り六地蔵から」と、
書かれているので、

京都駅から七条大橋~師団街道or本町通り経由~伏見桃山~御香宮前~観月橋~六地蔵~宇治へ

では、ないかと思います。当時は今の国道24号線も外環状線もまだ一車線の細道だったんで
しょうけれど。

何も根拠があるわけではありませんが、昔の京阪バス・近鉄バスの京都~奈良線がこのコース
を走っていたのを覚えてます。
2012/02/03(金) 22:36:32 | なかっちょ | #4RB3NX36[ 編集]
Re: タイトルなし
なかっちょ様 こんばんは、コメントありがとうございます。

> 京都駅から七条大橋~師団街道or本町通り経由~伏見桃山~御香宮前~観月橋~六地蔵~宇治へ
> では、ないかと思います。当時は今の国道24号線も外環状線もまだ一車線の細道だったんで
> しょうけれど

ええ、私もそう思って、地図の「道案内」機能で線を引っ張ったのですが、例によって、なぜか「詳しい地図を見る」をクリックしないと正しく表示されませんので、一度クリックしてご確認願います。なかっちょ様のイメージ通りでしょうか?

国道24号線を通っていたのは、晩年の京阪宇治交通ですね。

> 何も根拠があるわけではありませんが、昔の京阪バス・近鉄バスの京都~奈良線がこのコース
> を走っていたのを覚えてます。

そうですね。墨染付近の一方通行の狭い道を通っていたんですね。
専門外ですし、今でも十分いっぱいいっぱいなので、大津市内、京都今津線などの規模では取り上げられないか、取り上げられても何年も先のことだと思いますが、開通時の新聞記事や広告はキープしてあるので、また折を見て取り上げたいと思います。
2012/02/04(土) 18:33:00 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
(「詳しい地図を見る」をクリックしないと正しく表示されません)

という、説明が気を見落としてました。失礼しました。
2012/02/06(月) 08:26:07 | なかっちょ | #4RB3NX36[ 編集]
Re: タイトルなし
いいえ、あれはご指摘を頂いてから新たに書き加えたんです。記事中に「木幡」「黄檗」と書かれているのに、当時影も形もない阪神高速京都線に線を引っ張るようなことはいくら私でもさすがにしません(爆)。
Yahoo地図の道案内機能は、超がつくローテク人間の私でも辛うじて使えて便利なのですが、どういうわけか、「詳しい地図を見る」をクリックしないと、最初に機械が勝手に判断する最短距離のルートが表面に出てしまうので、今後「詳しい地図を見るをクリックして下さい」という注記を忘れないように気をつけます。お気づきの点がありましたら、またご遠慮なくおっしゃって下さい。
2012/02/06(月) 22:06:18 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
最近このブログを知り、興味深く読ませていただいております。地元の話でもあるので少しコメントさせていただきます。

野並町駅は町並町(現在の町並)、御蔵山口駅は現在の御蔵山参道と思われます。駅は2つとも誤植だはないでしょうか。

経路ですが、根拠はありませんが外環が開通する前ですので、御香宮から桃山南口を通っていたかも知れません。桃山南口から六地蔵、町並町間は今の外環辺りが池でしたので北側の旧道を走っていたと思われます。
2012/05/16(水) 20:07:43 | T.S | #-[ 編集]
Re: タイトルなし
T,S樣、宇治方面に関するフォロー、ありがとうございます。知っているようで知らないことが多いので助かります。

> 経路ですが、根拠はありませんが外環が開通する前ですので、御香宮から桃山南口を通っていたかも知れません。桃山南口から六地蔵、町並町間は今の外環辺りが池でしたので北側の旧道を走っていたと思われます。

可能性は十分ありそうです。今の橘大学急行が通る道で、嘗て、日野丹波橋線が通っていたところですね。専門外で、なかなか追いかけられませんが、一度古い地形図を当たってみたいと思います。
2012/05/16(水) 22:55:25 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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