青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。


湖西病院前 こせいびょういんまえ
所在地:高島市新旭町安井川
開設年月日:1962(昭和37)年5月19日?
廃止年月日:1974(昭和49)年7月20日?
付近:川原市コミュニティセンター 旧湖西産婦人科
キロ程:安井川から0.1キロ(近江今津から6.7キロ 浜大津から46.1キロ)


1973(昭和48)年の路線図には名前がなく、湖西方面を「取材」してからずっと後になって、新たに「江若鉄道廃止申請書類」の中で見つけた、全く謎のバス停です。もちろん、京阪バス京都今津線が停まっていたかどうかなど、到底分かりませんが、そこに拘泥すると書けなくなってしまうので、前にも書きましたように、江若バス浜大津線が停まっていた停留所には停まっていたのであろうという前提で話を進めます。

今、インターネットで「湖西病院」と検索しても、それらしいものは何もヒットしません。強いて言うなら、安井川にある「湖西クリニック」(↓写真)が何か関係があるのだろうか?という程度。1つ北の安井川バス停からたった0.1キロという、人口が希薄で普通に1キロ2キロバス停がない区間が続く湖西方面にあって、異例の短さで、今の京阪バスや江若交通にもちょっとないのではないかと思われるほどの距離です。

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『高島郡誌』(1972)内に納められた、1927(昭和2)年『高島郡誌』の復刻部分P1279に、

公立高島病院は新儀村大字安井川に在り。(中略)二十三年七月開設したる所なり。



とあります。この「二十三年」は中略した部分の文章から明治であることが明らかです。

これでは古すぎるので、もう少し時代を下って行きます。まず、『新旭町誌』に、案の定、「湖西病院」に関する記述がありました。

湖西病院は、国民健康保険直営病院として、新儀村、饗庭村の組合立で、昭和二十五年に安井川の江坂診療所を譲り受け建物を改造、増築して開設された。当時、湖西中学校の建設とも重なり財政的にも苦しい状況にあったが、高島郡内における最初の公立病院であり、村民はもちろん郡民の要望切なるものがあり、県も強力に支援指導して将来は県立病院にとの大きな意欲をもって設立された。(中略)
昭和三一年には、町村合併により『新旭町、安曇川町国民健康保険直営病院組合湖西病院』と改称した。昭和三十三年度から病院経営が悪化し、縮小かどうか協議されるようになった。最低規模の病院で入院の需要にこたえることができず患者数も減少し維持経営が困難となり、昭和三十八年五月三十一日をもって閉鎖した。(P874-875)



あれ?いやいや、閉鎖してもらっては困るのですが……。江若鉄道の廃止申請書類に名前が載っているということは、少なくとも廃止当時にはあったか、廃止後に設置が計画されていたはずなのですから、それより6年も前の段階で病院がなかったら、バス停もないことになってしまいます。

仕方なく、別の文献に当たりました。『歴史研究 新旭町調査報告書 第13号』(滋賀県立高島高等学校歴史研究部 1973)

○現在の湖西外科、湖西産婦人科に至るまで。

昭和23年公立高島病院として発足。これは江坂医師が昭和25年まで1人でやっていた。公立というのは、現在の安曇川町、朽木村、新旭町が経営していたものである。昭和二十五年には国保直営の湖西病院となった。
(中略)
昭和三十五年には、この湖西病院も廃止されて、現在の個人開業になっているのである。町立から個人開業になった理由としては、国民健康保険の医療費が初めから低かったので、エスカレートして国民開保険(「皆保険」の誤植と思われる:引用者注)(国が多く負担する)になったことである。それで当然町で負担する量も多くなり、財政面での行きづまりの萠しが見え廃止するに至ったということである。(P66-67)



この江坂医師というのは、同文献によると、江坂敏男医師といって、
「今の湖西産婦人科の場所で、25年くらい前開業していた」(P65)
と書かれています。「今の湖西産婦人科」といってもこれは40年ほど前の「今」なので、湖西産婦人科の位置が分からないと何とも言えません。また、閉鎖時期も『新旭町誌』とは一致しません。

しかし、前回の拙稿「安井川」でも触れました通り、既に廃院となって久しいものと思われる「湖西産婦人科」が安井川の交差点の南、川原市の会議所の奥にあるのを発見しました。

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手元にある1994(平成6)年現在の住宅地図でも、既に名前が抜けて空白になっており、少なくとも20年近く前に閉じられていることが分かります。
確かにそのくらいの年季はありそうです。玄関横の吹き抜けの天井の板がはがれて危ないから、何とかした方がよく思われます。

バス停は、この川原市会議所の前にあったようです。

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この日は祭礼で、テントが前に出ていたのですが、「湖西外科」と書かれています。電話番号は4ケタです。ただ、「湖西外科 滋賀」を検索キーワードに入れると、湖西外科の後を受けて設置されたのが、湖西クリニックだということが分かる資料がヒットし、そこに掲載されている電話番号の下4桁が、このテントに記載されている電話番号と一致しました。

因みに、高島市(旧高島郡)の市外局番が現在の0740となったのは、1975(昭和50)年のことで、それまでの旧新旭町は何と074094という今ではほとんど見られない6ケタの市外局番で、逆に町内では4ケタだけで通じました。つまり、このテントはもうかれこれ37年以上大事に使われているのです。

……頭がこんがらがってきましたが、結局、湖西外科も湖西産婦人科も直接湖西病院の系譜とはつながらず、ただ、位置はほぼ川原市のこの場所であろうことは分かりました。

↓南の方向を望んでいます。

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↓北の方向を望んでいます。奥の方に見える信号機が、「安井川」の交差点です。この交差点を右に曲がったところに、「湖西クリニック」があります。

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念のために国会図書館のNDL-OPACで「高島 病院」をキーワードに検索したところ、「江阪秀三郎--初期の京都府療病院と滋賀県高島病院に尽粋した明治の医人」(「医譚(いたん)」日本医史学会関西支部編 藤田俊夫 1990)という論文がヒットしました。難しそう…関係ないかと思ったその時、「江坂診療所」と「江阪秀三郎」「江坂敏男」の奇妙な一致に気づきました。

暫く国会図書館に行く暇がないので、調査はお預けですが、今後、この他に医師会の資料や、湖西病院開院、閉院当時の新聞記事がないかなど、今後も湖西病院に関する調査は続行して、主にバス停位置と関わるような何かが分かり次第補足して、皆様にお届け致します。逆に、新旭ご在住、ご出身の方などで、湖西病院や周辺バス停について何かご存知の方、いらっしゃいましたら、メールフォームやコメントで情報を頂戴できると幸甚です。

次は、新庄です。
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