青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
小田原 おだわら
所在地:(北行き)大津市大石小田原一丁目
    (南行き、及び現行京阪バス停留所)大津市大石小田原二丁目
開設年月日:(京阪宇治交通として)1962(昭和37)年11月1日?
      (京阪バス4G号経路として)2008(平成20)年11月1日 
廃止年月日:(京阪宇治バスとして)2008(平成20)年11月1日
付近:大石小田原町自治会館
キロ程:小田原口から1.0キロ(石山駅から13.2キロ)


小田原は大津市の集落としては最南端に位置しています。



『角川地名大辞典 25 滋賀県』(1979)によると、「地名の由来は宇治田原荘北門の交通路に位置したことによる」(P197)とありますが、ではなぜそれが『小田原』なのかが分からず、解説として不十分で不満です。

確かに「田原」という文字は共通していますが、「小田原」でワンセットだと思っていたので、そういう区切り方で考えたことがありませんでした。

もともと膳所藩領で、他の大石各町の多くとともに大津宿の助郷とされていて、大津方面と一定のつながりがあったことが分かります。
明治22年に大石村の一部に、1951(昭和26)年の大津市・大石村合併時に、他の大石各町とともに大津市の一部となります。

IMG_4457_20130128204439.jpg

禅定寺峠を挟んで向かい合う禅定寺の集落とは、境界線争いなどでしばしばもめたと言われています。
多分、近いので通婚などもあっただろうと思うのですが、お互いに町に売りに出ようとした荷物を奪い合ったりした記録も残っているということです(『滋賀県の地名 日本歴史地名体系25』P285)

もともとこんなところで折り返すバスなどなかったはずですが、開拓村を別にすると大津市の端に当たるためか、いつの間にかここで石山方向に折り返す便が設定されるようになりました。主に小学生の通学のためのようです。

00000304.jpg

『大石のあゆみ』(1970)によると、この大石東町から小田原町を経て、禅定寺峠までの県道の改修は1965(昭和40)年から1969(昭和44)年にかけて行われ、舗装が完成、

帝産バス、宇治京阪等のバス路線となった。(P37)


とあります。
他の記事でも触れたかもしれませんが、信じられないことにもともとは帝産湖南交通が関津峠を越えてここまで走っていたことが、国立公文書館所蔵の免許申請書類やいくつかの新聞記事からはっきりとしております。これについては別途取り上げたいと思います。

小田原発大石行2

このように、折り返す便は自治会館前でターンしていました。現在は京阪バスが全便ここで折り返しています。
運転手が休憩ができる場所を設けなければならない規則があった気がするのですが、その関係か、こんな小さな集落には似つかわしくない公衆トイレが自治会館に設置されています。

↓大石小学校-小田原というごく短い区間の運行もありました。

IMG_1562.jpg

IMG_1561.jpg

98系統が今の京阪バスの4G号経路に相当しますが、運賃制度が京阪バスのそれに切り替えられたため、実質値上げです。

↓廃止前の2008(平成20)年10月17日、岩間寺臨時便と重なる最後の日でした。

sIMG_4491.jpg

↓路線廃止を伝える張り紙

IMG_4613.jpg

↓京阪宇治バス時代のバス停

IMG_1553.jpg

IMG_1554.jpg

↓H25.5現在

IMG_6781.jpg

IMG_6780.jpg

ここに停車するバスがないので、上屋とベンチは撤去されました。跡がくっきりと残っています。
あとで写真を見て気づいたのですが、自治会館前に移されているのが、当時県道沿いにあった上屋でした。

IMG_6785.jpg

↓現在のバス停のポールは上屋と逆に、自治会館側に立っています。

IMG_6782.jpg

IMG_6783.jpg

↓F-3032がやってきました。

IMG_6793.jpg

↓ゴミ置場に「京阪バス」の指示表示。

IMG_6792.jpg

↓一旦奥の方に頭を突っ込みます。

IMG_6794.jpg

↓バックします。

IMG_6795.jpg

↓ここが定位置のようです。

IMG_6798.jpg

京阪宇治バス時代に、折り返しの様子をきちんと見ることはできなかったのですが、恐らく同じようにしていたのでしょう。

IMG_6800.jpg

京阪バスは折り返して大石小学校方面に踵(きびす)を返しますが、私たちは更に南に向かうことにします。

次は、開拓村です。
関連記事
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
小田原の帝産湖南バス
実はたまに、南郷洗堰〜長山口を往復利用していたのですが、稀に禅定寺峠越え往復利用で一緒になるおばあさんがいました。今は廃止してしまったblogに書いたのが次のエピソードです。

『おばあさん曰く、バスが来るまでは、小田原から徒歩で宇治田原へ山越えしていたのが、戦後に初めは帝産バス、次に宇治交通のバス路線ができ、宇治田原にバスで行けるようになった。昔徒歩で行き来していた道に、今はバスが走っている。この50年ほどはバスで行き来できてありがたいと。』(抜粋)
2013/07/08(月) 22:39:49 | じゅうしまつ | #-[ 編集]
Re: 小田原の帝産湖南バス
じゅうしまつ様、こんばんは、お世話になります。

> 実はたまに、南郷洗堰〜長山口を往復利用していたのですが、稀に禅定寺峠越え往復利用で一緒になるおばあさんがいました。今は廃止してしまったblogに書いたのが次のエピソードです。

すごいマニアックな区間ですね。ちゃんと対キロ制で細かい運賃が設定されている甲斐があるというものですね。

> 『おばあさん曰く、バスが来るまでは、小田原から徒歩で宇治田原へ山越えしていたのが、戦後に初めは帝産バス、次に宇治交通のバス路線ができ、宇治田原にバスで行けるようになった。昔徒歩で行き来していた道に、今はバスが走っている。この50年ほどはバスで行き来できてありがたいと。』(抜粋)

帝産で宇治田原には行けなかったはずですが、やはり帝産の方が先なんですね。
あとで、小田原と鹿跳橋の間は、宇治交通が開通したばかりの頃は、帝産との協定で全て通過していたということが分かりました。いや、調べれば調べるほど奥が深いです。
2013/07/08(月) 23:18:57 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
子供の頃にここに住んでいて懐かしいなぁと思い見させてもらいましたが、路線廃止になってしまったようで、寂しい気分になりました。幼稚園、小学校と、8年間京阪宇治交通さんにお世話になりました。
2013/08/18(日) 01:32:35 | | #-[ 編集]
Re: タイトルなし
コメントありがとうございます。
ええ、京阪バスにごっそり入れ替わってしまいましたね。

今回は特別に承認させて頂きましたが、この次にもしコメント頂けるときは、必ずハンドルネームのご記入をお願い致します。
2013/08/18(日) 08:56:02 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://contrapunctus.blog103.fc2.com/tb.php/402-fc1491fc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック