青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
60年前の今日、1952(昭和27)年3月17日、近江鉄道バスが、それまでに石山駅まで伸びていた路線を、更に浜大津まで延長します。前日付の滋賀日日新聞記事↓

S27.3.16S 近江バス浜大津乗り入れb

この当時は湖岸道路など影も形もありません(この後15年ほどして全線開通)から、当時は国道2号線と呼ばれていた、開通したばかりの国道1号線を経由しています(開通当日付の滋賀日日新聞広告)↓

S27.3.17S 近江バス浜大津線開通広告b

広告では「石山行」「石山発」となっていますが、石山駅始発、終着ではなく、上の記事からも分かる通り、長いものでは守山から来ていたことが分かります。

因みに「市立病院前」は、今の「湖城が丘」(この当時は大津市民病院の前身、大津市立病院が、今の湖城が丘の「ネッツトヨタびわこ」の辺りにあった)のことです。「市役所前」は今の「浜町」だと思われます。「馬場」「検察庁前」は未調査です。

この時期だと、「国立公文書館」に何らかの資料があると思いますので、今後そちらの調査も進めて、何か分かったことがあり次第、本ブログでも取り上げていきます。

こちらは、るうパパ様が撮影された、80年代後半ごろの同路線の末裔、「草津駅発国道経由浜大津行き」の写真ですが、この当時でも草津駅や草津駅西口発着が基本でしたので、守山発着というのは私も全く知りません。

滋22か・656 近江 (2)

本来唐橋前以北は京阪バスのエリアであり、特に石山駅から北のまとまった距離のある区間に近江鉄道バスが乗り入れるということについては、きっといろいろな紆余曲折、激しい反目があったのではなかろうかと思われます。

即ち、今日は、単なる近江鉄道バスの浜大津延長の記念日ではなく、2010(平成22)年8月10日付拙稿京阪VS近江 競争の幕開け? 1952(昭和27)年3月17日でも取り上げた、京阪バスとのライバル関係が本格化した日だという点で、大変大きな意味をもっていると私は考えております。

結局、ご存知の通り、乗り入れた側の方が幅を利かせていて、T.F.様が提供して下さった、1980(昭和55)年1月6日撮影の浜大津の時刻表でも、国道経由は日中で見ると、近江鉄道バスが京阪バスの約3倍走っています。これは私が記憶しているもう少し後の時代でもほとんど変わりません。

ss55-1-6-2.jpg

余談ですが、私は近江鉄道バスの区間運転と言うと「矢倉二丁目(草津病院前)行き」が印象的なのですが、ここでは「大江行き」となっており、そんなのは見たことがないので、驚きました。もうちょっと行けば瀬田駅なのに、あんなところでどうやって折り返していたのか不思議です。

見れば見るほど面白いですし、いろいろな路線に関係するので、これからも必要に応じてUPさせて頂きたいと思います。

現在は、京阪バス2時間に1回、近江鉄道バス1時間に1回、とそれでも一応近江鉄道バスの方が「優勢」ですが、どちらも、廃止するわけにもいかないし、でも持て余しているし、というのがありありと分かるダイヤになってしまいました。60年前、こんなことになるなど、誰も夢にも思わなかったことでしょう。二社が首を絞め合いながら、このまま70年、80年迎えるつもりなのでしょうか?いや、それを迎えられるのかどうかも分かりません。

末筆になりましたが、るうパパ様、T.F.様、いつも貴重な写真をありがとうございます。
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コメント
この記事へのコメント
いつも楽しく拝見しています。

写真の22系統は「草津駅西口→浜街道→石山駅→国道→浜大津」ですね。平成の初頭が近江鉄道バスの全盛期、だったでしょうか。その後の立命館大学開校と南草津駅の開業が路線再編へ大きな影響を与え、今日の体たらくとなりました。お互い、もっと写真を撮っておけば良かったですね。

矢倉二丁目行きの他に「浜大津発神領団地行き」や「草津駅西口発(草津駅発かも)西ノ庄行き」なんていうのもありました。夜間の入庫のからみです。
2012/03/17(土) 21:17:28 | METEOR | #-[ 編集]
Re: タイトルなし
METEOR様、いつもお世話になります。

> 写真の22系統は「草津駅西口→浜街道→石山駅→国道→浜大津」ですね。

ああそうか、浜街道線ですね。40-50年くらい前は山田始発だったようですね。「神領、大江、山田、下笠経由、草津駅西口行きです」というアナウンスが未だに忘れられません。山田は、「ヤ」にアクセントを置かないと、よそ者だとすぐにバレるんですね(笑)。バスのアナウンスもちゃんと「ヤ」にアクセントを置いていました。あれもう1回聞きたいなあ。

>平成の初頭が近江鉄道バスの全盛期、だったでしょうか。

いや、昭和39年頃は浜大津-木ノ本線が朝の5時台からおよそ30分間隔で走っていたことがはっきりしていますし、その頃は他にも、浜大津長命寺線、彦根線とか、八日市京都線、日野京都線などがバンバンじゃんじゃん走っているから、やっぱり昭和40年前後がピークでしょう。平成初頭は最後の輝きでしょう。

>その後の立命館大学開校と南草津駅の開業が路線再編へ大きな影響を与え、今日の体たらくとなりました。お互い、もっと写真を撮っておけば良かったですね。

南草津は激震でしたね。駅間距離が長いから、鉄道と並行していてもそれなりにやっていけたのに、南草津ができて、迷走が始まった気がします。この点、湖西線が開通した当時の江若交通とも似ているのかもしれません。

写真は本当に惜しいですが、撮影するという発想もなければ、デジカメももちろんなくてカメラは高価で、難しいもの、と思い込んでいましたからね。

> 矢倉二丁目行きの他に「浜大津発神領団地行き」や「草津駅西口発(草津駅発かも)西ノ庄行き」なんていうのもありました。夜間の入庫のからみです。

西ノ庄行きというのを私は全く知らないんです。どこかに写真ないかな…。
2012/03/17(土) 22:56:14 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
懐かしい思いで
はじめまして京阪くんと申します。ネットで京阪バスのファンサイトを探しているときに見つけました。いや~大津に引っ越しして25年経ちましたが路線バスの衰退は、酷いもです。近江バスも京阪バスも本当のところ市内中心部の路線は撤退したいのでしょうね。近江バスですが10年以上前まで朝始発片道のみ湖岸島の関経由浜大津行きがありました。結局乗れずじまいでした。その他にも名神大津発、琵琶湖大橋経由守山行きもありこちらも乗れず残念です。
2012/04/10(火) 00:56:16 | 京阪くん | #RUyKFIwo[ 編集]
Re: 懐かしい思いで
京阪くん樣、初めまして、コメントありがとうございます。

> はじめまして京阪くんと申します。ネットで京阪バスのファンサイトを探しているときに見つけました。

私は(誰が何と言おうが)ファンではないので、ご満足頂ける内容かどうか分かりませんが、ご覧頂き、幸甚です。

>近江バスですが10年以上前まで朝始発片道のみ湖岸島の関経由浜大津行きがありました。結局乗れずじまいでした。その他にも名神大津発、琵琶湖大橋経由守山行きもありこちらも乗れず残念です。

島ノ関経由の便はそんなに最近まであったんですか?私がはっきり分かるここ二十年ほど、島ノ関経由の時刻など、少なくとも石山駅では見たことがないのですが…。浜大津発の1本だけとかではありませんでしょうか?こういうちょっとしたことも、確かめようとしても何も資料がないのが歯がゆいですね。

名神大津発守山駅行きはよく覚えています。今パッと資料が出てこないのですが、琵琶湖大橋が開通した1964(昭和39)年にまでルーツが遡れるはずです。
2012/04/11(水) 00:28:17 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
続 島の関経由
私の最寄りの商工会議所前の浜大津方面行きバス停には、始発か最終便(記憶が曖昧になってすいません)に島と書かれていて注釈欄に島の関経由と書かれていました。
まだ島の関駅前の湖岸道路と京阪の間にある
溝にバス停の柱と思われる(下部分の一部)が残ってます。(ちょうど歩道橋付近)
よろしくお願いいたします。
2012/04/11(水) 16:49:51 | 京阪くん | #-[ 編集]
Re: 続 島の関経由
補足ありがとうございます。

近江大橋経由だったかもしれないですね。
その跡地は、ちょっと工事が行われたり何かあったらすぐに消えて無くなりそうなので、古い住宅地図と対照させて、早めに調査します。
2012/04/12(木) 00:56:31 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
こちらではお久しぶりです。
島ノ関経由の近江バスですが、私の曖昧な記憶では、近江大橋経由の最終便ではないかと思います。
膳所公園のバス停には表記がなく、丸の内町のバス停には表記があったように記憶しています。

20時台後半ぐらいの時間帯で、神領団地行き共々小学校低学年だった私はそのバスを見るor乗ることもなく、いつしか消えていました。90年ごろには既になくなっていたのではないでしょうか。
2012/04/22(日) 08:11:17 | 膳テツ | #5DLVngfc[ 編集]
Re: タイトルなし
膳テツ様、いつもお世話になります。
島ノ関経由の情報ありがとうございます。この広い世界のどこかに、たとえメモ程度でも、きっと時刻表か何か残っているだろう、と思うのですが、気になります。
更に昔は、琵琶湖文化館や島ノ関辺りに、京阪や近江の路線が普通にあったようですね。
2012/04/22(日) 18:50:49 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
近江バスの想い出
初めまして。私も小学校5~6年生の時、近江バスが大好きで、友人とバスに乗るのが目的で、よく乗りにいっていました。特に、来るまで待ち続けてまで乗っていたほど、「B805L」(滋22か591~594・554・555)が大好きで、あのエアサスの乗り心地と、デザイン、何よりあのドルルルㇽㇽーという「エンジン音」がたまりませんでした。セカンドギアで高音まで引っ張る運転手さんの時は特に嬉しかったのを覚えています。いまでもあのエンジン音は耳に残っています。当時は僕の中でのエリート路線、「西大津駅・浜大津⇔草津駅」の湖岸・大学病院経由で、長距離乗車がお気に入りでした。また、近江バスのもう一つの魅力、「車内アナウンス」です。昭和61年の春頃に変更されてしまう前のアナウンスが、声・話し方など、ホントに好きでした。わかる方、いらっしゃるでしょうか?(笑)今では車両も面白味がなくなってしまいましたね・・・
2013/12/14(土) 03:41:52 | ぱる | #7kHrtATQ[ 編集]
Re: 近江バスの想い出
パル様、初めまして、コメントありがとうございます。
小学生で、「バスに乗りに行く」なんて渋い趣味ですね。私はそういう発想がなかったし、あっても「そんな遠いところに子どもだけで(ひとりで)行ったらダメ」とか言われそうですね。

>特に、来るまで待ち続けてまで乗っていたほど、「B805L」(滋22か591~594・554・555)が大好きで、あのエアサスの乗り心地と、デザイン、何よりあのドルルルㇽㇽーという「エンジン音」がたまりませんでした。

やっぱりそういうひとがいはるんですね。私は初めて聞いた時に、怒っているようで怖いような不気味なような音だな、と思いましたが、妙に癖になりました。
国道経由ではほとんど見なかった気がしますね。湖岸道路経由が多かった印象です。
アナウンスも、当時のものをじっくり聞きたいですね。ダビングさせてもらえるだけでもいいから、誰か持っていないかな…。

>今では車両も面白味がなくなってしまいましたね・・・

それ、皆さん仰いますね。旧塗色の平成初期ぐらいまでが車両も路線も興味深いものだったのに、と。今、近江の車両、不思議なほど乗りたいとか撮りたいとか思わないですね。
2013/12/14(土) 09:16:25 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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