青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
維中前 いちゅうまえ
所在地:京都府綴喜郡宇治田原町岩山
開設年月日:1954(昭和29)年10月14日?
廃止年月日:不明
付近:宇治田原町立維孝館中学校
キロ程:岩山から0.5キロ(石山駅から19.1キロ)


維中前は、現在は運転手の休憩所兼月末月初の定期券発売所も併設されている、一大拠点ですが、旧道上では一停留所に過ぎなかったようです。
『地域とともに60年』(京阪宇治交通株式会社編 1983)によると、一度止まると発進するのが難しい代燃車が1953(昭和28)年頃になるとディーゼルエンジンの車両に置き換えられたため、戦時中に減らしたバス停を復活させる動きがあったそうで、現在も同じ名前を保っている停留所でいうと、維中前や西町(にしちょう)、久津川などがこのタイミングで復活しているようです。

当バス停の開設日については、この復活の日付にしておりますが、戦時中の休止以前の本当の最初の開設日は不明です。



子どもの頃、「維中前」という変わった行先に、一体何の施設なのだろう?お寺や神社、祠などの宗教関係の施設だろうか?と不思議に思ったものですが、「宇治田原町立維孝館中学校」の略だと知ったのは、だいぶ後のことです。

↓宇治田原町立維孝館中学校正門
IMG_3890_20130331223019.jpg

「維孝館」とはまた公立中学校らしくない大層な名前ですが、これは1873(明治6)年に今の宇治田原町立田原小学校の前身、荒木小学校の開校の時に、京都府典事兼学監の広瀬範治氏から詩と「維孝館」の額を受けたことによって、この小学校を維孝館荒木小学校と称したことに始まるようです。それがなぜ中学校の名前に継承されたのか、という部分は詳しく分かりませんでしたが、「維孝」の文字は中国の経書にある
「維孝、友于兄弟克施有政」
によるそうです。読み方は
「惟れ惟孝ならば兄弟に友に有政を施こす」
で、意味は「親に孝であれば兄弟に友であり、それを政治にまで推し及ぼしていくことができるのである」ということだそうです。「維孝」と「惟孝」、文字が入れ替わっていますが、意味は同じだということです。

※現在の維孝館中学校の公式HPでは由来を見ることができなくなっていますが、同ページのほか、田原小学校の公式HPでもあらましを知ることができますので、これらを参考にさせて頂きました。

正門は旧道に面しています。旧道時代にもバス停があったことは他の諸資料から間違いなく確かめられるのに、なぜかこの維中前だけは、他の旧道のバス停について記載がある年代の住宅地図を見ても載っていません。

位置は推測するしかありません。

↓中学校の正門の前のこの辺りでしょうか?

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↓門の前から岩山・大石小学校方面を望む。

IMG_3882.jpg

↓上の写真でも見えていますが、この付近には、「路線バスを除く」の標識が多数あります。

IMG_3967.jpg

IMG_3496.jpg

↓不思議なのはこの標識で、中学校の脇からバイパスにつながる抜け道に立っているのですが、こんなところにバスの路線などあったのでしょうか?

IMG_3497.jpg

↓宇治方面を望んでいます。

IMG_3498.jpg

次は、大宮前
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