青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
以前知人に見せてもらった、1973(昭和48)年の江若交通の路線図に、「来迎寺鐘化前」から山手に分かれる不思議な支線がありました。バス停は末端の「消防学校前」1つだけの盲腸線です。

滋賀県公式HP内の消防学校のページを見ると、「沿革」が載っていて、1963(昭和38)年6月1日に下阪本に開設され、1985(昭和60)年4月に能登川に移転するまで、そこにあったようです。滋賀県消防学校50周年記念誌には、江若鉄道があった当時の空撮写真が載っていて、確かに線路に沿っているのが分かりますし、中には食堂の窓から江若鉄道がよく見えて手を振った、という思い出を書き記しているひともいます。

しかし、バスのことはネットで検索してもやはり何も出てきませんでした。

昔の江若交通のことに詳しい方は、路線免許はあるものの、実質は貸切運行だったと仰っていましたが、一方で、別の方に見せて頂いたツーマン運転当時の乗車券にはちゃんと「消防学校」という記載があるものがあり↓、実に不思議です。

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現地に行ってみました。

↓新しい家が建ち並んだ隙間から、それこそ「真珠の小箱」の音楽でも聞こえてきそうな土塀

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「真珠の小箱」の音楽を覚えているなんて言うと、歳がバレそうだけど、枯れた脱力感に満ちたフルートの音が逆に鮮やかです。

↓来迎寺カネカバス停付近から「消防学校前」方面を望む。

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昭和40年代に見てみたかった。

全国的に空き家が問題になっている一方で、人口は減少傾向なのに、農地や森林が切り開かれ、新しい家が次々建つ矛盾。
恐らく市街化区域なので、農地の転用も比較的たやすく、TPPに参加することが決まると、農業に見切りをつける農家が増えてますますこういう光景が広がっていくのでしょうか。

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↓でもこういうアングルで見ると味わい深いですね。

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奥行の長い来迎寺を過ぎると、住宅街に入ります。

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↓視界が広がり、道路の幅員が広がります。

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右手に見えてきた広場が、消防学校の広場の跡のようです。更にその向こうの建物が、消防学校跡です。

↓現在、グラウンドは下阪本市民グラウンドになっています。

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何でこんなところが下阪本なのかと後で記事を書きながらふと不思議になりましたが、ここの住所は比叡辻、日吉台のすぐ東ですが学区は更に北の木の岡町とともに下阪本なので驚きました。かなり遠い気がするのですが、この辺のひとにしたら、私たちにとって千町が南郷で、平津が石山なのと同じくらい当然のことなのでしょう。

↓消防学校時代のこのグラウンドの写真もありました。体力づくりのための走り込みや放水などの諸訓練をしていたようです。

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1968(昭和43)年の住宅地図では、消防学校の西の縁を江若鉄道が通っていることになっていて、周囲に住宅はほとんどありません。それは、冒頭で紹介した、50周年記念誌の写真でもよく分かります。

消防学校は、県職員の研修所も兼ねていたということなので、それなりにひとの出入りが多かったからバス路線もあったのでしょう。今は県職員用の住宅になっていました↓

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先ほど引用した、消防学校の公式サイトに書かれている旧所在地の住所とぴったり一致するので、間違いありません。




やはり県の用地なので、売却などの面倒な手続きは取らず、そのまま県の施設を作ったのですね。

ここに住んで通える範囲の県の施設というと、ほぼ県庁(本庁)なのだと思いますが、来迎寺カネカ前から県庁前まで江若バスを通して乗るひとはいるのでしょうか?乗り換えが面倒でもJRに乗るか、かなり駅が遠いですが、京阪電車に乗るのか。

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この先で江若鉄道跡の通りにぶつかるので、曽ては踏切があったのでしょう。江若鉄道があった時は、恐らく旧日吉駅から直接通じる道はなかったので、結構大回りせざるを得なかったのかと思いますが、その後廃線跡が道路として整備され、現在、比叡山坂本駅からは約500mで十分徒歩圏です。逆に言えば、比叡山坂本駅からバスの出る幕はないと考えてよいでしょう。どこからの送迎なのか分かりませんが、交通の便が悪かったからこその「支線」だったのでしょう。

山が迫っていて平地が少なく、開発の余地が少ない湖西では、このような支線が発達しにくいのですが、今年9月1日の堀場製作所関連路線の開設に見られるように、そんな中でも沿線の大規模施設への足を確保するために、何とか工夫しながら路線網を作ってきたのが、江若交通の歴史なのでしょう。
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