青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
比良登山口 ひらとざんぐち
所在地:大津市(旧志賀町)北比良
開設年月日:?
廃止年月日:1974(昭和49)年7月20日?
付近:
キロ程:比良リフト口から0.5キロ(近江今津から25.5キロ 浜大津から27.3キロ


同じ名前の点滅信号があり、比較的分かりやすい、「比良登山口」



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2004(平成16)年3月31日まで、比良リフト線(比良駅-比良リフト前)が停車していたので、和邇以北の志賀町としては、比較的最近まで定期路線バスが残っていた場所です。文字通り、比良山の登山口です。

今は、かつてバスが通っていた、湖西道路の取り付け道路から上るのが一般的だと思いますが、もともとの登山道はここの点滅信号から集落内の旧道を通る道だったので、ここを「比良登山口」と呼ぶのだと思われます。

↓浜大津方面のバス停跡。ここで、最後にハイカーがバスを待ったのは、いつのことなのでしょう?

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↓この辺りからは、湖西線やびわ湖が遠く望めます。


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↓こちらは北行きのバス停跡を南を向いて撮っています。

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↓同じく北行きのバス停跡を北を向いて撮っています。

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因みに、「比良」とは、アイヌ語で険しい崖という意味だと言われています(「角川地名辞典」P602)。確かに、「赤平」「糠平」など、北海道には「ヒラ」と発音する地名がたくさんありますし、平らでないのに「ヒラ」という音は変な感じもします。日本の古語でも、「ヒラ」は平らな場所ではなく、寧ろ、崩壊しやすい場所だと言われていて、その点ではアイヌ語の「険しい」というのと関係がありそうだなと思います。

長くなって申し訳ありませんが、比良と言えば何といっても、「比良八荒」(ひらはっこう)を忘れてはいけません。
「比良八講」と呼ばれる、天台宗の僧侶による水難者の祈祷と音が同じですが、多分、「八荒」を「八講」に掛けているのでしょう。ちょうど3月26日の「比良八講」の前後に吹き荒れる、比良颪(おろし)の強風のことを指します。JR湖西線の長くはない歴史のかなりの部分は、この風に泣かされる歴史であるとも言えましょう。

この風には、滋賀県内では有名な、悲しい伝説があります。

琵琶湖の東側の村に住む娘が、修行僧に恋します。その僧は比叡山に帰らなければならなくなりました。
僧は、
「浮御堂の灯を目当てに百日通ってきたら一緒になろう」
と約束します。

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(浮御堂)

僧は、まさかか弱い若い娘が本当に対岸から堅田の浮御堂まで通ってくるとは思っていなかったのでしょう。しかし、娘は盥舟(たらいぶね)で九十九日間通い続けます。僧はその執念が恐ろしくなって、満願の百日目の晩、灯を消してしまいます。目当てを失った舟は、折からの強風に煽られて沈んでしまいました―――。

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(浮御堂から見た対岸 晴れた昼間は穏やかですが…)

娘は今の竜王町鏡の出身だという説や、草津の出身だという説、今の免許センター付近、守山市木浜(このはま)町辺りの出身だという説など、いくつかのパターンがあります。特に竜王から毎晩通うなんて、車でも面倒臭そうで考えるだけでうんざりするのに、徒歩と盥舟なんて、体力的にも時間的にも不可能じゃないかと思います。しかし、昔のひとはどこでも歩くのが当たり前、女性も信じられないような体力があったのでしょうか。
昼は疲れ果てて寝てばかりいたのか?親は止めなかったのか?など、下世話な謎が気になりますが、リアリティより、比良八荒の恐ろしさを強調した伝説ではなかろうかと思われます。

次は 南比良です。
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