青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
天高く馬肥ゆる秋、と言いますが、残念ながら、私は馬に特別な関心がなく、競馬も見たことがありません。

↓乗馬クラブ・「クレイン京都」近くのホームセンターに、同クラブのPRに来ていた雌のポニー。おとなしくお利口さんにしていました。

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競馬と言って思い出すのは、「二番手」という幸田文(こうだあや 1904-1990 幸田露伴の次女 青木玉の母)の有名な随筆です。彼女が競馬で何より夢中になるのは、「二番手」の馬だというのです。

私はこの二番手を走る馬ほど好きなものはありません。先頭でもなし、三番四番と落ちているのでもなく、二番を走っている切なさ、苦しさはどんなものだろう、と思います。追い抜こうとする気の逸り、追われている苛立ち、こんな哀れ深い、せっぱつまった姿ってあるでしょうか。そうなるともう私はめちゃめちゃです。まわりの人たちの騒ぎにまぎらして、にばんてえ、と叫びます。自分の買った馬ならなお興奮しますが、実はどれだっていいんです。二番手をあがいているものが、私のひいきなのです。
(幸田文「二番手」『幸田文全集 第16巻』382-383 岩波書店 1996)



幸田文は、私の好きな作家ベスト5に間違いなく入る作家で、図書館で全集を借りて(買えないから…)、細かい随筆まで読み漁り、付録の講演会の録音まで聞きました。「二番手」を読むと、へえ、そんなものかなあ…と思いはするのですが、競馬場に行く気にはならず、まだ彼女と同じ心境は体験していません。

早世した姉は露伴にとって初めての子で、また露伴が「植物学者にしよう」と思ったほど頭がよくてちやほやされ、すぐ下の、やはり夭折した弟は跡取りで、また顔もかわいらしかったので大事にされ、間の文は、あまり父にかわいがられなかったようです。その、自らも「二番手」だというやりきれなさを、「二番手」の馬に投影していたのかもしれません。

その幸田文が父・露伴を看取ったのは1947(昭和22)年の夏です。露伴の思い出や臨終などをつづった「終焉」「葬送の記」で注目され始めたのは、その翌年の昭和23年、世の中はまだまだ貧しい時代ですが、競馬場は既に大人気だった様子です。63年前の今日、1948(昭和23)年11月12日付京都新聞山城版↓

S23.11.12KY 淀競馬バス増発b


↓翌1949(昭和24)年10月15日付京都新聞市民版には、市バスまで借りだされるとの記事。四条大宮から淀…今では考えられません。



S24.10.15KC 淀競馬に京阪バスと市バスb

今の淀競馬場線↓ 当時は国鉄(JR)山崎駅には入って来ていなかったようです。

IMG_5634.jpg

↓淀の競馬場も、こんなに整備されてはいなかったのでしょうね。

IMG_5615.jpg

大人気の競馬場と、いつも一定の利用がある競馬場臨時バスですが、一方で大山崎町では、狭い道がバスで渋滞したり、騒音がひどい、という苦情が繰り返され、何度か新聞で取り沙汰されています。確かに大山崎町は通り道になるだけで、ほとんど何の税収にもならないどころか、町民の生活に邪魔で、逆に対策に費用がかかることもあり得る迷惑千万な代物なのでしょう。機会がありましたら、その辺りも取り上げられればと思います。
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