青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
今も昔も、立木観音(安養寺 滋賀県大津市石山南郷町)には参拝客が引きも切らず押し寄せています。だいたい昭和40年代くらいまでの新聞には、毎年、立木観音をはじめ、有名社寺に向かう初詣臨時電車、バスの案内が掲載されていますし、昭和天皇のご病状から、自粛ムードがあった1989(昭和64)年1月2日も、下の写真のような臨時バスが出ていました(まんたろう様撮影)↓

S64.1.2 蛙岩‐新浜

↓立木観音の位置



↓61年前の今日、1951(昭和26)年1月13日付の京都新聞には、こんな賑々しい広告も。16日、17日は、三条京阪から立木観音まで朝9時と午後1時に数台の臨時バスを出すとある他、石山駅-立木観音間も大増発とあります。

S26.1.13KY 宇治バス初立木臨時バスb2

京阪バスと書かれているから、話が分かるのですが、しかし、これとは別に、宇治交通の臨時バスも出ていたことが分かりました。
同日付の京都新聞山城版↓

S26.1.13KY 宇治バス初立木臨時バスb1

これは考えたら大変なことです。この時代は宇治交通はまだ京阪傘下には入っておりません(京阪電鉄に買収されるのは1959(昭和34)年で、この時に「京阪宇治交通」になる)。また、石山線が開通するのはこの10年以上後、昭和37年のことであり、宇治田原-石山間には全くバスはなかったのです。

それまでは自家用車も普及していない時代であり、一旦宇治に出て京阪や国鉄に乗るか、歩くかタクシーを呼ぶかして、禅定寺峠を越えなければお参りできなかったということになりますし、また逆に、お参りする需要があったということも示しています。猿丸神社だけではなかったのですね!

ここまで書いた直後、(財)宇治市文化財愛護協会編『宇治の散歩道 第一集 東宇治地域編』(2005)を読んだところ、

西笠取川の合流点からやや下流の宇治川には「曽束大橋」が架かっている。橋ができて宇治川沿いの道路が全通したのは、天ヶ瀬ダムの完成(昭和39)年以後であり、古くはこの付近二尾(にのお)と対岸の曽束の集落を結ぶ舟渡しがあった。宇治の山間地域と、宇治田原の東部方面を短絡する交通路として、また立木観音の初詣りで大へん賑わったところである。(P96)



と書かれていました。「宇治の山間地域」というと、二尾や笠取のことでしょうけど、そんなところと川と山を隔てた宇治田原の交流がどれほどあったのかと思いますが、立木観音に参る時は、曽束の渡しを利用していたのでしょうね。

末筆になりましたが、まんたろう様、写真のご提供ありがとうございました。
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