青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
比叡辻 ひえいつじ
所在地:大津市下阪本六丁目
開設年月日:不明
廃止年月日:1985-86年頃(京都今津線廃止後大津市内総合線として存続)
付近:比叡辻郵便局
キロ程:来迎寺鐘化前から0.4キロ




現在の公式の読み方は「ひえいつじ」ですが、『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』においては「ひえつじ」という項で扱われています(P581・761)。地元のひとの発音は、ひょっとすると今も「い」が省略されて聞こえるのかもしれません。

明暦2年に、何と徳川将軍家光が、滋賀院に寄進し、滋賀院領となったということです。江戸時代の地理書「與地志略」にこの地名はなく、下阪本の項の中で「大道町、酒井町、絶間(たいま)町、富崎町、比叡辻等なり」とあるそうで(同書P581)、下阪本の一部と扱われていたらしいことが分かります。実際、明治22年から下阪本村の大字、1951(昭和26)年、大津市と合併する時も「下阪本比叡辻町」とされています。

西近江路(国道161号線)と、坂本から東に下った道が垂直に交わるポイントであり、地名辞典で、特にこれを由来、とはっきり書いているわけではありませんが、それが由来なのだろうということは想像に難くありません。

↓坂本から湖岸に下りてきた道が国道161号線とクロスします。直進すると坂本港で、そちらにも少なくとも1964(昭和39)年の時点では京阪バスの路線がありました。1973(昭和48)年頃まではあったようなのですがはっきりしたことは分かりません。

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交差点の名前は「下阪本6丁目」で、バス停の所在地も、北行き、南行きともに下阪本六丁目です。

阪本に汽船が着く。そこで下りて、通りへ出る。田舎町ではあるけれども、ちよつと賑やかである。いかにも比叡山の正面の入口といふ氣がする。名物の蕎麥屋が到るところに軒を並べてゐるのが見えるのも、その特色のひとつだ。
此處の蕎麥は名にきこえたゞけあつて、非常に旨い。上方ではこゝ他に旨い蕎麥はないと言つて好いくらゐである。流石は僧侶の別天地であるといふ氣がした。
(田山花袋「阪本」『京阪一日の行樂』P632)



比叡山ドライブウェイどころか車もほとんどない時代ですから、ここが「比叡山の正面の入口」と認識されていたのですね。
現在はだいぶ山手まで行かないと蕎麦屋はありませんし、それも数軒ですが、いかに賑わっていたのかが分かります。
意外ですが、宮沢賢治も坂本港からここを通って、比叡山に上っています。

上の写真と逆に、坂本の方向を望んでいます↓

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現在、この坂本に向かう道を通る定期路線バスは、平日のみ1日2回運行の江若交通123系統比叡山坂本駅発堅田駅行きだけです。なぜか片道運行です。かつては京阪バス京都今津線の支線ともいうべき系統が京阪坂本駅方面に走っていた他、江若交通ももちろん、まとまった本数が走っていました。これについては別途取り上げます。

※平成27年3月14日付のダイヤ改正以後、平日2.5往復、土日祝日は2往復となっています。

↓交差点北向き

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↓北行きのバス停

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↓こんなのがついていました。

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乗り継ぎ割引があるわけでもなし、誰がここから浮見堂に行くのか、と思いますが、比叡山を下りてきたひと向けなのでしょうか?
思えば、公共交通機関だけで比叡山から堅田に向かうのは、今は大変です。

↓ただ、少なくとも1983(昭和58)年の段階では、北行きのバス停は交差点の南側、現在のサークルKの前です。当時は田んぼだったようです。

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※このサークルKもいつの間にか「坂本医院」になっていました。

それ以降の版の住宅地図では、現在と同じ位置になっています。

1968(昭和43)年5月19日付滋賀日日新聞によると、更に昔は交差点の角にポールがあったそうで、これは161号線上124か所のバス停(!!)で唯一だったそうです。北の角か南の角かは記事からは分かりませんが、バス停が横断歩道の両側にあるので、バスが停車しているとせっかくの横断歩道が利用できない、と言います。近所の住民のインタビューも載っていますが、比叡辻は怖いので、バスに乗る時はわざわざ一つ北の来迎寺鐘化前を利用しているということです。
道路の幅が狭くてバス停を移転する場所がない、とも書かれていますが、どうやらこうやら買収して、また道路の拡幅とも併せて何とかした結果が現在なのでしょう。

この当時はバス停の位置を巡る問題がしょっちゅう新聞をにぎわしています。

↓2枚上の写真の左隅に写っている、「第一勧銀びわこ荘」の案内。

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第一勧銀がみずほ銀行になったのは2002(平成14)年、ずいぶん経ったものです。
恥ずかしながら、第一勧銀が、1971(昭和46)年に第一銀行と日本勧業銀行が合併してできた銀行なのだということを今知りましたが、少なくともそれ以降に立ったものでしょう。嘗ては確かに、新唐崎に保養施設として存在したようですが、今は住宅地になっています。

↓一方南行きは少なくとも1983(昭和58)年の段階から位置が変わっていないようです。それ以前になると、信頼できる情報がなく、位置は特定できません。

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しかし、よく考えると、京都今津線はともかく、大津市内総合線35号経路(大津駅又は県庁前→浜大津→161号線→叡山駅 旧31号経路へと循環)は、どこに停まっていたのか謎です。

↓交差点の北東にある「信玄」の豚丼で腹ごしらえ。

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僕はもうちょっとタレが少ない方が逆に食べやすく感じた(ご飯にしみこみすぎて、濃く感じる)けど、おいしかった!雄琴から歩き通しだったから、お腹が空くこと…。

2011(平成23)年9月号の「GO!GUY」に載っていたのを見て気になって、3年近く経って漸く行くことができました。浮き沈みが激しい飲食店業界、閉まっている店も少なくない161号線沿いにあって、昼のピークを過ぎてもまだ何組もの客がいて、ネットでも多数ヒットするので、有名店に成長しているのでしょう。

次は、太間町【京都今津線本線他】/日吉中学校前【京都今津線支線・大津市内総合線旧35号経路】/江若日吉駅【京都今津線支線】/新唐崎【京津国道線支線】です。
※本シリーズ記事としては一旦日吉大社方面の支線に入ります。
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