青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
昨日の続きで、藤尾について書きます。
1980(昭和55)年2月1日の京都新聞市民版によると、

複雑に入り組む市境界線越しに通学路、交通問題でトラブルが多く、京都市側に反発していた藤尾地区が「地元のメリットが少ない」としてバス運行に難色を示し、足踏み状態が続いていた。

何と具体化してから2年経っているのに、まだバスは走っていなかったんですね。こういう境界線が複雑な地域は、どうしても、ごみ収集や通学路、水道、ガスの配管のことなど、いろいろ問題が起きてしまうようで、バスもそれらの問題の一つとなってしまったようです。
恐らく中学生の通学や、市役所への利便の都合だと思いますが、大津市である藤尾地区としては、浜大津経由の西大津駅行き新設が、山科方面への路線が走る条件だったようです。西大津バイパスの開通は1981(昭和56)年ですから、大津方面へは、大谷を通るのが普通だったのでしょう。

これらの問題を乗り越え、1980(昭和55)年5月11日、すったもんだの末、藤尾・小金塚線が開通しました。開通式の様子を伝える翌日の朝日新聞滋賀版の見出しは「待望のバス7年ぶり発車」とありますから、私が発見した1975年の新聞記事より更に前から、要望はあったのだということになります。生まれた子どもが小学校に入るくらいの年数がかかってしまったんですね。いやぁ、バスを走らせるというのも、大変な事です!

以前掲示板でお世話になったT.F.様から、その当時の車内、またはバス停に掲示されていたものと思われる資料コピーをご提供頂きました。大変貴重なものです。T.F.様より、ネット上での公開の許可を頂きましたので、以下に掲示させて頂きます。もともとはB4サイズでした。

藤尾開通1   藤尾開通2

路線の走り方は、だいたい昨日引用した1978年の新聞記事通りです。大津方面も、藤尾地区住民の要望通り、40号経路として運行されています。
この40号経路は、1982年版の「京阪時刻表」の浜大津のページに記載されていて、いったい何者だろう?とずっと思っていたのですが、この資料で、謎が解けました。問合せ先として、大津営業所の電話番号も記載されていることから、この40号経路は、大津管轄だったのでしょう。
1984年の「京阪時刻表」には、もう40号経路の記載がないため、82-84年の間に廃止され、代わりに西大津バイパス線ができたのだと思われます。しかし、あらゆる問題を乗り越え、最後にめでたく賑々しく開通した藤尾・小金塚系統と違い、西大津バイパス線は、開通時期など詳細はほとんど全く不明です。
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