青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。

墓地には、ひがん花が、赤いきれのようにさき続いていました。と、村の方から、カーン、カーンと、そう式の出る合図です。
やがて、白い着物を着たそう列の者たちがやってくるのが、ちらちら見え始めました。話し声も近くなりました。そう列は、墓地へ入ってきました。人々が通ったあとには、ひがん花がふみ折られていました。

新美南吉「ごんぎつね」より



彼岸花の季節は過ぎてしまいましたが、秋を告げるこの花を見ると、私は決まって、ごんぎつねの話を思い出します。小学校の確か4年生だったと思いますが、国語の教科書に取り上げられていて、私のクラスでも、みんないろいろな意見を出し合って、侃侃諤諤の大議論だったことを今も思い出します。

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一方で彼岸花は、ここでも墓地に咲いていることになっていますが、毒があることもあってか、縁起のよくない花とされ、「死人花」などの別称すらあります。

最近、堅田に行ったとき『堅田時報』という、今でいう「広報」に当たるものがあることを知りました。大津市立の各図書館のうち、和邇(わに)にあるものは貸出可とのことでしたので、参考になる情報があるかもしれない、と思い、取り寄せて借りたところ、こんな記事がありました。
ちょうど今から70年前の今日、1942(昭和17)年11月30日付の記事です↓


旧字体とカタカナで、しかも句読点もなく読みにくいので、新しい漢字に直して、適当に句読点を入れて書き下します。

時局の要請と会員諸姉の熱誠なる御活動に依りまして去日実施致しました彼岸花の採取は予想以上の好成績を得まして、概算合計4730貫と云う多量の採取を得ましたことを国家のため厚く感謝致します。
戦時下我々婦人の負います任務の重大でありまたその団結力の偉大さとを考えます時益々婦人会として、又此の団結の力を国家目的のため活動し以て本会の使命達成のため御努力あらしめんことを成績発表と同時に御願い致します。



目的が何も書かれていませんが、彼岸花は、正しい方法で水に晒せば、根っこのでんぷんから毒を取り除いて食べることができ、そもそもそれを目的に移入された植物だと聞いたことがあるので、戦時中のこと、救荒植物として扱われ、女性たちがその採取を命じられたのでしょう。

花が終わった後の彼岸花なんて、どこにあるのかさっぱり見当がつかないのに、それを探す苦労はいかばかりだったことでしょう。昭和17年にして、毒のあるようなものをわざわざ探し出さなければならないくらい追い詰められていたのだということが窺われ、3年後の日本の運命が見えているような気がします。

彼岸花は何も知らずに、また来年も咲き誇ることでしょう。
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