青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
1958(昭和33)年9月13日、52年前の今日、「大津銀閣寺線」(大津駅-田ノ谷峠-山中町-銀閣寺道)が運行を開始します。社史の年表でも、9月、というだけで日付が抜けていましたが、9月12日付読売新聞、9月14日付京都新聞のそれぞれ滋賀版で、13日の開通でほぼ間違いないことが分かりました。

記事の内容からすると、京都から比叡山に登ろうとするとき、途中にある集落、大津市山中町の住民の要望のようです。この集落と、山中越という道は大変に古い歴史を持っていて、数々の和歌にも読まれている面白いところなのですが、今日それを取り上げるとわけが分からなくなるので、また機会があった時にします。

下の新聞記事をご覧頂くと分かる通り、朝、大津駅を出発して、夕方、元来た道を戻るという格好です。朝使ったバスが、銀閣寺道で昼間ずっと待っているとは考えにくいので、同じバスを使うのでなく、行きは大津、帰りは京都のバスを使い、京津国道線などを介して車両のやりくりをしていたのかな、と思います。

たった1往復でも、一応「通勤バス」なんですね。毎日同じ時間に行って、帰ってくるひとでないと使えませんね。

銀閣寺道なんて、中途半端なように見えますが、市電があった時は、それなりにターミナルだったようです。

S33.9.14京・滋  S33.9.12読

(左)S33.9.14京都新聞滋賀版 (右)S33.9.12読売新聞滋賀版
  
前に取り上げた藤尾の住民は、地形的に山科と一体になっていても、大津市内に行きやすいように、大津方面のバスを出して欲しい、と要望したわけですが、こちらは逆に、とにかく京都方面に行きやすいようにしてほしいということだったのかと推測されます。
集落の外れからほんの少し行けばもう京都市に入ってしまいますし、今も、山中町の子どもは大津市立比叡平小学校を卒業すると、京都市立近衛中学校に通うという特例があるくらい、京都との結びつきが強いので、こうなったのでしょうか。

京都比叡山線も、同じ年の4月、比叡山ドライブウェイの開通に伴って、既に運行を開始していて、多分バス停は設置されたでしょうけれども、朝夕の通勤通学時間帯に乗りやすいバスは恐らくなく、しかも季節波動があり、山中町の一般の住民には必ずしも使いやすいものではなかったのでしょう。

ところで、現在、朝に片道だけ運転されている、56A号経路・山中町発銀閣寺道行は、今は56号・56A号経路 京都比叡平線の区間運転便のように見えますが、実は赤の他人で、本当はこの大津銀閣寺線の末裔なのだろうと思います。

「京都の都市交通懇話会」監修の『京都公共交通時刻表』(ユニプラン 1981)によると山中町-銀閣寺道間の「銀閣寺線」というのが平日5往復、冬季6往復していたことが分かります。その中の1回が、何と現在の山中町発銀閣寺道行きと全く同じダイヤです。(山中町7:40発)

「銀閣寺線」が昭和33年から56年まで何らかの形で走り続けていたかどうか、という部分は詳らかではありません。しかし、少なくとも京都比叡平線も大津比叡平線もまだチャーター便であった1981(昭和56)年の段階で、「銀閣寺線」という名前の路線が走っている、ということは、路線としての歴史は、実は区間運転のように見える山中町発銀閣寺道行きの方が古く、ルーツをたどるとするなら、大津銀閣寺線だろうということになると思います。

京都比叡平線ができた時に、「銀閣寺線」がなくなってもおかしくなかったのに、なぜか生き残っているというのが不思議です。
そして、今でも運転が大変な道なのに、50年以上前なんて、どんなバスが、どんな道を走っていたのだろう?と思います。


山中町  山中町 B-1235

山中町の古い街並みに入ってくるB-1235(左)と、山中町のバス停で束の間の発車待ちをするB-1235。山中町に入ってくる前は、山中上のバス停で京都方向に頭を向けて発車待ちしていたので、西大津バイパス経由で回送されてきたのかな、と思います。

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