青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
札の辻 ふだのつじ
所在地:(浜大津方面)大津市札の辻
    (三条京阪・京都駅方面)大津市京町一丁目
開設年月日:不明
廃止年月日:2006(平成18)年7月1日
付近:東横イン京都琵琶湖大津 大津聖マリア教会 (現在ないもの)西友大津店
キロ程:浜大津から0.5キロ




もともとは町名ではなく、東海道五十三次の最後の宿場である大津の宿駅役所がここに設けられ、「公儀御法度」(幕府の法令)の制札が建てられた場所であるということによる地名です(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P615)。「札の辻」という地名は全国にありますが、概ね似たような歴史を持っているものと思われます。

↓浜大津からここに来る途中には、大津屈指の目抜き通り???菱屋町商店街があります。

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↓交差点全景 浜大津方面
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現在は、「京町一丁目」という味気ない交差点名になっています。

↓「札の辻」の地名を解説した案内板

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東海道と北国海道の分岐点で、人足や伝馬を調達する「人馬会所」というものが設けられ、旅籠も多数集まって、大いに賑わっていたといわれています。


余談が挟まりましたが、1965(昭和40)年からは大津百町の細かい町をいくつか集約した「札の辻」という町名となっています。

↓札の辻から日赤病院に向かう途中の阪本屋は有名な鮒ずし専門店です。

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鮒ずしの他湖魚の佃煮などを扱っています。もともとは木ノ下町の辺りで膳所藩の御用料亭を営んでいたそうですが、明治になってから鮒ずしの販売を機として現在の位置に移ったそうです。この時はまだ、鮒ずしというのは今ほどには有名ではなく、売込みが大変だったそうです。現在の店舗は道路を拡幅した1935(昭和10)年頃の建築だということです(大津の町屋を考える会編「第4章 町屋で商う」『大津百町物語』P138 1999)。

↓叶匠寿庵の本店も近くにあります。

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ここが各地への距離を測る起点となっていて、現在も「大津市道路元標」があります↓

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また、京津線も元々はここが終点で、写真に写っているクリーニング店の前が電停だったということは、知る人ぞ知るトリビアです。このクリーニング屋さんも、2015(平成27)年5月頃に通りかかった時にはもう閉店していました。

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バス停位置は、少なくとも1986(昭和61)年時点から、最終運行日2006(平成18)年6月30日まで変わっていないようです。

現在「らくらくクラブ」になっているこの建物の真ん前、ほとんど横断歩道上と言ってもいいような位置にバス停ポールがあったはずです。

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京都方面のポールはほぼ真向い、この白洋舎の前にありました↓

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↓約60年前、1956(昭和31)年4月23日付の滋賀日日新聞に、このバス停に関する記事が載りました。

S31.4.23S 札ノ辻バス停乗客急増 京津線電停もb

「各商店街が四方より集った中心地点で、利用者が激増しつつあり」

今となっては夢のような記述です。

記事中の「長等公園下駅」とは、現在の「上栄町駅」のことです。この約3年後、1959(昭和34)年3月1日から、現在の駅名 上栄町になります。

記事中で触れられている石山坂本線の錦は、1959(昭和34)年9月1日に復活開業しましたが、札の辻は結局この記事の悲観的な見通し通り、復活することはありませんでした。

次は、滋賀労働局前です。
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コメント
この記事へのコメント
日赤の近くなんですね
浜大津から京阪三条へ向かう路面区間のあたりですね。子どもながらに路面で走ってるのが珍しくて興味津々だったのを思い出しました。また、大津日赤は私が2歳の頃に自宅で転んで目の端を何針か縫うケガをした時に担ぎ込まれた病院でして、断片的ですが転んだ時と病院の外に赤十字マークがあった記憶が残っており、忘れられない病院です。
2016/03/01(火) 22:03:27 | れお | #pamUQ3n2[ 編集]
Re: 日赤の近くなんですね
れお様、コメントありがとうございます。
平均して女性の方が幼少期の記憶が多くて鮮明だと聞いたことがありますが、2歳の時の記憶があるなんてすごいですね。
日赤の辺りは都市計画道路の開通の関係でずいぶん雰囲気が変わったと思います。元々どんな感じだったのか、それほど古い話でないのに思い出せません。
2016/03/02(水) 00:09:27 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
札の辻、ありがとうございます。1986年、製薬会社の新入社員になって、京町第二ガレージを借りていました。向かいは、知る人ぞ知る喫茶、亜矢、隣は、今も残る鶴里堂。で、私は、通勤に時間が合えば46系統か、京津線を利用しておりました。1985年の12月17日だったと思いますが、15時くらいから降り出した雪が止まなくて、京阪バスも壊滅状態、次の日の10時頃に京都に所用があり、三条通りを車で通った際、四宮交番の前で、大津営業所のMARが、放ったらかしに駐車しておりました。
2016/03/02(水) 20:19:58 | tkit | #-[ 編集]
すみません、追伸です。京津線利用の場合には、勿論、上栄町でした。うろ覚えですが、22時30分を超える頃には、京津線も各停のみとなり、高性能吊掛電車、80系の独壇場でした。名前は、忘れましたが、今の東横インの前あたりに、如何にものメンズショップがあり、滋賀ヤサカのタクシーが車列を成していました。ルーフが白、ボディが黒のツートンで、防犯灯とかなしの屋根フラットで、如何にもお洒落に感じたものでした。担当が、大津の病院だった事もあり、特に、市民病院は、京阪バスの車庫の横に病院の駐車場があった事もあり、殆ど毎日通っていました。
2016/03/02(水) 20:45:41 | | #-[ 編集]
Re: タイトルなし
tkit様、初めてのコメント、ありがとうございます。

喫茶亜矢ですか。分からないですね。浜大津には、地元ではちょっと有名という喫茶店がそれなりにあるみたいですね。やっているのかいないのか分からないような小汚い昭和感たっぷりの店が、意外とコーヒーがおいしいとか、スパゲティ(パスタというより…)が絶妙なゆで加減とか、あったりしそうですね。

京町第二ガレージ…見たら思い出すかな。ナカマチパーキングは知っていますけどね。

>1985年の12月17日だったと思いますが、15時くらいから降り出した雪が止まなくて、京阪バスも壊滅状態、次の日の10時頃に京都に所用があり、三条通りを車で通った際、四宮交番の前で、大津営業所のMARが、放ったらかしに駐車しておりました。

調べてみたら、確かにその日、京都市の積雪が10センチという記録が残っていました。12月の京都で10センチというのはなかなかない積雪でしょうね。大津のバスがほったらかし?山科に入れさせてもらおうにも、そこにすらたどり着けなかったのでしょうか。今だったらどうするんでしょうかね。そうなる前にもう運休してしまうのかもしれませんね。

>うろ覚えですが、22時30分を超える頃には、京津線も各停のみとなり、高性能吊掛電車、80系の独壇場でした。

簡単にネットで調べられるかと思ったら、出てくる時刻表が古すぎたりしてよく分かりませんでした。各年度の「京阪時刻表」を見たら確実ですね。

>市民病院は、京阪バスの車庫の横に病院の駐車場があった事もあり、殆ど毎日通っていました。

あまり行かない場所なので、まだ市民病院の前が京阪バスの大津営業所のような気がして仕方ありません。今の若い運転手さんは、その時代を知らないんでしょうね。

また何かありましたら、ぜひコメントをお寄せ下さい。
2016/03/03(木) 00:12:55 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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