青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
北唐崎 きたからさき
所在地:大津市唐崎一丁目
開設年月日:不明
廃止年月日:(京阪バスとして)1985(昭和60)年前後 京都今津線は1974(昭和49)年7月20日?
改称年月日:(不明) (?)→ビワコヘルスセンター前→旅行会館前→北唐崎
付近:旧びわ湖ヘルスセンター 大塚製薬藤井記念研究所 大塚食品琵琶湖研究所
キロ程:四ツ谷から0.3キロ




北唐崎は、今でこそ四ツ谷や石川町とともに、目立たない地味なバス停の1つになっていますが、ここにはかつて京都から京阪の直通バスも運行された「びわ湖ヘルスセンター」があり、少なくともセンターがある間は「びわこヘルスセンター」(『江若鉄道廃止申請書類』による。京阪バスの1964年現在の路線図では「ビワコヘルスセンター前」)というバス停名でした。

リンクさせて頂いているyume様の - yume_cafe - (京都ひとり歩き)の、2011(平成23)年7月30日付滋賀B級グルメバトルにコメントさせて頂き、ひょんなことから琵琶湖ヘルスセンターの話題が出ました。

なかっちょ様のブログピンぼけブログ館の、2006(平成18)年10月29日付記事【江若】浜大津駅の今昔にも、同センターの話題が取り上げられていました。

私は、古い新聞記事を見る中で初めてその存在を知りました。

1960(昭和35)年6月25日付京都新聞掲載の全面広告↓

ssS35.6.25K 琵琶湖ヘルスセンター (2)

この下の方にも、協賛企業の名前などが載っていました。

絵なので、どのくらい実態と合っているか分かりませんが、この通りの建物なら、現在であってもそう古めかしい印象ではありません。
温泉、プールと、水泳場、休憩のできる大広間があったようです。「ヘルスボート」というのが何なのかはよく分かりません。ヨットの絵は描かれていますが…。因みに「ヘルスボード health board」なら、イボイボがたくさんあって、踏むとつぼを刺激して気持ちいい、木製やプラスチック製の健康器具のことのようです。

三条京阪からバスが出ていたんですね。京阪バスと江若バスの便で、京阪バスの9:00、9:30は特に「直通バス」と書かれています。他の便は何なのでしょうか?

↓こんなのも見つけました。

IMG_9163.jpg

1961(昭和36)年8月 京阪電鉄発行の「京阪ニュース」の裏表紙です。
ヘルスセンター発20:30最終、この当時としては結構遅い時間まで営業していたのだろうということが伺えます。

一見すると写真のようですが、手前の建物が奇妙に歪んでいて、これが実際に建っていたのだとしたら怖いです。やっぱり絵なのでしょう。もうちょっと上手に描けるイラストレーターはいくらでもいるでしょうに。

古い住宅地図を調査したところ、位置は現在の「大塚食品琵琶湖研究所」↓の辺りだと分かりました。
DSC_0496_2014050508583994d.jpg

IMG_5788.jpg

DSC_0510.jpg

新聞広告が出た翌年、1961(昭和36)年5月1日撮影の航空写真(整理番号MKK614)を、国土地理院の公式HPで見ることができるのですが「高解像度表示」にすると、センターの前庭らしい位置に、バスが11台ずらっと並んでいるのが分かります。屋根の形も何となく新聞の記事の絵に近い気がします。

1968(昭和43)年5月21日撮影の航空写真(整理番号MKK682)では、大きな客船のようなものが桟橋に係留されているのが見えます。

こうした写真を見ると、周りはほとんど田んぼで民家らしい民家もないのですが、ここだけはオアシスのごとくひとが集まって賑わっていたのだろうと窺えます。

一方1975(昭和50)年3月4日撮影の写真(整理番号CKK7414)では、船は見えるものの、建物は既に取り壊された後のようです。この7年前の昭和43年の写真の船と酷似していて、停泊している位置や微妙な角度まで全く同じように見えて、まさか7年間動いていないのだろうか?と思われるほどです。

住宅地図上では、1971(昭和46)年まで「琵琶湖ヘルスセンター」が確認できるのですが、1973(昭和48)年版では建物名がなく、空白になっています。その後1977(昭和52)年版では「レークセンター唐崎」という名前が確認できますが、琵琶湖ヘルスセンターとの関係は分かりません。

また、北側の「大塚製薬㈱藤井記念研究所」の位置は、1968(昭和43)年から1971(昭和46)年の間は、「琵琶湖旅行会館」となっており、1970(昭和45)年の都市地図においては、バス停名も「旅行会館前」となっています。「琵琶湖旅行会館」で検索すると、僅かに「修学旅行新聞」(…またそんなものがこの世の中に存在するなんて…)というのがヒットするので、修学旅行向けの施設だったのでしょう。しかし、ずいぶん短い寿命です。

驚いたことに、向かいには「滋賀交通」と書かれていますが、調べてみると、これは1975(昭和50)年頃から約10年間、滋賀交通の大津タクシー営業所だったことが分かりました。その後は大津タクシー㈱に継承されたようですが、現在、営業所はありません。

1983(昭和58)年版の住宅地図では、大塚中央研究所が建築中ということになっていて、1985(昭和60)年版ではもう建築済みです。1983年までは空き地だったのでしょう。

なぜ琵琶湖ヘルスセンターは閉じられてしまったのでしょう。開館はデカデカと広告が出ても、閉館をデカデカと伝えることは、よほどの場所でなければないことで、もしかしたら小さい記事が新聞に出たかもしれませんが、現時点では分かりません。

↓食中毒が起きていたという記事を見つけました。

S38.7.24S ヘルスセンター食中毒他b

今ある店だと出すのが躊躇われますが、とっくの昔になくなっているのでいいでしょう。
ただ、これは1963(昭和38)年7月24日付滋賀日日新聞ですので、別にこれによってヘルスセンターが経営の危機に直面した、ということではなさそうです。やはりいつの時代も、食べるものは本当に気を付けないと怖いですね。


―――――そして、バス停は歴史に翻弄されながら、恐らく「旅行会館」が閉じた1971(昭和46)年以降、「北唐崎」になりました。

「バスの日まつり in びわこ 2014」で売られていた、「北唐崎」のポールヘッド部分。
「京阪」も併記されている、感無量の逸品です。

IMG_0363.jpg

比叡辻以南は、京都今津線亡き後も、少なくとも1984(昭和59)年頃までは、旧35号経路(県庁前?・大津駅-浜大津-国道161号線-叡山駅)が走っていたので、比較的長く、「京阪」が併記されたポールが残っていたことだろうと思います。それにしても30年ほど昔のものです。

↓現在の北唐崎バス停の付近 北向き全景

DSC_0498_20140807123850f85.jpg

↓南向き全景

DSC_0504.jpg

↓南行きポール

IMG_5793.jpg

IMG_5792.jpg

DSC_0493_2014080712385296d.jpg

↓北行きポール

IMG_5789.jpg

↓南側から北行きのポールを見ても特に何も思いませんが、北から見ると…

DSC_0505_201408071238485b2.jpg

「何を恥ずかしがっているの?」と聞きたくなってしまいました(笑)。

次は、唐崎です。
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コメント
この記事へのコメント
こんばんは。

いつも楽しく拝見させていただいております。
今回は、私のブログの懐かし写真を取り上げていただきありがとうございます。

南湖の西岸にも何ヶ所か水泳場があったなんて、今では信じられませんね。

50年も前は、まだ湖水もきれいだったんでしょう。
2015/12/21(月) 22:47:06 | なかっちょ | #mQop/nM.[ 編集]
Re: タイトルなし
なかっちょ様、ご無沙汰しています。

> 南湖の西岸にも何ヶ所か水泳場があったなんて、今では信じられませんね。

一応新唐崎は「現役」のようなのですが、是非入ってみたいとは思わないですね。
今、びわこヘルスセンターに類似するような施設を作ったとしても、湖水そのものに浸かるような水泳場を併設することはできないでしょうね。

> 50年も前は、まだ湖水もきれいだったんでしょう。

それから僅か約10年後の1977(昭和52)年には、琵琶湖で初めての本格的な赤潮が観測されてしまいます。
2015/12/23(水) 00:33:34 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
記憶。
いつもながらの、丁寧な調査・研究?には脱帽です。 どのようにしてこのような資料を見つけてこられるのでしょう。努力の賜物ですね。
おかげさまで、あの日の記憶がかなり蘇ってきました。

このような場所にはいつも家族で出かけるのですが、その日は父はいませんでした。母と妹と私と私の友達で、浜大津あたりからバスに乗ったのでしょうか?それとも国道161号沿の三保ヶ先からだったでしょうか。

広告等を拝見すると、かなり大きな建物で上階に宿泊施設でもありそうな感じですが、私が行ったのは一階だけでそれもあまり広くはなく、お土産屋さんのようなものが何箇所かあったような。。そんな記憶です。
紅葉パラダイスをご存知なら、あれを小さくしたような感じという感じです。

どこで水着に着替えたのかは記憶にありませんが、そのお土産屋さんのような場所から、そのまま琵琶湖に出る通路があり、すぐに琵琶湖ですが、少しだけ木の廊下のようなものがあったでしょうか。

琵琶湖にロープが張ってあったと思いますが、そんなに距離はなく、ほんの一角が 泳げる場所だったと思います。
遠浅ではなく、すぐに深くなっていて浮き輪につかまっていたような気がします。

プールの記憶はなく、少しだけ遊んですぐに帰ったかなぁ。

確かにバスは ヘルスセンターの前まで来ました。

あの日の写真がどこかにあるといいのですが、あの頃 カメラは女子供には使えなかったから、ないんですよねぇ。。

あれは昭和40年のはじめ頃だったと思います。
2015/12/27(日) 18:56:05 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
Re: 記憶。
yume様、コメントありがとうございます。

> いつもながらの、丁寧な調査・研究?には脱帽です。 どのようにしてこのような資料を見つけてこられるのでしょう。

新聞を「図書館の端末で検索しているのか?」と聞かれたことがありますが、そんなものに一つ一つの見出しや記事内容が登録されているはずもなく(図書館員にそんな時間ないですね)、ほぼ完全に手作業です。縮刷版やマイクロフィルムを1日ずつ徹底的に確認する、それで気になった記事をコピーする、それしか新聞記事の検索方法はありません。京都、朝日、読売、産経、滋賀日日…昭和20年の終戦から在庫がある限り全部…自分でも今思うと気が遠くなりそうです。もういやです(爆)。

努力というか、もうとにかく根気と病気(笑)ですね。決して気が長い性格ではないと思うのですが、「ネットで検索できるようなこと」なんかでは満足できなくて、これでもか、これでもかとやっているうちにこういうスタイルになってしまいました。

今回もアップしているような、新聞でないものはヤフオクで仕入れたり、知人に見せてもらったり譲ってもらったりしています。

それによって、いろいろなことを思い出して頂けるなら、私もうれしいです。

> 琵琶湖にロープが張ってあったと思いますが、そんなに距離はなく、ほんの一角が 泳げる場所だったと思います。
> 遠浅ではなく、すぐに深くなっていて浮き輪につかまっていたような気がします。

琵琶湖は概して遠浅ではないですから、怖いですね。近江舞子で脚が取られるような感覚に襲われて、溺れそうになるのを、「水死者の霊の仕業」とかいうひとがいますが、あれは浜から僅かな距離ですぐに深くなっていて、比良山系の伏流水が流れ込んでいて急に水が冷たくなり、脚が攣ったりしやすいからなんですね。

> 確かにバスは ヘルスセンターの前まで来ました。

ああ、やっぱり乗り入れていたんですね。

> あの日の写真がどこかにあるといいのですが、あの頃 カメラは女子供には使えなかったから、ないんですよねぇ。。

そんなに操作方法が特殊だったんですかね。私もカメラ、特にフィルムのカメラのことはよく分からないんですが、私の機械オンチもひどくて、無茶をして壊して騒ぎを起こしたこと一度や二度ではないので、そんなのだったら使えません。

確かに、昭和末期、「写ルンデス」みたいなコンパクトなカメラが普及する頃まで、写真を撮るのはなぜかお父さんの仕事、みたいなイメージがありますね。でも、あくまでイメージでしょう。「1億人の昭和史」(毎日新聞社)とか見ていると、ちゃんと女子高生がカメラ構えている写真とか、ありますよ。ただ、確かに車の運転同様少ないとは思います。
2015/12/27(日) 21:58:45 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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