青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
竜門 りゅうもん
所在地:大津市大石龍門一丁目字吉ノ田
開設年月日:(京阪宇治交通として)1963(昭和38)年3月19日
      (京阪バス9・4A号経路として)1985(昭和60)年3月4日
      (京阪バス4G号経路として)2008(平成20)年11月1日 
廃止年月日:(京阪バス9・4A号経路として)不明
      (京阪宇治バスとして)2008(平成20)年11月1日
キロ程:大石中から0.5キロ(石山駅から10.0キロ)
    (※京阪バスは大石中から0.4キロ 石山駅から10.0キロ)




大石の各字の中でも一番豪壮で個性的な地名は「龍門」だと思います。大石川とこれに沿うバス通りを境に東龍門と西龍門に大きく分かれています。『滋賀県の地名 日本歴史地名体系25』によると、寛政期の旱魃(1789-1801)を機に、一時別の村として分離しましたが、1841(天保12)年に再統合されました。

↓東龍門

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↓バス停付近から眺める西龍門

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古い家はほとんど、ぐるり取り囲む山の麓のやや標高が高いところに立地しています。川沿いは土地が低く、氾濫しやすいから、耕地に使っているのでしょう。

「竜宮の門」の略が由来だということですが、ならその「竜宮」とは、私たちが「浦島太郎」の昔話でイメージするような、ああいう「竜宮」なのか別の何かなのかという、肝心なことは書かれていませんでした(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P733)。

1972(昭和47)年3月22日付読売新聞の「わが町再見」というシリーズ記事で龍門が取り上げられていますが、奈良時代にしばしばここを通った天皇にお茶を献上して賜った地名、などの説が書かれています。
また、同記事の中では、大石の中では耕地が多く、比較的豊かだとされています。

しかし、『大石のあゆみ』(1970)によると、1968(昭和43)年、この辺りの田んぼで稲刈りをしていたひとの鎌から青い光が出て気分が悪くなり、はさ掛けしている稲穂に触るとしびれるなどという奇妙な現象が起きたそうです。もっと昔なら、祟りだとか何とかの霊の仕業だ、と恐れられたのでしょうけれど、もうさすがにこの時代にそんなことを言うひとはいません。すぐに高圧線の仕業だと分かり、関西電力に対して、まずは高圧線の移動が求められました。しかしそれは叶わず、鉄柱を10m高くする、耕地に被害が出ないような設備を整えて保証金と見舞金を支払う、協力費を支払う、などの条件で一応解決を見たそうです。

本当にそんなことが起きるのだろうか、と思って、苦手分野ながらいろいろ調べたのですが、最近よく話題になる電磁波の影響よりは、寧ろ電流そのもののコロナ放電(電圧が一時的に高圧になって絶縁状態が悪くなった時に、放電する現象)が起きると、ないとは言い切れないのかな、と思います。

これを読んでから後に改めて龍門に行ったのですが、現在、高圧線らしい高圧線はなさそうです。

バス停は、盆地状の龍門の集落の中央の交差点の所に位置しています。これは京阪宇治バス時代のバス停です↓

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バス停のポールは大石方面にだけ存在していて、京阪バスになってからもそれを踏襲しています。宇治交通石山線廃止直前は、間もなく開通する京阪バス4G号経路用のポールも一緒に並んで立っていて、その写真も撮った気がするのですが、どうしても見つからず、残念です。

現在はもちろん、京阪バスのポールだけが立っています↓

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よく見ると、ガードレールの内側に立っていた宇治バスのバス停と違い、京阪バスは外側に立っています。

地名は正式には「門」と書きますが、バス停名は「門」です。

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龍門の八幡神社には「びんずるさん」という木像が伝わっていて、日照りが続くとこの木像を祀って雨乞いし、その後像を俵に入れて、大石川の「べんずり淵」に運んで沈めると、必ず雨が降ったと言われています。淀と共同で行うこともあったそうです。

↓八幡神社は東龍門にあります。

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最初に誰がこんな手荒なことを思いついたのか不思議ですが、願いが叶うと像を着飾って、今度は神社ではなく、正願寺↓という同じ龍門でも西龍門の方のお寺に祀ってお礼の宴を開くのだと言います(『大津の伝説』1988 大津市教育委員会博物館建設室/編 P128)。

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社会福祉法人大石福祉会の「リバプール通信」H20年6月号によると、この「びんずるさん」は、宇治田原から大石川を下って龍門に流れ着き、流れ着いたところを宇治田原の奥山田のひとが拾って奥山田に持ち帰って祀ったところ、却って病が広がったので「びんずるさんは龍門に帰りたがっているのだ」と思って、龍門で祀ったのだということです。…奥山田から流れ着いたのなら、奥山田の方が故郷のような気もするのですが、不思議です。
似たような話は、『大石のあゆみ』(1970)にも載っています(P17)。

ここでは、龍門のひとが「びんずるさん」を沈めるのでなく、下流の住民、つまり中や淀のひとが「盗み取って」大石川の淵に沈める、とあります。
「ホイヤーサンャ、ヤーサンャ、ビンズル、ビンズル、ビンズルヤ、オイ、テンテコ、テンテコ、テンテコテン…」
という謎の歌も掲載されていて、これを歌いながら踊ったのだと言います。誰か歌えるひとがいるなら、録音しておきたいですね。でも、この本の出版時点で既に過去形なので、もう龍門のひとでも、何これ?と思うのでしょうか。

それにしても先述の寛政の旱魃の時に、「びんずるさん」の雨乞いは効かなかったのでしょうか?

因みに、「べんずり淵」は、はっきりしたことが分からないのですが、私は大石橋の南にあるこのしめ縄のかかった岩のあるところではないかと思います↓

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水は深く、緑色で、淵と呼ぶにふさわしい地形です。

↓岩の前をF-3032が駆け抜けます。

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↓小田原・宇治田原方面を望んでいます。

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次は、奥出です。
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