青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
京都今津線の記事が大きな節目である堅田に到達しました。堅田を中心とする江若鉄道、江若交通の時刻表を収集して、ある程度まとまった数になりましたので、番外編として皆様にご覧頂こうと思います。

残念ながら、私の「専攻」である京阪バスについての記載はほとんどありませんが、時系列に並べましたので、その変化をご覧下さい。江若は専門ではないので、細かい解説はできません。逆にお気づきのことがある方、思い出のある方など、是非コメント頂ければと思います。

↓これは、1949(昭和24)年11月3日付『堅田時報』掲載の、堅田の各交通機関の時刻表です。

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この時点ではまだ京阪バスは走っていません。

↓一方、こちらはその1年半後、1951(昭和26)年4月20日付『堅田時報』に掲載されていた、堅田の各交通機関の時刻表

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24年も26年もどちらも船便が普通にあったのですね。この時代の舟運の重要性を感じさせられます。
そして江若鉄道はもちろん主役で、26年になると京阪バスも姿を見せます。京阪バスは京都方面に向かう便ばかりですね。また、江若バスの三条行きも登場しています。

しかし、『近江・湖西路 くらしと共に五〇年 江若交通労働組合30周年記念誌』(江若交通労働組合30年誌編集委員会編 1998)には、

昭和二八年四月、京阪自動車㈱と相互乗り入れにより浜大津~三条間の営業を開始した(P35)



とあります。
江若交通労働組合に対しては失礼な書き方になってしまいますが、さすがに日付がはっきりと入っている『堅田時報』の方が間違っている可能性は非常に低いのではないかと思われます。

一方『京阪自動車五十年史』(1970)の年表には、1950(昭和25)年に京阪バスと江若交通が、三条―和邇間で相互乗り入れの協定を締結したとあり、それなら1951(昭和26)年発行の『堅田時報』に既に京阪バスの和邇行きの時刻があるというのもおかしくありません。

↓こちらは、T.F.様から頂いた、1968(昭和43)年8月19日、江若鉄道最後のダイヤ改正時点の時刻です。バスも記載があります。

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どうして系列の京阪バスのダイヤがなくて、国鉄バスが書かれているのかよく分かりません。

江若鉄道が並行しているせいか、堅田以南でも1時間1本程度しかありません。今は江若交通浜大津線本線と言えば全便大津駅又は県庁前発着で当たり前ですが、この当時は大津駅発着が意外に少ないです。そもそも浜大津線は浜大津発着だったから浜大津線なのです。大津駅に延伸するのは1955(昭和30)年10月15日のことです。

↓続いて、堅田の回でも取り上げた、同じくT.F.様から頂いたその1年後、1969(昭和44)年8月25日改正の江若交通の時刻表。

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江若鉄道の廃止はこの直後の11月1日(営業運転最終日は前日10月31日)ですが、この8月25日から、鉄道は朝夕だけの運行となり、バスがほぼ代行輸送本番さながらに走り出したようです。残念ながら共同運行だったはずの京阪バスのダイヤは載っていません。1年前のダイヤとは比べ物にならない本数です。

1971(昭和46)年の車両制限令の直前なので、まだ堅田町内を回って三条に行く便があります。細い小川が大河に注ぎ込むようです。

↓こちらは、「江若鉄道廃止申請書類」記載のダイヤグラムを、ダイヤグラムのままでは読むことができないかわいそうな私のために、膳テツ様が時刻表に起こして下さったものです。

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※区間急行など、一部の便には対応していません。
※堅田以南だけで完結する便は元の資料にも記載がないため、ここにも記載しておりません。

壮大な代行輸送計画であったことが分かります。
8:20日吉大社前発堅田駅行4台続行運転って何なんだろう(爆)。日吉大社まで来た4台のバスを単に引き返させているだけなのか?
なお、朝の日吉大社行きは比叡山中学校・高校の生徒と、雄琴から大津市立日吉中学校に通う生徒や、京阪電車に乗り換えるひと向けに走っていたようです。
片道だけ朽木始発があるなど、鉄道のように複雑な運転体系が面白いです。

そして、時代がだいぶ下がって、1980(昭和55)年頃の時刻表。

↓堅田葛川線・仰木線など

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学校がもう始まってしまっているような時間に、葛川学校前と細川を往復する便は一体何なのでしょう?
この時点で既に堅田-細川間を通す便は1日3往復しかなかったことが分かります。
また、多くの便が堅田町内を循環しています。この当時は細川に、堅田営業所と安曇川営業所が共同で使用する車庫兼宿泊所があって、双方の最終便を運転した運転手が宿泊して、翌朝それぞれの始発便を運転するという体制をとっていたようです。

現在は、朝一番の葛川からの便は安曇川、堅田のそれぞれから回送しているのだそうです。一見壮大な無駄のように思えますが、労務管理や施設管理の問題があり、また道路事情も当時と比べると格段に良くなっているので、結局安全やコストを考えると、その方が得なようです。

時代によっては朽木から安曇川営業所の車を使って堅田に下りてきて町内を循環するという運用もあったようですが、この時点ではそれはないようです。

それにしても「江若交通造園部」とは何でしょう?今ネットで調べてもそういう部署はないようです。

ここからは1985(昭和60)年頃の時刻表です。

↓今はほとんどコミュニティバス化されている高島線、船木線など。

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新旭線の「貸切限定」とは何でしょう?デマンドバスのようなものでしょうか。

↓堅田町内線、堅田葛川線など。

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琵琶湖大橋線は、1980(昭和55)年頃の時点では、また国道辻などという中途半端なところまで通し運転されていましたが、この時点ではもう免許センター止まりになっています。佐川美術館が開館したり、近江鉄道バスと共同運行の守山駅行きが開設されたりするまで長らくこの状態だったと思います。

↓高島今津線。現在は年に1回9月5日運行の白鬚神社の臨時便の路線名になってしまいました。

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本堅田-安曇川駅間を通す便が1往復だけあることが注目されます。これは安曇川か、堅田かどちらの管轄だったのでしょう。鵜川から和邇の間の時刻表は他にないので、T.F.様に確認したところ、何とこの時点で既に、和邇と鵜川の間を通すバス路線は1日1往復だけだったそうです。驚きです。

この時代、既に「かまどや」があったんですね!創立は1980(昭和55)年ですので、その数年後にもう安曇川に出店していたのですね。残念ながら今はもうこの店はなく、代わりに高島市内では新旭など2か所にかまどやがあります。

内田製菓さんは今も朽木にあるようです。竹の皮もち気になるなあ。

↓日吉台線、ローズタウン線などです。

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ローズタウン線は、小野駅がないので全盛期です。今も堅田直通便は、堅田に直接買物に行きたいといった需要に応えているようで、ある程度の本数があります。JRに乗り換えるより、運賃が通し計算で安いのでしょう。

何より注目すべきは、雄琴駅-日吉大社間の浜大津線の支線!6往復もあります。
1969(昭和44)年時点のダイヤほどの勢いはないものの、まだこの時点で通学用の名残があります。現在、雄琴学区居住の日吉中学校の生徒はおごと温泉-比叡山坂本間で湖西線に乗るというのが一般的なようです。

↓ローズタウン線と、浜大津線のうち、和邇方面に通す便。

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県庁前-志賀駅なんていう便がありますね。

↓こちらは浜大津線本線と穴太線です。堅田に向かうのが下りなんですね。

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↓こちらは同じく上りです。

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江若交通の、そして堅田の交通の戦後史を概観しました。

思い出やご感想、気づかれたことがおありの方、或いは他にも資料をお持ちの方など、コメントやメールを頂ければ幸甚です。
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