青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。

お母さんが小さな女の子だった頃の写真
帰らない遠い夏の日の
届かない あこがれ

「お母さんの写真」上條恒彦 歌/宮崎駿 作詞/久石譲 作曲



この歌がジブリのアニメを使った、ハウス食品のCMで使われて、もう7、8年は経つんですね。覚えていらっしゃる方も多いと思います。

お母さんの写真お母さんの写真
(2003/07/30)
上條恒彦

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リンクさせて頂いている- yume_cafe - (京都ひとり歩き)の管理人で、よくコメントを寄せて下さっているyume様が、昭和36-38年頃の幼少期の思い出の写真を提供して下さいました。ありがとうございます。この「お母さんの写真」がぴったりで、いつも使っているオーディオコンポで流しながら、この記事を書いています。you tubeで検索しても出てこなくて、皆様にお聞き頂けないのが残念です。

↓お母さんの婦人会の行事で、長浜に行った時ではなかろうかとのことです。
バスの車体の側面に滋賀県の県章がありますが、拡大すると後ろの方に書かれている社名は確かに「滋賀交通株式会社」と見えます。
因みにこちらを向いて立っている小さな女の子がyume様なのだそうです。

110824_001.jpg

↓次の写真は、浜大津港です。
船の名前までは分かりませんが、その向こうの山は比叡山ですね。ベビーカー……というより「乳母車」に乗っているのはもちろんyume様です。

※yume様からの、「私の幼児期の顔はそのままでよいですが、周囲の大人は適当にぼかして下さい」とのご要望に基づき、一部画像を修正しております。



110824_010.jpg

↓後ろの飛行機は、恐らく、5月30日付拙稿1963(昭和38)年5月30日 京都八日市線開通でも取り上げた「関西航空」という京阪系の航空会社(現・かんこう)の、遊覧飛行機だと思われます。型式番号のようなものが見えて、JA3141か、JA8141だと思うのですが、よく分かりません。1972(昭和47)年まで、琵琶湖を観光遊覧する飛行機があったそうです。

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↓yume様ご本人は、「柳ヶ崎」と記憶されていましたが、後ろに「新唐崎水泳場」の幟(のぼり)がありました。

110824_007.jpg

「新唐崎」ということばは、長らく大津市民をやっている私も、つい最近まで全く知りませんでした。「京阪バス五十年史」(1972)の年表に書かれているのを見たのが最初だと思いますが、最初はどこのことか見当がつきませんでした。住所で言うと、唐崎や際川といったいわゆる「唐崎学区」というより、「下阪本学区」のようですが、石山に住んでいるからピンと来ないのか…、最近はあまり使わない表現なのか…。実際ネットで、制限付き検索しても2000件もヒットしませんでした。何が「新」なのかもよく分かりません。

↓地図を見ると、今も「新唐崎水泳場」と書いてありますが、泳げるような水質なのでしょうか?



↓極め付きは……何と、yume様のお父様がか書かれたという「納涼バスの中」のメモ付きの写真と、そのバスで辿りついた比叡山の記念写真!

yume様がコメントでも書かれていましたが、これは正に、昨年8月11日付拙稿納涼バスで取り上げたあの「納涼バス」そのものではなかろうかと思われます。

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まさかこの納涼バスに本当に乗られた方の思い出のコメントだけでなく、写真まで頂けるとは思っていませんでした!タンクトップの女の子がyume様だそうです。小さな女の子が1人でこの座席に座って山を登るのは少々危なっかしい感じがするので、恐らくお父様が横に座っていらっしゃって、写真撮影のためにすっと立った、というような情景でしょうか。

「比叡山にて 夏とは云え夜は寒いので」というメモ付きで、上に少し多めに着せかけられている女の子はもちろんyume様です。後ろで微笑んでいるのはお父様なのでしょうか?大事に育てられていたんだろうな、というのが伝わってきます。
やはり涼むのには最適で、「納涼バス」の効果は絶大???だったことも分かりますね。

110824_005.jpg

末筆ながら改めて、yume様、ありがとうございました。夏の日は遠くて、帰ってきませんが、でも、帰らない夏の日が「現在形」でそのまま封じ込められている貴重な写真でした。
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コメント
この記事へのコメント
ありがとうございます。
 喜撰猿丸さん、このような素敵な形で取り上げて頂きありがとうございます。
 父の写真のおかげで、幼い頃の記憶はいつまでも鮮明に残っているのですが、喜撰猿丸さんのおかげで、それに付随することがどんどんわかってくるので、いつも楽しく拝見させてもらっています。
 母が「柳ヶ崎の水泳場」と言っていたと思うのですが、「新唐崎」の幟がありましたか。。丁寧に見て頂きありがとうございます。
 20歳までは浜大津近辺に住んでいまして喜撰猿丸さんよりは大津市北部に近い場所に居たはずですが「新唐崎」と言うのは私も初耳でした。 なんだか。。解明したくなってきますね。
現在も「新唐崎水泳場」の標記があるなんてのも、不思議でもしかすると地図を見て泳ぎに行く人がいるんじゃないか?と心配になったりします。

そして、「新唐崎水泳場」と「ヘルスセンター」も関連があるのではないかと。。考えるとますます気になってきます。
2011/09/15(木) 21:11:50 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
Re: ありがとうございます。
yume様、こちらこそ素敵な写真ありがとうございます。

>  20歳までは浜大津近辺に住んでいまして喜撰猿丸さんよりは大津市北部に近い場所に居たはずですが「新唐崎」と言うのは私も初耳でした。 なんだか。。解明したくなってきますね。

確かに、何が「新」なのかよく分かりませんね。

> 現在も「新唐崎水泳場」の標記があるなんてのも、不思議でもしかすると地図を見て泳ぎに行く人がいるんじゃないか?と心配になったりします。

いやまあ、泳げる状態なら別にいいのだと思いますが、普通に考えれば、南湖では厳しいかなという感じですね。

> そして、「新唐崎水泳場」と「ヘルスセンター」も関連があるのではないかと。。考えるとますます気になってきます。

琵琶湖ヘルスセンターは新唐崎というより、今の江若交通の北唐崎バス停の辺りですね。去年、写真を撮ってあるかと思って捜しましたが、どうしても見つかりませんでした。多分、車だったので、置き場所とか分からなくて、少し路肩に寄せて様子を見る程度だったのを、かなりしっかり調査したかのように記憶違いしているのでしょう。涼しくなってきましたので、堅田まで進んだ徒歩取材を再開しようと思っています。その時に付近を調べ直します。
2011/09/15(木) 21:48:13 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
船の名前
写真、楽しく拝見させていただきました。
浜大津港の写真の船は琵琶湖汽船のはり丸ですね。
浜大津~竹生島を結んでいた船で、ミシガンが就航するまでは琵琶湖汽船のフラッグシップでした。
私は小学生の頃、高知から出てきた父方の祖母と親子四人、計五人で竹生島までのクルーズ?を楽しみました。船の窓から開通したばかりの湖西線を見た記憶があります。
2011/09/16(金) 00:55:50 | K2 | #-[ 編集]
玻漓丸
K2さんありがとうございます。「玻漓丸」ですね。
父の口から「玻漓丸」の名前はよく聞きました。
今 ふと 浜大津港にあった「ハリー食堂」は玻漓丸からきていたんだなぁと気づきました。
「たそがれショーボート」の記憶があります。祖父母と夜の船に乗りました。何も覚えていないのに、船の中の階段を下りると、経験した事のない華やかな空気、外国音楽をギターやウクレレを持って人々が歌い踊っていた。。。。。アロハシャツのおじさんもいたような。。  まるで映画の一シーンのようにその部分だけを覚えています。
幼い私にとっては強烈なイメージだったのでしょうが、きっとショーだったんですね。

新唐崎水泳場に調べてみると、今は公園になっているようですね。
2011/09/17(土) 14:55:13 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
玻璃丸
K2様、yume様、いつもありがとうございます。
「玻漓丸」は「玻璃丸」ですね。「玻璃」は、確かガラスの宝玉とか、そんな感じの意味じゃないかな、と思って調べ直したら、ガラスの別称、また仏教用語では水晶…などと書かれていたので、当たらずとも遠からずでした。恐らく琵琶湖の湖面を、ガラスに譬えたのでしょう。

船には正直特別な関心がないので、心もとないのですが、たそがれショーボートは、何か資料があった気がするので、出てきましたら、UPさせて頂きます。

竹生島のクルーズもいいですね。私はフローティングスクールで行ったのを思い出しますが、今はカワウの糞ですっかり汚されているそうで、深刻な問題になっているそうですね。
2011/09/18(日) 21:43:50 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
江若バス車内乗車券
 初めまして。
 この休みに収集した切符の整理をしていて、江若バスの乗車券が出てきました。地図式の自社路線のほとんどが載っているらしいものです(券面には「A」記号記載もあるので、これ以外の地域用のBなどが存在した可能性があります)。ただ車内乗車券の場合発行年が記録されないものがほとんどで、これも例外ではありません。手元に残すにしても、交換用に手放すとしても年代が判らないのは困ります。
 そこで券面のバス停の名称を手掛かりに調べ始めました。時期が限定できるものとしては、大津サービスエリヤ、サンケイバレイ、びわこヘルスセンター辺りが一番可能性がありそうです。揃ってカナの施設名というところが如何にも新しく出来ましたよ、という感じですね。ほかに有力なものとしてはびわこ大橋というのもあります。
 ともあれびわこヘルスセンターを検索して先ずこちらに来ました。残念ながらここでもほかでもウェブには詳しい記録は無いようです。位置としては四ツ谷(次が下坂本)と唐崎の間にびわこヘルスセンターバス停があります。
 続いてサンケイバレイを調べたところこれはウィキペディアに記事があります。はっきりした年代は判りませんが1970年以前に経営母体が代わって「サンケイ」ではなくなったようです。もちろん他の手掛かりから更に年代を絞ることも出来るかもしれません。

 元々この切符は、家族が江若鉄道と関わりが有ったらしい山科の人がまとめてオークションに出したものの1枚でした。先に書いた琵琶湖大橋開通記念乗車券もあります。それらからおよその年代は判りますが、20年以上の範囲に亘っていて、正確なところはやはり判然としません。
 ともあれ1枚の切符が地域や場合によっては国の歴史とも関わっているわけです。収集の楽しみはそのような背景を調べるところにあると感じています。 
2014/01/03(金) 11:00:26 | 一円 | #eHP7HEy2[ 編集]
Re: 江若バス車内乗車券
一円様、初めまして、貴重なコメントを賜り、ありがとうございます。
その江若の件は、私も持っていたと思いますが、同じ時代かどうかはすぐにはわかりません。

>  そこで券面のバス停の名称を手掛かりに調べ始めました。時期が限定できるものとしては、大津サービスエリヤ、サンケイバレイ、びわこヘルスセンター辺りが一番可能性がありそうです。揃ってカナの施設名というところが如何にも新しく出来ましたよ、という感じですね。ほかに有力なものとしてはびわこ大橋というのもあります。
>  ともあれびわこヘルスセンターを検索して先ずこちらに来ました。残念ながらここでもほかでもウェブには詳しい記録は無いようです。位置としては四ツ谷(次が下坂本)と唐崎の間にびわこヘルスセンターバス停があります。

ごめんなさいね、お役に立てなくて。
本当はヘルスセンターについては詳しい記事を書きたいのですが、いかんせん他にやることも多くて、資料の整理が追い付いていません。
今の「北唐崎」バス停がこれに相当すると思います。

名神大津よりも琵琶湖大橋の方が新しく、サンケイバレイも1968年前後に経営を譲渡したと思うので、もし、江若鉄道の「駅」の名前の記述があるなら、江若鉄道廃止直前の1968年ころとみることができるかと思います。
尤も、こういう乗車券を、即座に訂正して更新しているかどうか、というのがまた問題です。また、バス停名も、施設の名前が変わったりなくなったりしたからと言って、すぐに変えているわけではありません。例えば、今の江若バスも、おごと温泉駅や大津京駅への改称を反映せずに、従来通り『雄琴駅』『西大津駅』という停留所名を用いています。

せっかくメールアドレスも記して下さっているので、落ち着いた時にもう少し調べて分かることはお知らせいたしましょうか?

>  ともあれ1枚の切符が地域や場合によっては国の歴史とも関わっているわけです。収集の楽しみはそのような背景を調べるところにあると感じています。 

そうですね。交通というのは、ひととひと、まちとまちを結ぶものですから、あらゆることにかかわります。もう少しそういう観点が必要だといつも思います。
2014/01/03(金) 12:35:22 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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