青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
1972(昭和47)年の今日、大津-比叡平間を連絡バスが走り始めます。
といっても、比叡平を開発した会社が京阪バスをチャーターするという形であるため、いわゆる「路線バス」ではありません。

同年9月27日付の滋賀日日新聞には、「価値ある団地の価値ある生活」という比叡平の売り出し広告と、先に走り始めている京都方面も含めたバス時刻表が掲載されています。団地内を走行する「京阪」幕のバスの写真も写っています。因みに時刻は以下の通りです。今のダイヤと比べて、どうでしょうか?

比叡平チャーター便時刻表


大津が「志賀里」(「滋賀里」の間違い?)発着というのが不思議な感じがします。まだ湖西線がないので、京阪滋賀里でターンしていたのでしょうか?そういえば大津市内線の京阪バスも長らく滋賀里発着でした。なお、翌1973(昭和48)年7月26日の広告には、「大津市役所前」が発着点と書かれています。

もう、ここは街。
便利さと楽しさが
日に日にひろがっています


テニスコートだのプールだの、今の比叡平を思い浮かべると(といってもそう滅多に行くわけではありませんが)、どこにそんなものがあったのだろう、と思われるような施設が揃っている、との謳い文句。
その一方でこんな記事も…。

教育施設ゼロに泣く 豪雨・寒波 すぐ孤立

「同団地へ通じる頼りの県道(通称山中越え)は雨に弱く、台風20号の前にも、七月に通行止めになったいわくつき」
「一日五往復の開発業者がバス会社と契約して運行している団地専用バスが災害時にはしばしば運行中止。そのたびに(志賀幼稚園、志賀小学校に通う)子どもらは欠席となる」

1972(昭和47)年12月3日付朝日新聞滋賀版


大津市立比叡平小学校の開校は、南郷小学校と同じ1979(昭和54)年4月1日。この記事の時に志賀小学校に通っていた子どもたちが、卒業してしまうまで待たなければなりませんでした。
そして、貸切の団地専用バスが、京都比叡平線、大津比叡平線として正式な路線になるのは、更に先の1982(昭和57)年11月7日、大津側についてはチャーターが結局約10年続いたことになります。

比叡平運賃表
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