青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
蹴上は「京の七口」の1つ、「粟田口」に相当します。吉田金彦は、
「京都の田(吉田、丸太などのタ)に出合うからアハタ(逢田)、その入口だからアワタグチ(粟田口)という名がついた」(『京都の地名を歩く』P116)
としています。

地下鉄の駅としては、恐らく全国的にもちょっと珍しいくらい、地上に上がっても何もないという印象の駅です。「ない」というと変なのですが、ホテルとか浄水場とか、ドーンとだだっ広い大きい建物ばかりで、コンビニ1軒すらなく、東の方はすぐに日ノ岡の峠なので、そういう印象になるのだと思います。民家もパッと見る限りほとんどありません。それもそのはずで、ここは風致地区に指定されているのです。

それでも東の方に歩くと、意外なほど山の方まで住宅地がありますが、数にすれば知れていて、団地や住宅街の真ん中にある、同じ東西線の石田や小野より乗降客が多いというのが不思議です。恐らく東山中・高の生徒や都ホテル↓の従業員が多いのと、春秋の行楽シーズンに、普段の静けさからは信じられないほどの観光客が集まるのとで、平均乗降客数を押し上げているのだと思われます。

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前回は、肝心のバス停について何も書けていませんでした。

↓浜大津方面のポール 

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背景はもちろん、ウェスティン都ホテルです。

↓現在は枠だけになっていますが、この時は湖東三山の定期観光バスの案内がありました。

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これは近江鉄道バスの「八日市京都線」の名残で、その免許が利用されているのでしょうか。

↓浜大津方面を望む。

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↓こちらは対向車線から見た三条方面のポール。

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やはり近江バスとセットで立っています。

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↓向こう側に浜大津方面のポールが見えます。

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バス停の向こうに見えるレンガ造りの建物は、蹴上発電所です。日本初の水力発電所で、何と1897(明治30)年に営業運転を開始しています。ここの電気で、やはり日本最初の電車である京都市電を走らせたというのも有名な話です。

バス停は向かってもっと右手にあったように書かれている地図もあるのですが、西行きのポールやほかの建物との位置関係などを考えると、本当にそうなのか疑わしく、誤差や地図の歪みのように思われます。

1973(昭和48)年版の『京都のりもの案内』(京都総合プラン)に、掲載されているバス停位置は、実にアバウトではありますが、今の場所から大きくずれているという印象は受けません。

寧ろ、昨年9月に開通した「京都岡崎ループ」を除き、長らく路線バスがなかった仁王門通経由で、市バス41甲・乙系統や49系統が走っていて、今のインクラインと発電所の間に蹴上バス停があったということが驚きです。帝産や滋賀交通も仁王門通経由だったはずで、昔「平安神宮前」という帝産のバス停が仁王門通と神宮道の交点東側にあったのを覚えているので、これら2社のバスも蹴上では仁王門通側の停留所に停まっていたのかもしれません。

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↓夕日に照らされた蹴上発電所の赤レンガ

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暫く蹴上の話題を続けます。
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