青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
(今日は交通関係の話題はありませんので、ご興味がない方は申し訳ありませんが別の記事をお待ちください)

知らなかったよ 空がこんなに青いとは…

有名な歌なので、小学校の時に歌ったという方も多いと思います。

風は強いですが、抜けるような青空の今日は、『空がこんなに青いとは』の作詞者、岩谷時子(いわたにときこ)(1916-2013)が亡くなってちょうど2年目です。
どちらかというと、シャンソン歌手・女優の越路吹雪(1924-1980)の付き人であったことや、『男の子女の子』(郷ひろみ)『恋の季節』(ピンキーとキラーズ)などの作詞が有名で、新聞の訃報記事にも、そちらのことばかりが書かれていましたが、私の中では断然、『空がこんなに青いとは』の作詞者であり、本当はそれについてももっと知られてもよいのに、と思っています。(作曲は野田暉行)

ピアノ伴奏はたいていは歌のメロディとは全く別もので、この曲も例外にもれずほとんど和音だけなのですが、歌詞をつけたので、前奏とともに思い出して頂ける方も多いのではないかと思います↓



左手のオクターブ開いて動かすところが強すぎて、まっすぐ上から腕を落としているだけに聞こえるとか、上手なひとからいろいろ言われたのですが、まあ目をつぶってやって下さいw

第37回(昭和45年度)のNHK全国学校音楽コンクールの小学校の部の課題曲ですが、この時代の課題曲で今も普通に歌い継がれているものはそうはありません。第51回(昭和59年度)にも再び課題曲として選定されています。同じ曲が2度も課題曲に選ばれることは非常に珍しいことで、この歌の力を感じさせられます。

実は、その1970(昭和45)年7月10日、NHKでこの曲と同じタイトルの、大阪市大正区を舞台にした番組が放送されています(環境アーカイブスをご参照願います)。
NHK大阪放送局で見てきましたが、いくら40年以上前とはいえ、本当に昭和45年でまだこんな状態か?と目を疑うような光景。少し北に走って千里に行けば、万博が開かれていたというのに。

工場の煤煙(ばいえん)があちこちで立ち上る様子にこちらまで咳き込みそう。申し訳程度に建つ小さな家並みの隙間でたなびく洗濯物は、もはや乾かされているのか汚されているのか分かりません。ゴミが散乱して、どんな重金属や有機溶剤が含まれているやもしれないドロドロの川べりで遊ぶ子どもたちの様子は、何も知らなかったら、アジアの発展途上国のスラムの映像だと思うひとがいるかもしれません。
舗装もされていないでこぼこ道を、ほこりと騒音をまき散らしながら工場に出入りするトラックが行き交う通学路の先に場違いに白い校舎。ナレーションでは、
「子どもたちにとって、学校が一番恵まれているのかもしれない」
と言っていますが、本当にそう思われてきます。

その小学校は、大阪市立北恩加島小学校です↓

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大阪放送局からまっすぐ北恩加島に行ったのですが、校舎は当時から変わっていないように見えました。
余談ですが、場所こそ今とは違うものの、あの六代目桂文枝がこの小学校の出身だそうです。

煤煙で、晴れても曇ったような空と、工場とトラックの騒音を切り開く光のような歌声が、この小学校の当時の児童800人のうちの約1割が入っていたという音楽クラブの『空がこんなに青いとは』です。当時、3年連続で優勝していたのだそうです。

しかし、毎日4、5人は見学者がいたと言います。体調不良による体育の授業の見学というのは誰でも多少は経験があると思いますが、歌で見学というのは聞いたことがありません。煤煙でのどの状態が悪くて、声が出ないので見学せざるを得ないのです。

国語の授業のシーンも映りました。この詩の朗読です↓

窓      江口 榛一

窓をあけよう。
窓をあけると、空が見える、雲が見える。
雲は白く、いつも、ゆうゆうと流れている。
(中略)
窓をあけよう。
窓をあけると、風が入る。
風は、いつも新しい。
(中略)
窓をあけよう。
もっともっと窓をあけよう。
それから、心の窓をあけよう。
(後略)



何と皮肉なことでしょう。児童の感想文にもありましたが、ここでは、騒音とほこり、悪臭のため、夏でもおいそれと窓など開けられないのです。風は新しいどころではありません。もっともっと窓を…冗談じゃない、と思っている子どももいたことでしょう。
江口も、こんな場所があるなどと夢にも思わなかったのではないでしょうか。

教頭先生と、当時の同小学校のコーラスの担当で、現在も大阪の音楽教育界では有名人である松前幸子先生が、工場に、もう少し静かに、きれいにしてもらえるようにお願いに行きますが、工場は、できるだけ努力はしているが、学校の方が後から来た、という認識で、話がかみ合いません。

ややこしいことに、学校に通う子どもたちの親も、かなりの部分がそうした工場で勤めていて、ピアノ伴奏の女子児童も、父は鋳物工場で、鉄を細かく砕くためにハンマーでくさびを打つ専門の職人です。実はピアノもハンマーで音を鳴らす構造なのですが、とてもそんな荒々しい仕事をする職人さんと、繊細なピアノの音色を奏でる女の子とが結びつきません。でも、ここではそれが同居していたのです。

↓もしかしたらテレビで映っていた工場?雰囲気が似ている、と思いましたが、同じような工場がたくさんあるので、何とも分かりません。

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それでも、周囲の環境は劇的に変わりました。工場は今も多いですが、「公害」が大きくクローズアップされていたこの時代から、規制がぐっと厳しくなり、この2年前に都市計画法も現在のものになったため、地域の改善が大きく前に動いたのかと思われます。道路も、もう舗装されているのが当たり前なので、当時のような泥道はありません。

↓決して広々、とは言えないものの、当時のことを思えば整った住宅地

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↓公園はちょうどアジサイの時期でした。

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↓何より、青空が見える、ということが素晴らしいです。

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↓帰りは近くの市営渡船を利用しました。

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この空は、決して当たり前のものではなかったんだと思いながら。

↓合唱はこちらで聞くことができます。



空は聞かせてくれた
風にも負けない雲の歌
ひとりでも もうなかないように



※NHK『現在の映像 空がこんなに青いとは』は、大阪だけでなく、大津、京都を含む全国各地のNHKの放送局で見ることができます。詳しくはNHKアーカイブスの公式サイトをご覧下さい。
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コメント
この記事へのコメント
課題曲
「空がこんなに青いとは」が課題曲の年に、滋賀会館で合唱しました。自由曲?は「かかし」だったと記憶しています。
音楽クラブに所属していて、主に合奏をしていたのに、何故かその年だけ合唱だったんです。
 まさか、今の時代まで唄い続けられるとは。。いい課題曲の時にめぐりあったものです。
 伴奏も、高音パートも、低音パートも 今も覚えています。
2015/10/25(日) 21:20:16 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
Re: 課題曲
yume様、コメントありがとうございます。

> 「空がこんなに青いとは」が課題曲の年に、滋賀会館で合唱しました。自由曲?は「かかし」だったと記憶しています。

比叡山の納涼バスと言い、すごい偶然ですね。「かかし」は検索してもよく分かりませんね。間宮芳生にそういう曲があるようですが、この10年後の発表なので恐らく別物ですね。

>  まさか、今の時代まで唄い続けられるとは。。いい課題曲の時にめぐりあったものです。
>  伴奏も、高音パートも、低音パートも 今も覚えています。

毎年次々新しい課題曲が発表されるから当然ですが、歌は次々忘れ去られていって、昭和40年代の課題曲一覧を見ても、ピンとくるものはほとんどありません。
言ったら悪いですが、無駄に壮大過ぎるものや、抽象的すぎるものは、やっぱり親しみにくくて淘汰されるようです。
この曲は当時深刻だった公害の問題と、小学生が先々の社会生活を送る上で基本となる友だちとの人間関係をうまく組み合わせた作品で、大切なことを簡潔に歌っていて、メロディもきれいだから生き残っているのだと思います。
2015/10/25(日) 21:55:38 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
懐かしい曲です
ご無沙汰しています。
この曲、小学校4年生の時に音楽の時間か何かで歌ったのですが、それまで歌ってたいわゆる教科書に載ってるような曲とは違うなあという印象が強かったのでよく覚えています。その当時でも既に作曲から20年近く経ってたのですよね。
最近になって動画サイトやNコンのサイト等で再び聴くことが出来るようになったのが嬉しいです。
最近は合唱から遠ざかりつつあるので新しい曲はあまり詳しくないのですが、それでも良い曲は何十年経っても歌われているものです。また音楽の話題楽しみにしております。
2015/10/27(火) 00:54:05 | れお | #pamUQ3n2[ 編集]
かかし
「かかし」について調べて頂きましてありがとうございます。
当時 かなりインパクトのある曲だったのに、今検索しないと出てこないというのは寂しい話です。

ただ、私の覚えている歌詞とほぼ、同じものを載せておられる人はおられました。



私の覚えている歌詞です。

「上を向いて知らん顔
田圃の案山子は暢気なピエロ
遠いお山の夕焼け雲はちぎれて消えて秋の歌
村の子供が唄ってる

へのへのもへじ へのへのもへじ
へのへのもへじの笑い顔
おんぼろ笠を横っちょにかぶり
一本足も ひんまがり

弓矢も折れて
スズメが笑った」


2015/10/27(火) 21:35:57 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
Re: 懐かしい曲です
れお様、久々のコメントありがとうございます。
私は合唱曲は、伴奏から聴いてしまう変な癖があるのですが、サビの左手の重低音と、歌の高音とのコントラストがくっきりしているところが好きです。空の力強さ、或いは豊かな大地をピアノの左手で表し、無限に高まる青さを歌で表しているような気がします。

> この曲、小学校4年生の時に音楽の時間か何かで歌ったのですが、それまで歌ってたいわゆる教科書に載ってるような曲とは違うなあという印象が強かったのでよく覚えています。その当時でも既に作曲から20年近く経ってたのですよね。

発表された年がはっきりしているJ-POPなどと違って、合唱曲の発表年は、Nコンの課題曲でもない限りはっきりしないこともよくあるのですが、どの曲もそれなりの時代背景やエピソードがあって生まれていて、短いなりにちゃんと歴史を持っていますね。

> 最近になって動画サイトやNコンのサイト等で再び聴くことが出来るようになったのが嬉しいです。

ええ、曲名が分からずうろ覚えの歌詞で検索して、『光の中へ さあ君と』(昭和57年)『ミスター・モーニング』(昭和60)年に「再会」することができました。


> また音楽の話題楽しみにしております。

「意外」というべきか裾野が広いから「当然」というべきか、アクセス数などのデータを見ると、実は「本業」の路線バス関係の記事より、音楽など他の分野の記事の方がよく読まれているようです(笑)。ただ、結構書くのが難しいんですね。今はスケジュールがいっぱいいっぱいなので、今後何とか頑張ってみます。
2015/10/27(火) 21:42:47 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
Re: かかし
> 「かかし」について調べて頂きましてありがとうございます。
> 当時 かなりインパクトのある曲だったのに、今検索しないと出てこないというのは寂しい話です。

もっと時間を掛けて調べると何か出てくるのかもしれません。
前のコメントのお返事で書いたことにもつながるのですが、インパクトがあっても、あり過ぎて奇抜だと、あとで「変な歌」ということになってしまって、生き残りにくいのだろうと思います。
ただ、歌詞を見る限りは何か心惹かれる情趣のようなものはあるなあと思いますね。

決してscarecrowやましてアニメの「スケアクロウマン」ではない、1本足の日本のかかしですね。
2015/10/27(火) 21:51:17 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
北恩加島小学校
当時、北恩加島小学校の音楽クラブに入っていて、NHKの撮影にも参加しました。(合唱の練習場面ですこしだけ写っています)
当時は、すぐ横がドブ川で真っ黒な水に油が浮いて異臭を放っていました。
夏は光化学スモッグで校庭に出る事ができなかった記憶があります。
機会を作ってNHKアーカイブスを見にいってこようと思います。
2015/11/30(月) 12:23:58 | 森の人 | #a39BcjcA[ 編集]
Re: 北恩加島小学校
森の人様、初めまして。撮影に参加された方にコメントを頂戴できるとは夢にも思っていませんでした。拙い記事なのにご覧頂き大変光栄です。

> 当時、北恩加島小学校の音楽クラブに入っていて、NHKの撮影にも参加しました。(合唱の練習場面ですこしだけ写っています)

子どもたちが、カメラを気にして緊張したり、逆に今の子どもみたいにやたら「ピースピース」とか言って騒いだりしない(この当時「ピース」が一般的でなかったのかもしれませんが)で、自然に振る舞っているのが印象的でした。
いい歌を歌える時でよかったですね。

> 当時は、すぐ横がドブ川で真っ黒な水に油が浮いて異臭を放っていました。

ブログの内容からもお分かり頂けるかもしれませんが、昔の新聞や地図、写真を見て今の様子を確認するということを繰り返しているます。しかしその中でも北恩加島は今の様子とテレビの映像とにあまりにも隔たりがあり、本当に同じ場所なのだろうか、と今も信じられません。

因みに、今でこそ日本でも数少ない人口増加地域である滋賀県も、この当時は今より何と約50万人も人口が少なく、100万人どころか90万人もいない小さな県で、過密と公害に悩む大阪から僅かな距離なのに、本当に驚くような田舎であったことが、写真や古い動画で確かめられます。
この時代、都会と田舎の差が今より大きいのも特徴ですね。

> 機会を作ってNHKアーカイブスを見にいってこようと思います。

ええ、是非ご覧下さい。
また何かありましたら今後とも宜しくお願い致します。
2015/12/01(火) 00:33:05 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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