青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
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草津にやって来ました。一応隣町ですが、数年ぶりです。かつては「新快速の終点(起点)」としても有名でしたが、今は草津止まりの電車は大変少なくなっています。それでも、草津線が分岐する交通の要衝です。
また、滋賀県内では最も乗降客数の多い駅です。

↓旧市街は東口です。平成の大合併には無縁ながら、人口13万人、大津に比べると、狭い範囲にギュッと街が濃縮されている感じなので、人通りも多く、京都や大阪のひとが一般にイメージするよりはそれなりにしっかりした規模のある「都市」に見えます。全国展開する会社の営業所が、京都に近すぎる大津でなく、草津に設けられるケースも多いようです。

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駅舎は結構新しく、ガラスを多用した斬新なデザインに見えますが、1967(昭和42)年4月12日に完成しており、意外なほど古いです。まだまだ木造の駅舎が多い当時としては、別格のきれいな駅に見えたことでしょう。
手前の門は、新しいものですが、宿場町としての草津をもっとアピールするために建てられました。

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↓駅前は、近江鉄道の他、帝産バスが多く集まります。「トレーニングセンター」はもちろん、競走馬の「栗東トレーニングセンター」です。「金勝」は知るひとぞ知る難読地名「こんぜ」です。

いつもお世話になっているT.F.さんによると、1980(昭和55)年頃までは、草津-八日市間を45~50分かけて、近江鉄道バスが1~2往復/h走っていたそうです。

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↓何の変哲もない「日本旅行」の草津支店ですが、こここそ、今や全国展開する「日本旅行」の発祥の地であり、本当ならここが本社だと言ってもいいような場所です。
南新助という草津出身の実業家が、国鉄の団体割引運賃を利用して、高野山、伊勢神宮参拝を企画して成功させたのが、日本旅行の会社のルーツであり、日本の「旅行代理業」という仕事の嚆矢なのだそうです。
因みに、支店が入っている「第2南洋軒ビル」の「南洋軒」も、南新助にルーツのある会社です。

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草津そのものの話ばかりになってしまいました。ここから歩いて国道1号線に出ます。

↓東草津の西行きバス停

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↓いつもの路線図。月の輪からだとずいぶんたくさんバス停を通過してきたことになりますが、当時はないバス停もあるでしょうし、ほとんど田んぼばかりで、利用者はそれほどでなかったのでしょう。
 6月12日付拙稿京都八日市線② 石山駅口で取り上げた「石山駅口」同様、草津駅に乗り入れる代わりに、ここで草津を代表させたのでしょう。

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↓付近には、高校の地理の教科書などで、「天井川」の代表として取り上げられる旧草津川。堤防をどんどん高くして行った結果、周辺の土地より、川の方が高いところを流れるようになってしまった、という地形です。今は河川改修で、もう水は流れておらず、公園になっています。JRも、この川の跡をくぐります。

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↓道の反対側には、草津名物「うばが餅」の本店。

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うばがもちは、400年以上の歴史のある菓子です。それなりの由来があるのですが、詳しくはうばがもちや公式HPをご覧下さい。

地図を見て頂いても分かるのですが、草津駅から1キロも歩いていない、まだ草津市の市街地といっていいところなのに、もう栗東市との境界線です。↓見にくいのですが、赤い矢印の先の標識に「草津市」と書かれています。つまり、私が立っているところは草津名物のうばがもちやが見えるのに、もう栗東市なのです。

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交差点を渡って東を向くと、「栗東市」

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それはそうと、皆さんお気づきのように、まだ東草津の東向きのバス停を紹介できていません。探すのですが…

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ない……?

↓このうばがもちやの駐車場の前の金属製の丸いやつがポール跡?

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この後バスに乗って、名神草津の取材に行って、また元来た道を戻ってきたのですが、アナウンスも車窓も注意していても、「東草津」というバス停はありませんでした。現在は西行き片道だけなのです。

後日、古い住宅地図も確認しましたが、分かりませんでした。

次は大篠原
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コメント
この記事へのコメント
草津
 今じゃ、大津より草津の方が都会ですね。縦長の大津はいったい、どこが中心地なのかわかりません。
大津に住む人、車社会でなかった時代は特に、何かあれば京都へ大阪へと西へと向かいますから、どうしてもあまり馴染みのない駅だったと思います。
古い駅を利用した記憶は一度だけ。それも駅でなく駅前風景だけですが、草津駅前というのは随分変わりましたねぇ。
あのように陸橋だらけにしてしまうとますます町風景が生かされない気がするんですけど。。

日本旅行が草津、発祥だなんて始めて知りました。
2011/08/25(木) 20:44:08 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
Re: 草津
>  今じゃ、大津より草津の方が都会ですね。縦長の大津はいったい、どこが中心地なのかわかりません。

確かに、本文にも書きましたが、「濃縮」されている感じですね。京都や大阪のひとと一緒に行くと、「思っていたよりは街やな」と言われたりします。

大津市の中心は………京都だと思います(爆)。
大津市内に中心があって、そこから同心円状に市街地や住宅地が広がる、ということでなく、「京都」という外部に円の中心があって、そこからの距離や地形に応じた発展の仕方をしている、という都市構造だと考えても変ではないと思います。

まあ、そんな奇を衒った説を待つまでもなく、そもそも中心というものがはっきりしない、大津は大津、膳所は膳所、石山は石山…というパッチワークのような都市だというところが、良くも悪くも特徴なのでしょう。関西で同じタイプの都市は少ないと思うのですが、対等合併した東大阪が少し近いでしょうか。ただ、山や湖といった地形的障壁がないのは決定的な違いですね。

> 大津に住む人、車社会でなかった時代は特に、何かあれば京都へ大阪へと西へと向かいますから、どうしてもあまり馴染みのない駅だったと思います。

なるほど。逆に私は京都に行くほどではない、四条河原町に出るのが面倒くさい、でも、ちょっと何か買いたい、と思うと草津によく行きましたね。

> あのように陸橋だらけにしてしまうとますます町風景が生かされない気がするんですけど。。

確かに駅舎の全景も見えなくて、惜しいですね。

> 日本旅行が草津、発祥だなんて始めて知りました。

知るひとぞ知るトリビア???なのでしょうか。
2011/08/25(木) 22:28:21 | 喜撰猿丸 | #-[ 編集]
No title
私も大津に住んでいたので、「草津」というと、なんとなく田舎という印象がありました。ところが今では、近畿方面の人や、大津へ出張に行った人から聞くと決してそうではないと聞いてびっくりしています。
久々に見た「帝産バス」の車体のカラーリングも、天井川も、「うばが餅」も覚えがあるものばかりで嬉しい限りです。続きも楽しみにしていますね。
追伸:もし差し支えなければ、私のブログにリンクを貼らせていただきたいのですがよろしいでしょうか?コメント欄を拝借して申し訳ありません・・・。
2011/08/28(日) 02:52:13 | れお | #pamUQ3n2[ 編集]
Re: No title
れお様 コメントありがとうございます。

> 私も大津に住んでいたので、「草津」というと、なんとなく田舎という印象がありました。ところが今では、近畿方面の人や、大津へ出張に行った人から聞くと決してそうではないと聞いてびっくりしています。

1995(平成7)年頃に人口が10万人を越えました。もともと滋賀県で2番目に人口が多いと言えば長らく彦根が常識でしたが、今は草津です。もちろん、人口の多い少ないだけで、田舎かそうでないかは判断できません。人口密度、道路などのインフラ整備状況などもあると思いますが、それも草津はそれなりに都市的になっていると思います。
土地に広がりが少ない大津に比べると、ほとんど平地や丘陵で、良くも悪くも開発しやすいのでしょう。
また調べておきますが、駅の乗降客数も、草津が滋賀県1位になって、10年や20年の話ではないはずです。

> 久々に見た「帝産バス」の車体のカラーリングも、天井川も、「うばが餅」も覚えがあるものばかりで嬉しい限りです。続きも楽しみにしていますね。

この記事の直接の続きは、もう近江八幡になってしまう予定ですが、また宜しくお願いします。

> 追伸:もし差し支えなければ、私のブログにリンクを貼らせていただきたいのですがよろしいでしょうか?コメント欄を拝借して申し訳ありません・・・。

分かりました。ありがとうございます。こちらこそ宜しくお願いします。
2011/08/28(日) 08:13:54 | 喜撰猿丸 | #-[ 編集]
草津 
こんばんは。
私が草津にある高校に通っていたのはもう25年も前です。
当時は駅前付近に高校生が寄れる店と言えば、鳩のマークのあのスーパーくらいでした。今の繁栄は夢想すらできなかったです。
駅前のバスターミナルは、オリジナル塗装の近江バス、帝産バス、滋賀交通が出入りしていました。
駅にも貨車が留置されていたり、構内のはずれに転車台が残っていました。DD51ディーゼル機関車牽引の50系客車による草津線直通列車など古き良き時代の香りがしていました。学校の帰りは、草津折り返しの列車を狙ってボックスを占有して汽車旅気分(と言っても石山までですが)を味わいました。
草津に比べ、石山の別の意味での変貌も予想していなかったです。
日本旅行の話、聞いたことがあります。さすが、近江商人の地ですよね。
続き、楽しみにしています。
2011/08/29(月) 01:13:09 | K2 | #-[ 編集]
Re: 草津 
K2様、いつもありがとうございます。

> 当時は駅前付近に高校生が寄れる店と言えば、鳩のマークのあのスーパーくらいでした。今の繁栄は夢想すらできなかったです。

そうなんですか。確かに、西口の開発は新しいですし、近鉄なんてまして新しいし……そう考えると何もないですね。

> 駅前のバスターミナルは、オリジナル塗装の近江バス、帝産バス、滋賀交通が出入りしていました。

その頃の草津駅前を撮ったDVDが販売されていますね。帝産は特に特定輸送に強かったようで、近隣の工場に向かう通勤客でいっぱいでした。

> 駅にも貨車が留置されていたり、構内のはずれに転車台が残っていました。DD51ディーゼル機関車牽引の50系客車による草津線直通列車など古き良き時代の香りがしていました。

草津線直通の客車列車!あったらしいですね。さすがに私の歳だと実物は分かりません。

> 日本旅行の話、聞いたことがあります。さすが、近江商人の地ですよね。

近江商人というと、日野とか、八幡とか、もっと東の方をイメージしがちですが、草津にもすごいひとがいたんですね。
2011/08/29(月) 22:40:11 | 喜撰猿丸 | #-[ 編集]
草津線の客車列車、そして・・・
いつもコメントへの丁寧なレスありがとうございます。
草津線の客車列車、確か昭和55年の草津線電化の時に50系客車化されるまでは所謂旧型客車で運行されていて、日曜の朝はガラガラで走り、、まさに銀河鉄道999状態?でした。当時は平日も休日も同じダイヤでしたから。153系間合い運用の快速(正確には京都から快速)に抜かれていった思い出があります。
滋賀銀行から配布されていた時刻表には、その列車については
※印がつけられていて、「※印 汽車 瀬田駅通過」と書かれていました。
小学生の時、遠足のバス、父の車でうばかもちの前を通り、帝産バスの車庫の前を通過すると随分遠くへ来たように思いました。
遠足と言えば、幼稚園の頃は京阪バスと同じ色の汽船バスが多く、小学生になると、滋賀交通、近江バスが多かったです。
当時すでに陳腐化しはじめていた滋賀交通は、人気が低く、遠足のバスが近江バスと発表されると、教室に歓声が響き、滋賀交通だとブーイングが起こりました。滋賀交通は新型と旧型の差が激しかったということもあります。
遠足の時は石山小学校のグランドに近江や滋賀交通のバスが並び、まるで車庫のようで私はうっとりと眺めていました。
南郷中学一年生の時、一年二年合同でポートピア博覧会への遠足がありました。当時両学年あわせて、18クラスありましたから、車両のやりくりには苦労したのか、ワンロマが多数混じっていました。わたしはテンションが上がっていましたが、クラスの皆は路線バスやんかーと一部でブーイングが・・・・
あ、すみません、かなり話が脱線しました。
続きを楽しみにしています。
ではでは!
2011/08/30(火) 01:48:38 | K2 | #-[ 編集]
Re: 草津線の客車列車、そして・・・
草津線客車列車の思い出、ありがとうございます。

> 滋賀銀行から配布されていた時刻表には、その列車については ※印がつけられていて、「※印 汽車 瀬田駅通過」と書かれていました。

汽車!最近、なかなか聞かない表現ですが、もともと主に市内電車を指していた「電車」と区別する用語なんですね。
瀬田は、外側線にもともと出発信号機がなかったため、外側を走るのが基本である草津線直通列車が止まれなかった、ということのようですが、はっきりしたことは分かりません。もしそうなら、外側線を走る列車にとっては瀬田は駅ではなかったということですね。

> 小学生の時、遠足のバス、父の車でうばかもちの前を通り、帝産バスの車庫の前を通過すると随分遠くへ来たように思いました。

今帝産関係の施設があるところが、車庫だったんですね。

> 遠足と言えば、幼稚園の頃は京阪バスと同じ色の汽船バスが多く、小学生になると、滋賀交通、近江バスが多かったです。

確かに貸切に強いのは特に滋賀交通でしょうね。私は、帝産も多かった記憶があります。

> 当時すでに陳腐化しはじめていた滋賀交通は、人気が低く、遠足のバスが近江バスと発表されると、教室に歓声が響き、滋賀交通だとブーイングが起こりました。滋賀交通は新型と旧型の差が激しかったということもあります。

遠足のバスが何バスかなんて、いちいち事前発表はなかったと思います。当日初めて分かりました。
滋賀交通は確かに当たり外れがありそうですね。
私はどこかに書いたかもしれませんが、レークセンターのスケート教室に行くのに、京阪バスのBタイに当たったのが印象的です。

> 遠足の時は石山小学校のグランドに近江や滋賀交通のバスが並び、まるで車庫のようで私はうっとりと眺めていました。

うっとりって…(爆)

> 南郷中学一年生の時、一年二年合同でポートピア博覧会への遠足がありました。当時両学年あわせて、18クラスありましたから、車両のやりくりには苦労したのか、ワンロマが多数混じっていました。わたしはテンションが上がっていましたが、クラスの皆は路線バスやんかーと一部でブーイングが・・・・

「ボートピア」てエラいマセた中学生だな、と思ったら「ートピア」ですねw すごい博覧会だったみたいですね。私は若すぎて?全然分かりません。ポートアイランドができた時の博覧会なんですね。

このワンロマは近江でしょうか?

それにしても18クラスだなんてとんでもないですね!この南中はもちろん、旧の南中ですね。分離時点で、南小と大石小と合わせても、さすがに石小の半分には届かなかったと思います。
今の南中は多分5クラスくらいですね。私の時でも既に減少傾向で、それでも7クラスでした。
2011/08/30(火) 22:51:30 | 喜撰猿丸 | #-[ 編集]
補足
そうです。ワンロマは近江です。上級生の二年生は専用観光バス
我ら一年生はワンロマでした。

遠足はほとんどバスでしたが、一度だけ、(正確には遠足ではないですが、)電車を使ったことがあります。
びわこ国体のマスゲームの予行演習で、大津市の6年生(5年だったかも)の児童が皇子山競技場に集められました。行きは京阪いっさか線、ではなくて石山坂本線の普通に乗りましたが、帰りはなんと石山小学校児童だけの貸し切りでした。
別所を出て石山寺までノンストップでした。浜大津すら通過するのに興奮しました。(運転停車はありました。)確か特急色の260型電車で方向板は「団体」ではなく「臨」でした。
では!
2011/09/01(木) 00:03:53 | K2 | #-[ 編集]
Re: 補足
> そうです。ワンロマは近江です。上級生の二年生は専用観光バス、我ら一年生はワンロマでした。

上級生が我慢して欲しいところですが、後輩の方が我慢だったんですねw
近江のワンロマは、三条/浜大津-日野・八日市・彦根・木之本などの中長距離路線の名残の車両なんでしょうね。京阪同様、同じ車種で普通の緑色のシートというのも結構ありましたね。

> びわこ国体のマスゲームの予行演習で、大津市の6年生(5年だったかも)の児童が皇子山競技場に集められました。行きは京阪いっさか線、ではなくて石山坂本線の普通に乗りましたが、帰りはなんと石山小学校児童だけの貸し切りでした。

若過ぎて、びわこ国体は全く分からないですが、それを1つのきっかけとして、浜大津駅の配線改良などの工事が行われたようで、後の世代の私たちが思っているより、ずっと影響力の大きなイベントだったようですね。

> 別所を出て石山寺までノンストップでした。浜大津すら通過するのに興奮しました。(運転停車はありました。)確か特急色の260型電車で方向板は「団体」ではなく「臨」でした。

260型?特急色? 今調べたのですが、ちょうどびわこ国体の直後くらいに、全て緑色に塗り替えられたようですね。そういえば前に、大津線なのに、オレンジと赤で塗られた電車の写真をどこかで見て、不思議に思ったのを思い出しました。
2011/09/01(木) 23:28:01 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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