青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。

大都市圏研究の多くは、通勤発生の要因を郊外住宅地の発達に求めて来た。近世から近代の「通い」と現代的なそれの違いは往来の量的差異であるが、それらの研究でも郊外住宅地の成立と通勤の量的拡大の因果関係を十分に実証してはいない。

三木理史「『通い』の成立」『都市交通の成立』P124 日本経済評論社 2010



三木氏は奈良大学教授、交通地理学の分野では有名で、この本、ちょっと専門的で難しいんですが、すごい面白いです。大阪の方なので関西を例に挙げて説明されているケースが多いので、私程度でもついていけます。

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(大阪歴史博物館にて 戦前の御堂筋線)

専業主婦や、自由業・自営業でない限り、私たちの多くが行っている「通う(通勤・通学する)」という行動がいつ、どのようにして、なぜ成立したのか、という問いは「交通とは何か」という根源の問いに準じて、交通を理解する上で、大切なことではないかと思います。三木氏はそこに注目しています。

「通う」必要があるから、通勤するし、通学するし、朝夕のラッシュも生まれるし、鉄道やバスの会社の経営が成り立つのです。

昨年8月2日付拙稿押し照る難波(なにわ)の市電とバスで「他の展示も興味深かったので、どこかのタイミングでもう一度取り上げます」と書いたまま放っていたので、その展示と絡めながら進めたいと思います。

特別に歴史に詳しくない私たちでも、よく考えると、江戸時代、或いはそれ以前に「通勤」「通学」というのはほとんどなかったであろうことは想像に難くありません。
日本人のほとんどを占めていて、私たちの大部分の先祖であったであろう農民は、定期的な市(湖東の「八日市」などという地名は正に市そのものを表していますね)は別にして、いわゆる「通勤」を毎日するようなことはありません。出作りをするケースもありますが、普通は近くの田畑に通う程度です。
職人や商人も、親方の家に住み込んで徒弟修業をして独立するのが普通でしょう。商人は行商することもありますが、それは「通勤」というのとは違います。

↓こんなふうに、家そのものがお店、というのがほぼ常識であったと考えられます。

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最近の子どもたちは「八百屋」と言ってイメージできるのでしょうかね…。天井の梁から下げたザルに釣銭が入っているなんて分からないだろうな。

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↓東大阪とは特に書いていなかったと思いますが、東大阪っぽい雰囲気ですね。

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三木は、こうしたことについてもっと専門的に、

近世末期の都市労働者は職人と商人を中心に(中略)ともに住み込みの年季奉公後に入門者を独立させる伝統的教育制度であったため、近世以前の都市労働者の多くは原則として職場=住居であった。



と書いていて、

明治以後に、

①徒弟・丁稚制度の衰退
②労働時間管理の成立
③通勤費用負担の可能性

が起きた、と指摘しています(P133)。

郊外住宅地が生まれたから「通う」のではなく、「通う」という行動をせざるを得なくなったからひとびとが郊外に住むようになった、ということについては、川本三郎も、今和次郎編『新版大東京案内』(中央公論社 1929)や、森鴎外の『普請中』(1910)をひいて、東京の大半が事務所や取引所と化し、工場さえも大きく発達しすぎて、様々な規制で市中におけなくなって、郊外へ、郊外へという拡大を生み、小田急、京王、西武、東武、東急など私鉄各線の発達が更にそれを促した、と指摘しています(「なぜ郊外か」『郊外の文学誌』P16‐17他 新潮社 2003)。
もちろん、環境がよい郊外に積極的な意味を見出して住んだひとも少なくはなく、川本はその筆頭に、石井桃子の児童文学『ノンちゃん雲に乗る』を挙げていて、主人公の「ノンちゃん」の「お父さん」は丸の内に勤めるサラリーマンで、子どもは環境の良いところで育てたい、と思って荻窪に移り住んだのだそうです(同書P7-8)。

この本、本当に面白くて、私に文才と学識があるなら、この関西版が書きたいくらいです。

大阪は、1925(大正14年)4月、関東大震災の2年後に東京より一足早く郊外の区域を一体的に整備開発しやすいよう、合併します↓

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↓驚いたことに1928年から1932年まで、東京より大阪の方が人口が多かったのです。

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そして、郊外の住宅地…。

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出ました、千里!やはり千里、宝塚、芦屋といった、阪急が、そして創業者・小林一三(1853-1957)が時流に乗ってうまく開発した地域が大阪の郊外住宅地としてまずイメージされますね。

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京阪沿線は、よく知られているように、大阪から見て東北の鬼門の方角だったので、開発が遅れたと言われていますが、それでも香里園に代表される高級な郊外住宅地が生まれ、何もない一面の田んぼで、乗降客もほとんどいなかった樟葉が今なお成長し続ける新しい街になりました。

近代工業化に伴う都市の膨張や、「雇用」「労働」の新しい仕組みが生まれたことによって生じた、「通う」という新しいライフスタイルの誕生と、そこに目を付けた鉄道会社の巧みな戦略、その相乗効果によって、交通は発達してきたと言えましょう。

路線バスの歴史も、そこを無視して語ることはできません。今後も「通う」という行為と郊外の発展については、大きな枠組みとして追求し続けたいと思います。
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コメント
この記事へのコメント
こんにちは。

「通いの成立」とは、むつかしいテーマですね。

『郊外住宅地が生まれたから「通う」のではなく、
「通う」という行動をせざるを得なくなったから
ひとびとが郊外に住むようになった』

とは、普通に考えると逆説的に感じますが、
「通わなければ、生活が成り立たないのなら、
住むところは、環境の良いところにしたい。」

と、考えれば納得できます。

パネルの2両連結の電車は、やはり阪急宝塚線
ですか。
2012/12/07(金) 08:40:09 | なかっちょ | #-[ 編集]
Re: タイトルなし
なかっちょ様、お世話になります。

> 『郊外住宅地が生まれたから「通う」のではなく、「通う」という行動をせざるを得なくなったから
> ひとびとが郊外に住むようになった』
>
> とは、普通に考えると逆説的に感じますが、

「卵が先か、ニワトリが先か」みたいな話ですが、でも私は逆説的だと思いません。やはり日本の歴史を考えれば、産業の進展やヨーロッパから移入された「雇用」と「労働」という考え方、あるいは近代的な学校教育制度が、「通う」という行動を生み出さないと、郊外にいくら住宅地を作っても、そんなところに住むという発想が生まれないと思うのです。

「環境がよい」と捉えるか「田舎だ」「こんなところに住むなんて都落ちだ」と捉えるかはそのひとの感性や、生まれ育った環境次第でしょうね。

> パネルの2両連結の電車は、やはり阪急宝塚線ですか。

ああ……。覚えていないんですが、多分そうでしょうね。
2012/12/08(土) 00:00:57 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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