青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
検車庫がなくなり、留置線だけになった、四宮車庫…↓(門の柵の外から撮影)

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地下鉄東西線開通まで、京津線普通電車は四宮-三条間を走るのが基本だったため、折り返しや入出庫がひっきりなしだったものと思われますが、今は検車機能が錦織車庫に移り、折り返しも1日数本になったため、かつてよりは静かだろうと思われます。

ここで、1949(昭和24)年8月7日の未明に出火、25両あった車両のうち22両が被災、最終的には17両を廃車せざるを得なくなるという大変な火災が発生したことは、忘れ去られる事件事故、災害が多い中にあっては、経過した年数の割には比較的有名だと思われます。京阪電鉄の歴史を辿る中で、マイナスではあるものの、決して外すことができないできごとでありましょう。

事故翌々日、8月9日付京都新聞↓

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この記事の左下の方の「人力で四台を」という小見出しがついているところをご覧下さい。有名なエピソードだそうですが、近隣の住民が社員と合わせて150人ほどで電車の避難をさせたということも書かれています。

62年前の今日から暫くは、現場検証や取り調べ、今後の対応の検討に大騒ぎだったことでしょう。京大の先生まで来て検証が行われていますが、結局60年以上経った今日も、はっきりした原因は分かっておりません。8月9日付京都新聞。↓

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この記事の右下の方、赤い傍線を引いた社長のことばをご覧下さい。何と京津線を廃止して、トレーラーバスにした方がよいのではないか、研究を進めたいというようなことが書かれています。
同志社鉄道同好会OB会のデジタル元祖青信号で、私のブログを紹介して下さった、「びわ湖の銀嶺へ」/昭和22年12月26日の新聞広告という記事にも、この新聞記事について触れたコメントが寄せられていました。

本当に京津線がこの後すぐに廃止されてバスになっていたら……どうなっていたのでしょう?かなりモータリゼーションが進んだ昭和50年代でも、まだ京津国道線は1時間に3本ほどは走っていた(昨年8月24日付拙稿すったもんだの藤尾・小金塚 京阪バス路線開通①引用の1978年5月30日付京都新聞参照)のです。
結局「研究」の結果、やはり妥当ではないと思われたのでしょう。賢明だと思います。トレーラーバス自体この後すぐ、神奈川県での火災を機に使えなくなりましたし、本当に廃止していたら、とんでもないことになっていたと思います。

余談ですが、翌年からほぼ現行のデザインに変更になった京阪バスのデザインは、アメリカのグレイハウンド社のバスのデザインを基にしている、とよく言われますが、この記事にもある通り、社長は渡米していたとのことで、この時、グレイハウンド社のバスを見てきたのではないか、と推察しております。


火事そのものも大変なことですが、今回注目したいのは、主に、あまり知られていませんが、京阪バスによる代行輸送等の特殊扱いです。

8月9日、10日と、相次いで下のような広告が京都新聞に掲載されました。
8月9日の広告↓

S24.8.9KSY 京阪四宮車庫火災による特殊扱い案内b

旧字体などが多くて、読みにくい方もいらっしゃるかもしれませんので、主な字を直しておきます。

洵に=誠に
申譯なく=申し訳なく
運轉=運転
處置=処置
濱大津=浜大津


京阪バス京津線は時期によってはプール制だったため、運賃や乗車券が共通という場合があります。これに更に江若交通が加わる時期もあって、2006年、大津市歴史博物館で開催された企画展ありし日の江若鉄道では、浜大津-三条間で、京阪電鉄、京阪バス、江若交通3社を選択乗車できる乗車券も展示されていました。しかし、昭和24年のこの時は、電車とバスの運賃は全く別だったので、「不取敢應急」(取り敢えず応急)の処置として、バス運賃を電車に合わせる、としています。

漢文の世界です…。漢文は苦手なので初めて見た一瞬はドン引きでしたが、縦書きにして「取敢」の左下に「一」、「不」の左下に「二」を補えば、何でもありませんね。

↓その更に翌日、8月10日の広告。もう少し具体的です。

S24.8.10K 京阪四宮車庫火災による特殊扱い案内b

「冨分」に見える冒頭の字は「當分」、「当分」の古い字です。
一、三に列記されていることは、運転間隔の伸び縮みはあるものの、廃止前の京津線の基本的な運転体系ほぼそのままのように思われます。二の、浜大津-三条間の普通は、少なくとも80年代以降は、早朝と深夜にしかありませんでしたね。

四が目玉なのでしょう。現在の漢字に直しながら再引用すると、

昼間(7時~20時)における普通車の運転は京阪自動車を増発各駅に停車致しますからご利用願います。
同電車通用の一切の乗車券はそのまま右記の京阪自動車に通用致します。



また余談ですが、旧字体の「昼」は、似ても似つかぬ「晝」、もともと漢字が好きで、少々古い字が出ようが何が出ようがだいたいお構いなしに読むので、活字が潰れていても文脈からだいたい分かるのですが、難儀なことに「画」の旧字体「畫」と酷似していて、「尽」の旧字体「盡」、現在の「書」という字とも似ているので、気をつけています。

この「昼間……願います」の一文は、主語と述語がねじれていて、文法的におかしく、結局何が言いたいのかよく分かりませんが、普通電車を、京阪バスで補完して、京津線の各駅に停車させます、ということなのでしょうか。

↓8月13日付京都新聞

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右下の方をご覧下さい。14日から京阪バス共通乗車の特別扱いはなくなる、ということです。当時は同じ会社だった、阪急の方からも車両の援助があり、何とかやりくりの見通しがついた、ということのようです。

        §            §

1949(昭和24)年の夏といえば、ご存知の方はご存知の通り、下山事件、三鷹事件、松川事件、と迷宮入りした不気味な鉄道事件が相次ぎました。
京阪神急行電鉄では更に、同年9月27日、本線の香里園駅で、100人以上がけがをする、パンタグラフの異状によるものと思われる車両火災が発生しています。

そういう一連の流れの中だと、死者がなかったのが不幸中の幸いではあるものの、当時の京阪電鉄沿線の住民は、大変不安に感じたのではなかろうかと思います。

今の四宮は、何事もなかったように、静まり返っています。

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コメント
この記事へのコメント
四宮車庫
京津線御陵三条間廃止までは80型がずらりと並んでいた四宮車庫。今は少々寂しいですね。
山科醍醐地区の人々はどう思っておられるのか分かりませんが、
地下鉄東西線は本当に必要だったのかなあ、と思う時があります。
かなりの赤字ですよね。
作るにしても、三条御陵間は京阪線として営業することはできなかったのかとも思います。
でも800系は趣味的に面白いですよね。車で800系と並走したことがありますが、その迫力に圧倒されました。
2011/08/08(月) 23:35:47 | K2 | #-[ 編集]
Re: 四宮車庫
K2様、新規の記事に早速ありがとうございます。

> 京津線御陵三条間廃止までは80型がずらりと並んでいた四宮車庫。今は少々寂しいですね。

私は逆にその頃の記憶がほとんどないので、もっと注意して見ておけばよかった、と後悔しています。

> 山科醍醐地区の人々はどう思っておられるのか分かりませんが、
> 地下鉄東西線は本当に必要だったのかなあ、と思う時があります。
> かなりの赤字ですよね。
> 作るにしても、三条御陵間は京阪線として営業することはできなかったのかとも思います。

その辺りについては、いつか取り上げようと思っていますが、増田一生の「偽りの公共交通―京津線廃止問題の盲点・中之島新線不要論(近代文芸社 2000年)という本に詳しく載っています。買うのが一番いいと思いますが、滋賀県立図書館などにも所蔵されています。
2011/08/08(月) 23:43:40 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
見出しの「丸焼け」って。
2014/10/28(火) 06:34:44 | 特命係の亀山! | #-[ 編集]
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