青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。

あんたが望むことができるのは、あんたの世界を思いだせる間だけ。ここの連中は、記憶をすっかりなくしちまった。過去がなくなったものには、未来もない。だからこの連中は年もとらない。(中略)こいつらには、変わりうるものが、もうないのさ。自分自身がもう変われないんだからな。

(ミヒャエル・エンデ 上田・佐藤訳 『はてしない物語』(下) P304 岩波書店 2000)




はてしない物語 (下) (岩波少年文庫 (502))はてしない物語 (下) (岩波少年文庫 (502))
(2000/06/16)
ミヒャエル・エンデ

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ブログを始めて、無事に1年が経過しました。これもひとえに読者の皆さまや、資料を提供して下さったりして私をサポートして下さる方々のお蔭です。ありがとうございます。

最初の頃のことを思うと、試行錯誤をしてやっとちょっと慣れたかな、という感じです。

もともと歴史など、内容的に写真が中心にはならない(しにくい)、テキスト中心のブログなので、どのくらい読者の方がついて下さるのかも分からず、まあ、自分なりに覚書にできればいいか、と思っておりましたが、予想よりはたくさんの方にご覧頂き、幸甚です。

タイトルを「現在完了形=present perfect」としてしまっていますが、本当は、「未来完了形=future perfect」でないといけなかったのかもしれないと思うこともあります。

今は、細かな点が散らばっているだけですが、それがやがて線になり、線が面になって行き、分からなかったことがだんだん明らかになっていくばかりでなく、過去から未来に至る軌跡が描けることを願いながら、書いています。

路線バスを巡る情勢は厳しく、今のままでは明るい軌跡とならないかもしれません。でも、ドラえもんではありませんが、未来は変わることがありますし、xy座標面上のある点から、ベクトルの成分が変わってもおかしくはありません。

過去がなくなったものには、未来もない―――忘れられてしまったであろう過去を私なんかが今に蘇らせて、その中で変わりうるものを見出せるのか分かりませんが、何かやってみずにいられません。

S29.9.5S 京阪バス広告(路線図有)右b

レイアウトの都合で、2つに分けましたが、もともとは下の路線図が左、上のバス写真付きの「永いおなじみの京阪バス」と書かれている方が右、という形で一続きになっていました。

S29.9.5S 京阪バス広告(路線図有)左b

1954(昭和29)年9月5日、57年前、当時100万人にもまだ遠く及ばなかった滋賀県民の多くが目にしていたであろう、滋賀日日新聞に掲載された広告です。

1950(昭和25)年から、車体が今と同じ塗り分けであることは、頭では分かっていても、改めて57年前の新聞広告の写真を見ると、すごいです。怖いくらいです。

「京都-大津」というのは札なのでしょうか?バカでかくて、今の目で見ると、ちょっと目立ち過ぎでカッコ悪いような気がしますが、こんなふうに掲示していたのでしょうか?それとも写真に書き込まれているのでしょうか?
この松並木はどこなのでしょう?湖岸道路なんて影も形もないから、粟津の松原ではないでしょうし…。

いずれにしろ、京津国道線がいかに重く見られていたかが分かります。
滋賀県知事からの要請で、戦後早々に運行を開始し、トレーラーバス導入(S22.12)、京都-浜大津間特急運転開始(S26.8)、京阪三条-石山寺間の運行を再開(S27.2)、浜大津-大阪本町四丁目間特急運行認可(S27.12 下の記事参照)、と着々と発展していたので、広告が出た頃は最盛期でしょう。

S27.12.27 S 浜大津から京阪バス大阪乗り入れb

(1952(昭和27)年12月27日付滋賀日日新聞)

※あまり面白かったのでカットせずに残しましたが、北陸線上野-大阪間の準急、と言われて、北陸線にそんな駅あったかな?と考えたら、東京の上野なんですね。日本海側をぐるっと回って大阪に辿りつくなんていう列車があったんですね。

京津国道線は、京阪国道線とともに、太線で表され、京阪電車とともに京都と大阪を結び、なおかつ琵琶湖を制覇する―――湖上制覇―――というグループの理念を表しているように思われます。

路線図の北端が「白ヒゲ」になっていますが、これは、現在の高島市の白鬚神社前にあった江若鉄道「白鬚駅」です。

IMG_4609.jpg

(↑有名な湖中の大鳥居と、沖島の島影)

この広告が出る3年前、1951(昭和26)年7月8日に京津国道線を延長する形で、京都-白鬚間の運行を開始し、1962(昭和37)年5月18日までここ白鬚駅止まりで運行していました。その翌日から、「京都今津線」として、近江今津までの運行を開始します。

更に歴史が古く、滋賀県内で占める位置はより広いはずの近江鉄道に殴り込みをかけるように、「永いおなじみ」と打って出た京阪バス。この広告を出すまでの道のりは、前身の会社を含めて約30年程で、この広告が掲載されてから今日までの日々は、その倍近くです。特に南郷方面など、開発が進んだのは歴史的にはごく最近で、よく永い年月、耐え忍んできたものだ、と思います。

「永いおなじみ」が永く続いて、一層「永いおなじみ」になって、更に「永いおなじみ」へと続いていくことを、願わずにいられません。
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コメント
この記事へのコメント
祝! 一周年
こんにちは。

一周年おめでとうございます。記念の時期に読者にさせていただ
いて光栄です(^^♪

昭和27の急行バスの記事ですが、当時の道路状況などがよく
わからないのですが、鉄道それも自社の親会社線が走って
いるのに、バス路線を敷いたのが前々から疑問に思ってます。

自分で調べればよいのでしょうけど(^^ゞ 「京阪の社史」なんかに
会社の方針などが出てますか?
2011/08/05(金) 12:52:29 | なかっちょ | #4RB3NX36[ 編集]
Re: 祝! 一周年
なかっちょ様、祝辞、ありがとうございます。個人的にはいろいろしんどいことが多く、辛かった時期になぜかスタートさせてしまったのに、よくやってこられたな、と思います。

> 昭和27の急行バスの記事ですが、当時の道路状況などがよく
> わからないのですが、鉄道それも自社の親会社線が走って
> いるのに、バス路線を敷いたのが前々から疑問に思ってます。

その件は比較的最近、6月24日付の拙稿「2006(平成18)年6月30日 その時歴史が動いた?①」http://contrapunctus.blog103.fc2.com/blog-entry-220.htmlで書かせて頂いているのでご覧下さい。
2011/08/05(金) 23:53:33 | 喜撰猿丸 | #-[ 編集]
No title
ご回答ありがとうございます。

ちょっと考えれば、当たり前の経済原則があったのですね。

「もうかる市場には必ず誰かが参入してくる。」

路線開設の免許制は、大きな参入障壁でしたが、
いまやこの業界は、利益より福祉のためにあるような
ものですものね。
2011/08/06(土) 15:18:55 | なかっちょ | #4RB3NX36[ 編集]
一周年おめでとうございます
一周年おめでとうございます。
早いですね。今後も京阪バスや湖国の交通の歴史の記事を
楽しみにしています。
ご迷惑でなければ、今後も盛り上げさせてください。
ではでは!
2011/08/08(月) 23:26:20 | K2 | #-[ 編集]
Re: 一周年おめでとうございます
K2様 祝辞ありがとうございます。

> 早いですね。今後も京阪バスや湖国の交通の歴史の記事を楽しみにしています。

そう言って頂けると私もやりがいがあります。

> ご迷惑でなければ、今後も盛り上げさせてください。

いやいや、更新が追いつかなくて、困っている時なんか、量も質もK2さんのコメントとレスだけで記事1本分のボリュームがあって大助かりです。あれを楽しみにされている方だっているでしょうから、また宜しくお願いします。
2011/08/08(月) 23:37:00 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
おめでとうございます。
ブログ開設一周年おめでとうございます。
あまりに充実した内容なもので、まさか僅か1年とはとても思えません。

「京阪バス」に視点を定め、ここまで詳しく掘り下げていく熱意と努力に大拍手です。
大津市に生まれ育ち、京阪バスは三保ヶ崎から大津駅への利用が始めてで、今も赤川から石山駅まで利用させて頂き常に移動手段として身近なバスなのでとても興味深く拝見させてもらっています。
他のブログとは性質の違う、深みのあるブログとして今後がとても楽しみです。

子供の頃、京極、四条あたりへは京阪電車京津線で行くのが常でしたが、たまに「バスで帰ってみようか。。。 バスで行ってみようか」なんて事がありましたが、今では無くなってしまった路線。もっと記憶に残っていればいいのにと思います。

浜大津と大阪がバスで結ばれていたなんてのは初耳。
すべては、鉄道網の発達の影響でしょうね。
地方では、鉄道が廃止されバス運転が主流になっていますもの。
2011/08/09(火) 21:34:30 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
Re: おめでとうございます。
> ブログ開設一周年おめでとうございます。
> あまりに充実した内容なもので、まさか僅か1年とはとても思えません。
> 「京阪バス」に視点を定め、ここまで詳しく掘り下げていく熱意と努力に大拍手です。

祝辞ありがとうございます。
お恥ずかしいです。充実なんてとんでもないです。いつもバラバラで、うまくまとまらなくて困っているんです。

よく、「京阪バスが好きなんですね」「ファンなんですか」といわれるんですが、別に好きとか嫌いとかじゃないんです。特に「ファン」といわれるのは好きではありません。
うまく言えないのですが、もう生活の一部なんですね。強いて言うなら、走っている地域との関わりを追究するのが好きなんです。
と言いつつ、珍しいことを追いかけたりもするんですが(汗

> 他のブログとは性質の違う、深みのあるブログとして今後がとても楽しみです。

自分がこういうことを知りたいなあ、でもネットで検索しても出てこないなあ、ということをほじくり返しているだけで、深みがあるかは分かりませんが、そう言って頂けると嬉しいです。

> 子供の頃、京極、四条あたりへは京阪電車京津線で行くのが常でしたが、たまに「バスで帰ってみようか。。。 バスで行ってみようか」なんて事がありましたが、今では無くなってしまった路線。もっと記憶に残っていればいいのにと思います。

私も、いちびったこといいながらも、京津国道線は、最後の日が最初で最後の乗車となってしまい、しまったなあと思います。

> 浜大津と大阪がバスで結ばれていたなんてのは初耳。

他にもどこかにこのことが出ていたと思うので、また折を見て取り上げます。

> すべては、鉄道網の発達の影響でしょうね。
> 地方では、鉄道が廃止されバス運転が主流になっていますもの。

モータリゼーションは進んでも、意外に長距離バスはよく発達している、というところがよくありますね。鉄道では採算が合わなくても、バスなら合う、ということがあるのかもしれませんね。
2011/08/10(水) 23:57:35 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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