青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
昭和30年代の年末年始の新聞を見ていると、たいてい、各社寺や交通機関の初詣の案内がびっしりと書かれています。
1963(昭和38)年12月31日のサンケイ新聞滋賀版は次のように報じています。

「京阪バスは、日赤病院-浜大津-瀬田間を建部神社境内まで延長する」

その2日前、29日の京都新聞滋賀版では、

「京阪バス=各線とも昼間ダイヤに力を入れ、特に瀬田線は建部神社の鳥居前まで乗り入れる」

翌年1964(昭和39)年12月29日の滋賀日日新聞では、建部大社について、

「初参り循環の京阪バスが二の鳥居まで乗り入れる」

恥ずかしながら、近江国一宮である建部大社に行ったことがなかったので、取材がてら出かけました。

8月15日付の拙稿で書かせて頂いた近江・帝産の神領建部大社バス停から西に100m行くか行かないかで、一の鳥居が見えてきます。

建部大社一の鳥居    建部大社一の鳥居2


行ったのが18日の船幸祭(せんこうさい)の直前で、境内は静まり返っていましたが、たくさんの提灯が準備されていました。それを過ぎると…。滋賀日日新聞に書かれていた二の鳥居です。

建部大社二の鳥居

現在、その左右が駐車場となっています。特に左側、つまり一の鳥居寄りの駐車場の方が広くて、バスが来たとしても十分対応できるので、文字通り「二の鳥居まで」というよりは、この駐車場まで来てターンしていたのではないかと思います。
15日に載せた略図を再掲しますが、赤い字でPと書いた駐車場がこれに当たります。

「瀬田町」現地調査にかかわる略図

建部大社駐車場

アングルがいまいちですが、左奥の方にかなりの広がりがあります。

仮に今の近江の「神領建部大社前」、帝産の「建部大社」が京阪バスの瀬田町だったとしたらですが、バス停1区間分(400-500m)くらいの距離は十分にあると思います。ただ、参拝客の人込みをかき分けるようにして、こんなところを安全に通行できるのかな、という不安は感じますが。

建部大社二の鳥居側から一の鳥居を臨む

この写真は、逆に二の鳥居付近から、一の鳥居、橋本方面を臨んだ図です。ターンしていた場所については、私が推測した駐車場だと断言することはできませんが、この道を、少なくとも昭和39年、40年の正月に京阪バスが走ったことはほぼ間違いありません。みなさんは、ここを、紅白に塗り分けられたあの車体が通り過ぎることを、イメージできますか?


関連記事
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://contrapunctus.blog103.fc2.com/tb.php/23-33099faf
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック