青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
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(山科駅で撮影 数少ない207系の堅田行き)

1974(昭和49)年7月20日 国鉄湖西線が開通します。これは、駅1カ所しかなくて、通過するだけという印象の強い新幹線の開通より、ある意味では滋賀県民にとっては重要で、注目を集めたできごとだったのではなかろうかと思われます。

その影で、忘れてはいけない歴史があることを、最近堅田駅で知りました。

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堅田駅のバスターミナル横にある慰霊碑を気をつけてご覧になったことのある方、いらっしゃいますでしょうか?

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何の慰霊碑かと思ったら、湖西線の工事で殉職された16人の方々の名前が裏面に刻まれていました。こういう方もいらっしゃって、今の湖西線があるのです。

しかし、この慰霊碑のある場所があんまりです↓

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この慰霊碑を取り上げていらっしゃるサイトさんの中にも、この場所に疑問を持たれているところがいくつかありました。
「トイレの前に慰霊碑を建てるなんて!」
と書かれているサイトさんもありましたが、逆で、『湖西線建設工事誌』(日本鉄道建設公団大阪支社 1975)を見る限り、慰霊碑の前にトイレを建ててしまったということでほぼ間違いないと思います。

何とかならないものなのでしょうか?トイレは大切な施設ですが、何もここに作らなくても…。

同書によると、開通2日前の1974(昭和49)年7月18日に、ここで「湖西線建設工事殉職者慰霊法要」が執り行われたという記録があります(P568、570-571)。

いまここに、80年の苦節を経て地域の悲願を達成し、しゅん功開通をみた湖西の鉄道実現のよろこびをともにわかちあうことができないことは、まことに痛惜の極みであり、また、一家の柱石を失った遺族の心情を思うときまことに断腸の念を禁じ得ない。



法要の時は、以下のように地元の住職が供養されたそうです。

ああ仰ぎては高き比良の峯伏しては深き琵琶の水底に至るまでとことわに諸氏の湖西線開通に残されしその功績に感謝せざるはなし既に安楽淨土に還帰(かんき)すといえども願わくば還相廻向(かんしょうえこう)の菩薩として加護照覧を垂れ給え

堅田朝陽山光徳寺住職 伊藤義弘師
P571




16人の方のうち、地元滋賀県の出身の方は半分以下の7人でした。あとは京都の方が1名いらっしゃる以外、全くよその地方から来られた方ばかりです。

「トリビア」なんていうことばを使うのは不謹慎ですが、今やもう覚えているひとがほとんどないであろう知識…石碑の幅は、湖西線の総延長77キロに因んで77cm、高さは蓬莱山の標高1174mに因んで1.174mということのようです。
(本当は同書には、それぞれの数字の「10000分の1」と書かれていたのですが、77キロの1万分の1は7.7m、1174mの1万分の1は11.74㎝で、どう考えてもおかしいので、間違っているのでしょう)

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(小野駅で撮影)

2年後には、開通40周年という大きな節目を迎えます。せめてそれまでに、何か対処して欲しいと思われてなりません。
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コメント
この記事へのコメント
湖西線の開業日、昭和49年7月20日は京都駅の一番電車の撮影に行きました。当時国鉄の労使関係が微妙な時で、開業ヘッドマーク、テープカット等一切なく、6時9分タイフォン一声で発車していきました。乗客は座席が半分埋まる程度だったと思います。
当時のダイヤは普通電車が朝夕1時間2本、昼間1時間1本と江若鉄道時代より少し増えた程度。新快速は全部堅田止まりで行楽シーズンの土曜日、休日のみ近江今津まで延長。ひどいのは近江今津から先の敦賀方面で近江今津~敦賀間の電車は1日僅か3往復、近江今津~永原間は、朝と夜の各1本を除き京都から直通で4往復でした。
参考までに開業2カ月目、49年9月京都駅発普通電車の時刻は、6時9分、*7時3分、(7時43分)、8時3分、8時54分、【9時29分】、10時、10時58分、12時2分、*12時58分、13時58分、15時2分、【15時58分】、*17時4分、(17時35分)、18時3分、(18時47分)、19時10分、【19時58分】、21時、22時、(22時53分)
*は近江今津で敦賀行に連絡、( )は堅田行、【 】は永原行です。
新快速は8時35分、9時47分、10時~15時まで毎時46分、16時30分
とこんな具合でした。
2012/07/21(土) 21:58:25 | T.F | #-[ 編集]
Re: タイトルなし
T.F.様、いつもお世話になりありがとうございます。開業日の一番電車の撮影だなんてすごいですね!いいなあ…。私は生まれてもいません。
朝6時9分の京都駅に行くのは、今の私でも、自分で運転するかタクシーを飛ばすかしかなく、大変なことです。
でももうそんな時間でも座席が半分埋まるほどの客がいたんですね。

湖西線の、地域輸送軽視のダイヤ編成は当時非難轟々で、マキノ駅では「歓迎」の横断幕がすぐに外されたとか、古い新聞記事で読みました。
それでも開通当初から伝統的に新快速が乗り入れていて、本線と一体化したダイヤだというのが不思議です。赤穂線だって、新快速が定期的に乗り入れるようになったのなんてつい最近のことですし、湖西線がその他の各線区と一線を画している部分ですね。
2012/07/21(土) 22:30:57 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
こんにちは。

私も開業初日に湖西線に乗りに行きましたよ。この日から夏休みになったので級友と二人で和邇まで行きました。

なぜ和邇にしたのか覚えてませんが、今津や永原まで行く余裕がなかったのかも(笑)

153系の新快速や113系700番台の普通を写してます。
2012/07/22(日) 18:08:54 | なかっちょ | #mQop/nM.[ 編集]
Re: タイトルなし
なかっちょ様、コメントありがとうございます。
結構、普通に開業当時を知っていらっしゃる方がいるんですね(汗。
なぜ7月1日や8月1日ではなく、20日という半端な日に開通したのだろうと思っていましたが、確かに夏休みが始まる日で、湖西の水泳場が書き入れ時になる時なので、そこを目がけていたのかな、という気がしますね。

> なぜ和邇にしたのか覚えてませんが、今津や永原まで行く余裕がなかったのかも(笑)

当時の和邇なんてどんな感じなんでしょうね。まだ平和堂もないでしょうし…。
2012/07/22(日) 19:43:27 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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