青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
◆再度お知らせ
パソコンが不調のため、修理中です。既に書き上がっている記事については予定通りUPできるように設定済ですが、前回お知らせしておりました、コメントレスをまとめた新規記事は編集が間に合いませんでした。申し訳ありませんが、暫くお待ち願います。コメント、メールフォームのメール等は携帯から確認させて頂きます。ご了承のほどお願い致します。



2006(平成18)年6月30日の特集を続けます。もう5年経つんですね。早いものです。

今回は、18・28号経路 石山駅-唐崎駅系統です。

滋賀里(しがさと)までの路線は、1957(昭和32)年8月1日に開通しているので、廃止時点では49年の歴史があったことになります。

↓1957(昭和32)年7月30日付京都新聞滋賀版

S32.7.30KS 皇子山線運行開始

↓1957(昭和32)年7月31日付朝日新聞滋賀版

S32.7.31A 皇子山線運行開始

滋賀里以北、京阪電車沿いの現在の県道「浜大津伊香立線」は、詳細は調査中ですが意外に新しく、この時点では開通していなかったか、ほんの里道に過ぎなかったはずです。坂本に向かう路線は、161号を経由していたものと思われます。
県道開通以後も、滋賀里以北に行く路線は、名神大津など旧大津市内発着が基本で、石山駅始発は滋賀里止まりの時代が長く続きました。

京阪バスなどの運賃改定を伝える、1967(昭和42)年5月3日付滋賀日日新聞では、滋賀里始発で、石山駅に向かう路線は、市役所・国道経由市役所・湖岸経由柳ヶ崎・国道経由柳ヶ崎・湖岸経由の何と4つのパターンが運行されていたことが分かります。

この当時は西大津駅もありませんし、びわこホテル行きも開通直前(同年8月18日開通 詳細は昨年8月20日付拙稿主なき誕生日 「びわこホテル行き」43周年参照)なので、滋賀里は北部の一大拠点だったのでしょう。

↓長い間使っていなかった、詳しい方に作って頂いたアップローダを使って、下手クソな概略図を、これでも必死のパッチで大騒ぎしながら作りました。私をはじめ、大津市内の方は、字面でイメージできると思いますが、よその方もいらっしゃいますので…


石山駅以北簡略図

「ア○バ」とか、山科駅前でよくティッシュ配ってるのを、よく2、3回並び直してもらいつつ、そんなところでわざわざパソコンなんて習うひとなんているのかなと思っているんですが、私みたいな人間が、習わないといけないんでしょうねorz ホンマにこういうIT関係とか、何とか、何回聞いてもさっぱりチンプンカンプンですわ。

余談はさておき、肝心の滋賀里-唐崎駅間ですが、こちらの歴史はごく浅く、1987(昭和62)年1月18日、滋賀里までの路線を延長する形で開通しました。この約3ヶ月後に、南郷中学校系統が開通するのですが、私は唐崎駅行きの開通はおろか、「滋賀里行き」についても全く記憶がなく、南中系統との開通時期がこんなに近接しているだろうか?と思っておりました。しかし、『京阪時刻表』などの文献を見ても、これで確かなようです。

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↑最終運行日の滋賀里バス停。確かに少し広くはなっていて、どうにか折り返しはできそうです。
唐崎駅行きはここで右折して京阪電車の踏切を渡ります。6月24日付拙稿2006(平成18)年6月30日 その時歴史が動いた?�で取り上げた、比叡山坂本駅方面は、写っている郵便局の右手を抜けるように直進します。
滋賀里と唐崎駅の中間地点に唯一あったのが西唐崎のバス停↓ 手前が石山駅方向、向いが唐崎駅方向です。本数が少ないのに、石山駅方向はちゃんとバスポケットがあります。「赤川」「滋賀大前」はじめ、石山駅以南はあって欲しいところにないのに。

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「南郷中学校」「南郷二丁目」「南郷二丁目東」の3カ所は、バス路線など影も形もない開発の当初から、開通を見越してか、バスポケットのスペースが確保されていたので、開発から10年を軽く超えていた南郷中学校系統開通時は、当然のようにそこにバス停が設けられましたが、「西唐崎」で開通が見越されていたとは思えず、いつ、どのようにして土地を確保したのか不思議です。

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京阪バスにもう1つある、高槻の「西唐崎」バス停については、回走高槻様が取り上げていらっしゃいます。「松原」くらいはともかく、「西唐崎」などという停留所名が1つのバス会社で2つ存在したことはすごいと思います。アナウンスの合成音声は、同じものだったのかな……???

唐崎駅です。車両はどちらもA-1034。思えばこの当時、中型と言えば三菱しかなかったんですね。たった5年で、車両も過去の夢になってしまうなんて…。
幕は再利用しているので、日野の車でも、唐崎などの廃止路線の幕が現れることがありますが、もちろん、実際に運行されたことはありません。

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↓発車を待つ18号経路の側面幕

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朝夕しか運転されないのは、末期だからということでなく、開通当初からです。

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これで乗るひとがいるのかと思われるでしょうが、唐崎駅でも西唐崎でも、また比叡山坂本駅方面も、私が乗った便には、そこそこの利用者がいました。京阪電車やJRでは使えない福祉割引を利用する方や、それらの沿線から微妙に遠い方が、せめてバスがあるうちに、買い物や通院を済ませておこうか、と駆け込み需要があったのかもしれません。

↓大津駅-唐崎駅間の江若交通も同じ日に運行休止となりました。

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↓こんな立派な路線図と時刻表が掲げられていたんです。江若交通は、市役所回りで、山上町までは京阪バスと並行していますが、そこから、西大津駅、湖西線の線路沿いを走って唐崎駅に至るというルートですみ分けていました。そこそこ本数があったのに、一気になくなってしまったわけですね。
因みに、平日に1本だけの堅田駅行きは、大津駅行きと、京阪バスが廃止されてからも暫く生き残り、2009(平成21)年1月31日に運行終了となります。

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↓くたびれた「京阪バスのりば」の案内。

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↓もう見られない、「唐崎駅」の運賃表。整理券7の「170円」は、滋賀里からの運賃で、江若交通の対キロ区間制の運賃に合わせています。特殊区間制である滋賀里以南も、対キロ区間制区間に跨る場合は、対キロ区間制で計算される方が普通(比叡山・比叡平線、嘗ての大石小学校以南、寿長生の郷方面など)だと思うのですが、ここでは、比叡山坂本駅同様、京阪バスの運賃で調整されているようです。対キロ制で計算しても、この運賃でおかしくなかったのかもしれません。

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↓山科管轄の大津比叡平線と、大津管轄の18・28・29号経路が重なっていて、なおかつバス停のポールまで共用していたのは、皇子ヶ丘錦織町だけでした。時刻は併記されています。この光景も、5年前の6月30日までのものでした。

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コメント
この記事へのコメント
滋賀里での折り返しについて
いつも楽しい記事ありがとうございます。

さて、滋賀里でのバスの折り返しですが、末期は知りませんが、
30年~35年ほどまえは、お客を降ろした後、京阪電車の踏切を渡って下のほうまで行き、空き地?でUターンしていたはずです。唐崎駅との中間あたりでしょうか。当時、唐崎駅には京阪バスどころか江若バスも来ていなかったはずで、駅自体無人でした。
唐崎に痛みのない治療をする歯科があり、湖西線に乗って通ってました。
滋賀里行きに乗って終点で降りた後、バスが右折していったのを目撃した記憶があるのと、父の車から空き地で時間調整している京阪バスをみたことがあります。

前にも書き込んだと思いますが、石山団地からも滋賀里行きが走っており、大きなターミナルか分岐点かと思っていましたが、初めて滋賀里へ行ったとき、民家と田んぼが多い場所にバス停のポールがたっているだけで拍子ぬけしました。

滋賀里での折り返し、他に目撃者がいなければ、短い間だけだったのかもしれません。記憶違いではないと思います。

ではでは
2011/06/27(月) 23:39:19 | K2 | #-[ 編集]
No title
K2様
レスが遅れており、申し訳ないです。帝産関係は、また別途まとめます。
滋賀里の件、貴重な情報ありがとうございます。私は、道が広くなっているので、てっきりそこで何とかターンしていたのだとばかり思っていました。
いつかK2さんが書きこんで下さった小栗栖団地の回転場は、単に回転するだけでなく、バス停があったので、古い住宅地図で場所が分かったんですが、滋賀里は、バス停でない場所なので、地図を見たところで何も分からないかもしれませんが、一度調べ直してみます。

石山団地-滋賀里間の路線のことは、多分、初めて書きこんで下さっていると思います。そんなのがあったんですか?だいぶ以前でしょうね。唐崎駅行きになってからは、石山駅以南との直通は全くないので。

それにしても、わざわざ唐崎まで歯医者さんに通っていらっしゃったなんてすごいですね。私は、生まれてこの方一度も虫歯というものができたことがなく、みんなが歯医者が痛いとか嫌だとか言うのがなぜなのか、比較的最近まで知りませんでした。ひとよりだいぶ遅れて、歯石除去や親知らずの抜歯でひどい目に遭ったので、そういう無痛歯科が近くにあるといいな、と思います。

確かに唐崎は無人で、みどりの窓口が設置されたのも最近ですね。開業前の新聞によると、住宅開発の進み具合から考えて、西大津より唐崎の方が間違いなく乗降客が多くなるはずなのに無人なんておかしい、という意見もあったそうです。また折を見て詳しく取り上げます。
2011/07/05(火) 23:49:21 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
穴太住宅前?
初めまして、現在は大津から離れてますが31系統であのMARに乗って京阪スイミングスクールに・・
朝日ガ丘線も親戚の家がそちらにあったり他にも多々懐かしい記事をありがとうございます。資料を引っ越しの際に逸脱してしまい、またどちらかと言えばバス車両に興味があり、不確かな記憶のみですがお役に立ちますでしょうか?

さてK2さんからもご紹介頂いてますが、京阪バスの滋賀里の折り返し場ですが、末期に唐崎駅へと駅前の交差点を右折してましたが、滋賀里行き時代はさらに左折して、江若の県庁前・穴太住宅前線の終点穴太住宅前付近の回転場で折り返してました。今は西大津バイパスのランプになり痕跡は残ってませんが・・京阪バスお馴染みのタイトな折り返しタイムでなかなかノンビリ止まってませんでしたが江若はゆっくり止まっているのを京阪電車からも見えました。余談ですが江若は唐崎駅駅前広場にバス停設置後も穴太住宅前まで路線継続してましたね。

長々と失礼しました。また楽しい記事を楽しみにお待ちしてます。
2011/07/06(水) 17:55:20 | 19系統 | #-[ 編集]
Re: 穴太住宅前?
初めまして、初コメントありがとうございます。

> 現在は大津から離れてますが31系統であのMARに乗って京阪スイミングスクールに・・

31系統?もちろん、今の31ではないですね。比叡山が30で…。あ、叡山駅-名神大津ですね。京阪電車と並行していても、一定の需要があったんですね。

> 朝日ガ丘線も親戚の家がそちらにあったり他にも多々懐かしい記事をありがとうございます。資料を引っ越しの際に逸脱してしまい、またどちらかと言えばバス車両に興味があり、不確かな記憶のみですがお役に立ちますでしょうか?

ええ、そういう方の情報が貴重なんです。できたら今一度、資料もご確認頂けると一層嬉しいですが(笑)

> さてK2さんからもご紹介頂いてますが、京阪バスの滋賀里の折り返し場ですが、末期に唐崎駅へと駅前の交差点を右折してましたが、滋賀里行き時代はさらに左折して、江若の県庁前・穴太住宅前線の終点穴太住宅前付近の回転場で折り返してました。

江若の穴太住宅前行きは私も知っていますが、わざわざそんなところまで行って折り返していたんですか?
穴太住宅前は、90年代前半くらいまでの都市地図なら載っていると思います。もう一度確認します。
1963(昭和38)年11月26日付京都新聞第一滋賀版によると、穴太住宅には、もともと京阪バスが乗り入れるという話だったそうです。また折を見て取り上げますので、宜しくお願いします。
2011/07/06(水) 22:58:27 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
No title
おお!、コメントレスありがとうございます。餌のおあずけをくらった子犬(老犬?)のように、首を長くして待っておりました。
①滋賀里バス停付近、30年ほど昔も写真くらいの広さはあったと記憶しています。ただ、大型車中心の当時、交通量が今より少ないとはいえ、ワンマンではターンは危険ではないでしょうか。故に踏切を渡って回転しに行ったと思います。私見ですが。
私も、初めて滋賀里でバスから降りた時はそこで回転すると思いきや、意外な展開に衝撃を受けたのを覚えています。
②小栗栖団地の件、お役に立ててよかったです。私の会社の休日を使った秘密のアルバイトは、20年近くを経て役だったのですね。感慨ぶかいです。(涙)(笑)なんちゃって。
③石山団地⇔滋賀里は本数は多くはなかったです。系統番号が大津営業所管内に導入される前には廃止されたと思います。石山団地バス停に止まる京阪バスの「石山駅・湖岸・滋賀里」の方向幕を
見て、遥か北の地・滋賀里(子供にとっては遠い場所です)に想いを馳せていました。
④子供の時、虫歯がなかったとはうらやましいです。その分、いきなり親不知の治療の洗礼を受けられたとは・・・その痛み、恐怖・・・・お察しします。小学生高学年以降は、京阪石山寺駅近くの
歯科に行くようになりました。京阪石山寺止まりのバスが向きをかえていた場所の近くの歯科で、今も母親が通っているそうです。
 痛みのない歯科も良かったですが、何より開通から数年の湖西線に乗れるのが楽しみでした。東海道線とは違い、ピカピカで、ちゃんと方向幕を使い、シールドビームで、冷房100%、冬は手でドアを開けられる、ではなく開けねばならない国鉄が誇る?113系700番代、良かったです。今も残っているのがある意味凄いですね。
⑤滋賀里での回転で思い出しましたが、石山団地の回転場、子供の時は自転車でバスごっこをしながら回転していました。自動車免許をとった時、すぐに自分の運転で車を回転させにいきました。(自転車も自動車もバスがいないときです。念のため。)
⑤は蛇足でしたね。長文失礼しました。
2011/07/06(水) 23:01:14 | K2 | #-[ 編集]
Re: No title
いつもありがとうございます。携帯からは、文章を打ったり、細かい編集がしづらい、すぐに電池がなくなるなど、いろいろ問題があるため、基本的にパソコンでしか編集しないもので、ご迷惑かけました。
私も、早く感想を書きたくて、うずうずしておりました。

> ①滋賀里バス停付近、30年ほど昔も写真くらいの広さはあったと記憶しています。ただ、大型車中心の当時、交通量が今より少ないとはいえ、ワンマンではターンは危険ではないでしょうか。故に踏切を渡って回転しに行ったと思います。私見ですが。

確かにそうですね。大型車でのターンは厳しいかもしれないですね。また「京都今津線」などの取材がてら、時候のいい時に北部に行きますので、確認してみます。


> ③石山団地⇔滋賀里は本数は多くはなかったです。系統番号が大津営業所管内に導入される前には廃止されたと思います。石山団地バス停に止まる京阪バスの「石山駅・湖岸・滋賀里」の方向幕を

その系統番号の導入がいつなのか知りたいんです。京阪バスとしては、昭和49年の香里団地が最初なのははっきりしているんですが、大津についていつなのかが誰に聞いても分からなくて困っているんです。

> ④子供の時、虫歯がなかったとはうらやましいです。その分、いきなり親不知の治療の洗礼を受けられたとは・・・その痛み、恐怖・・・・お察しします。

抜く時より、抜いた後が大変でした。特に下は、「麻酔が取れたら、普通にものが食べられますよ♪」なんて言われたけど、とんでもない!食べるどころか、頭までガンガン痛くなって、一昼夜ぐったりと横になっていました。結局上下4本とも抜いて、さっぱりしました。

> 歯科に行くようになりました。京阪石山寺止まりのバスが向きをかえていた場所の近くの歯科で、今も母親が通っているそうです。

私が行っているところと一緒?…きれいな新しい歯科だけど、建て直したのでしょうか?

>  痛みのない歯科も良かったですが、何より開通から数年の湖西線に乗れるのが楽しみでした。東海道線とは違い、ピカピカで、ちゃんと方向幕を使い、シールドビームで、冷房100%、冬は手でドアを開けられる、ではなく開けねばならない国鉄が誇る?113系700番代、良かったです。今も残っているのがある意味凄いですね。

もうずいぶん前、旅番組で湖西線の車両を「東海道線のお古のような車両で…」なんて紹介しているのを見て、激怒しましたね。リサーチ不足過ぎ!私がナレーションの原稿の校正を担当していたら、絶対突き返します(爆)。
電車は割ともちますよね。でも、法定耐用年数は、一応13年とされているようです。http://www.nta.go.jp/shiraberu/zeiho-kaishaku/tsutatsu/kobetsu/hojin/881006/01.htm 恐らくそこまでで備忘価額1円を残して減価償却してしまうということでしょう。

> ⑤滋賀里での回転で思い出しましたが、石山団地の回転場、子供の時は自転車でバスごっこをしながら回転していました。自動車免許をとった時、すぐに自分の運転で車を回転させにいきました。(自転車も自動車もバスがいないときです。念のため。)

私よりずっと筋金入りのマニアじゃないですかw

また楽しいコメント、貴重な情報、お待ちしております。
2011/07/06(水) 23:21:26 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
系統番号導入の年
続けてレスします。
大津管内に系統番号が導入されたのは・・・
①ブルドッグの冷房車が導入された時よりは絶対前です。ブルドッグの幕は自体が細くて他の一般用とは違っていて印象にのこっています。。ブルドッグは系統番号なしで走ったことは臨時を除きなかったはず。
②昭和52年~53年くらいではないでしょうか。まだ石山小学校と
南郷小学校が分離する前で、石山団地は①番!と南郷方面から通っているクラスメイトに自慢したような気がします(確証はありません、ごめんなさい)
大石行き外畑行き岡の平行きは②でしたから。ちなみに国分経由石山団地線は④でしたよね。
③系統番号導入後は「①石山駅⇔石山団地」と幕が見にくくなりました。それまでは「石山寺・石山団地」「石山寺・石山駅」と見やすかったのに。ちなみに石山寺は小さめの字。石山駅の石の字の横には国鉄と縦で小さく書かれてました。
運転手さんが終点に着くと手動でくるくる前の幕を回してました。
入り口横の幕は、浜大津方面から帰ってきたバスが、石山駅間に戻る時は回されてました。リアの幕は「ワンマンカー」とか「ワンマンカー(大津市内線)」と緑の幕に白字で書かれてました。
④こちらを訪れている人から有力な情報が入るといいですね。非有力な情報でかえって混乱されたらごめんなさい。
以上失礼します。

今宵はここまでにいたしとうござりまする。
2011/07/06(水) 23:52:54 | K2 | #-[ 編集]
Re: 系統番号導入の年
K2様

興味深いコメント、ありがとうございます。

> 大津管内に系統番号が導入されたのは・・・
> ②昭和52年~53年くらいではないでしょうか。まだ石山小学校と
> 南郷小学校が分離する前で、石山団地は①番!と南郷方面から通っているクラスメイトに自慢したような気がします(確証はありません、ごめんなさい)

改めて手元の資料や、未公開の古い写真などを確認すると、どうも香里団地からそう日を置かずに導入されたようで、1974年時点で既に京津国道線が「46号経路」のようでした。
全路線一遍にだったのか、何日だったのか、まで知りたいんですが…。だいたい、そういう時は、ダイヤ改正や運賃改定など、何か大きな動きと重なると思うんですけどね。

> 大石行き外畑行き岡の平行きは②でしたから。ちなみに国分経由石山団地線は④でしたよね。

らしいですね。2号経路の大石行きは、残念ながら、事故を伝える新聞記事でしか見たことがありません。本当に、2・南郷・大石と書かれている(南郷はもちろん、小さい文字)ので、驚きました。

> 入り口横の幕は、浜大津方面から帰ってきたバスが、石山駅間に戻る時は回されてました。リアの幕は「ワンマンカー」とか「ワンマンカー(大津市内線)」と緑の幕に白字で書かれてました。

緑に白字って、なんか近江みたいですねw

> ④こちらを訪れている人から有力な情報が入るといいですね。非有力な情報でかえって混乱されたらごめんなさい。

いいえ、ありがとうございます。また宜しくお願いします。
2011/07/07(木) 22:35:22 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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